3年前の2020年秋,著者の一人アシンは同じく著者の一人であるルヌーを,スペイン・バルセロナ近郊のカステルデフェルスにある光子科学研究所の自身の研究室に招いた。「あなたと議論したい問題がある」とアシンは切り出した。「ミゲル(ナバスクエス)と私が何年も取り組んできた問題だ」。興味津々の表情になったルヌーにアシンはいった。「標準的な量子論は虚数なしで成り立つだろうか?」
虚数は自身とかけ合わせると負になる数だ。哲学者デカルト(René Descartes)はそのような数を虚数と名づけ,彼が知っていて,その存在を受け入れていた,2乗しても負にならない数(現在,実数と呼ばれるもの)と区別した。その後,実数と虚数の和,すなわち複素数は,数学の複雑な問題を解く際に有用であることが認められ,数学者に広く受け入れられるようになった。しかしながら,複素数は物理学の基本理論の数式に不可欠な要素ではない。量子力学を除いては。
最も標準的な量子論の枠組みは複素数に依存している。この理論に現れる数を実数に限定すると新しい物理理論が得られる。「実数量子論」だ。21世紀の最初の10年間に,この実数版量子論が幅広い量子実験の結果を正しく記述できることがいくつかの研究チームによって示された。これらの発見により,多くの科学者が実数量子論によってあらゆる量子実験を説明できると信じるようになった。実数の代わりに複素数を使うという選択は物理的な立場を示しているのではなく,単に数学的な利便性の問題だと彼らは考えた。
だが,その予想は証明されていない。それが誤りである可能性はないのか? アシンの研究室でのやり取りの後,私たちは実数量子論を反証するための数カ月に及ぶ旅に出た。そして最終的に,実数量子論では説明できない結果を生じる量子実験を考案した。私たちの発見は,虚数が標準的な量子論の定式化において本質的な役割を果たしていることを意味している。つまり,虚数がなければ量子論は予測能力を失ってしまうのだ。これは何を意味するのか。虚数が何らかの形で実在することを示唆しているのだろうか。その答えは,標準的な量子論,ひいてはあらゆる物理理論を構成する要素が,実験結果を説明・予測するための単なる数学的道具ではなく「実在している」という考え方を,どの程度真摯に受け止めるかによる。
続きは2025年8月号の誌面でどうぞ。
著者
Marc-Olivier Renou / Antonio Acín / Miguel Navascués
ルヌーは仏国立情報学自動制御研究所(INRIA)サクレー研究センターに所属する理論物理学者。アシンはスペイン・光子科学研究所量子情報理論グループのリーダー。ナバスクエスはウィーンにある量子光学・量子情報研究所の若手グループのリーダー。
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「最終決着『ベルの不等式』の破れの実験」,R. ハンソン/ K. シャルム,日経サイエンス2019年2月号。
原題名
Imaginary Universe(SCIENTIFIC AMERICAN April 2023)