14
吉屋かめ乃
梅雨前線と連動するような気だるさに足をとられながら、
大きくひとつ呼吸をおいて
眸を見ひらき、ぎゅっと焦点を合わせて姿勢を正してから、
朝のチャペルへ踏み入れる。
既に多くの生徒が各々のクラスの席に着いており、
薫子は一年生の席にあかねと千佳子を見つけた。
おそらく淳子お姉様は、今朝も礼拝にはいらっしゃらない。
あかねと視線が合ったので、微笑んで手を上げる。
視線が逸れる。
千佳子がこちらを見遣り、表情を固くして何言かあかねに耳打ちする。
なにか、空気が変わったことを感じる。
初夏の雨は依然として、優しくステンドグラスを叩いている。
「 おはよう、千佳子さん、あかねさん。 」
微笑みを崩すまいとしながら
躊躇いがちに、千佳子の隣の席へ着こうとする。
「 さわんないで っ!! 」
千佳子の声に、少しくざわついていた礼拝堂が静まり返る。
何が起こったのか、これから何を起こそうというのか
漠然と大きく白濁した不安が薫子を取り囲む。
「ちか こ さ・・ 」
「 やっ!!! あかねさん、わたくし、やっぱり堪えられない!
あかねさんも聴いたわねぇ?! 」
口唇をわななかせ、泪を溜め、
千佳子は愛らしい顔を歪めてあかねに向く。
「 えっ・・・わた、くし・・」
一瞬薫子に目を向けたあと、あかねが俯く。
猶も千佳子が続ける。
「薫子さん、あなたはなんて方なの?!
わたくしたち・・・わたくしたち、昨晩、・・あなた方のお部屋まで行ったの
よ。」
何を詰られているのか解らない。
千佳子の瞳のふちから、ついに泪がこぼれおちる。
「 叶さん 」
「 ・・・かしげ、お姉様・・・」
嗚咽交じりの千佳子の肩に手をおいた人物の顔を見て
薫子はさらに、状況を知る術を無くしたと思った。
なにか良くないことが起きている。
こんな時、お父様お母様の愛情が限りなく懐かしく思われる。
今は、独りなのだ。
千佳子と貴城があかねを連れて礼拝堂を出て行くのを、
月湖、ひかるらを含めた大多数の生徒がざわめきながら見守る。
授業になど、出られる気分になれるものだろうか。
礼拝なんてもっての他。
そもそも、わたくしは神という存在を認めない。
基督を聖者と崇める気にもなれない。
だのに、わたくしはわたくしの崇高なものをもこの手で貶めている…
今日は、罪悪感に浸って過ごしていたい・・。
淳子はソファの背の壁に頭を預け、雨音に耳を傾ける。
朝の礼拝を終え、授業を受けている間も
あかね達の態度は変わらなかった。
それだけでなく、クラス全体が薫子に起きた何かを掌握しかねて
話し掛けることを控えている様子だ。
合った目を背けられるのが厭で、薫子は午前中ずっと
黒板を向く以外は手元の本に視線を落としていた。
淳子お姉様の書棚からお借りした、プーシキン。
ロシアの貴族社会は本の中で悠々存在する。
わたしは内臓が混ざるのを感じながら、いつもと変わらず
こういう人もいるのね、と、さしたる感動もなく行を進む。
感動のためじゃなく読書するのがわたしなのだから、仕方ない。
別段多忙だとか、不幸だとかがあったわけではないのに
わたしはいつでも、読書の感動どころではなかったのね。
わたしは千佳子たちを不快にさせるような何をしたのだろう。
わたしが、何をしたっていうの。
昼食の為に、食堂へ移動する。
小雨が降っているのに、雲間から差す日差しは幾分か強い。
この程度の雨は気にならなかったけれど、急に傘が欲しいと思う。
薄いレース地の傘で周囲から自分を隔離してしまいたい、と思う。
良くないことが起きている、そう感じた以上のことが
薫子のいたいけな心に一身に降り注いだ。
人の波が、まるで汚い蟲を見たかのように飛びのいて道をあける。
なにが起こってるの・・
薫子は操られるようにして、
食堂のありとあらゆる処に貼られた紙の一枚の前に立ち、それを剥ぎ取る。
背後から貴城さんの声がする。
「千佳子さんが確かに聞いたと仰ってるのよ。
あなたが・・・あなたなんかを、淳子お姉様が相手にされる筈もない。
大和さん、あなたが誘われたのだわ!」
―――――― 一年Aclassの大和薫子は、
夜な夜な同室の紫吹さんを誘つて同衾して居る。
わたしが・・・
あれは、夢ではなかったの?
わたくしが、そんな
淳子お姉様はどうされているのだろう。
淳子お姉様・・・・・・嗚呼、こんな、きっと嫌われてしまった!
こんなに汚らわしいわたしは、嫌われたに相違ない!
食堂を飛び出す。
ひかるが血相を変えて、生徒会室の月湖のもとへ走る。
帰る処が無い。どこへ行ったらいい。
雨足が強まる中庭へ出る。
守衛の静止する声を振り払って、校門を走り抜ける。
マリア様の声はとどかない。
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