11
會津ニ十
触れていただきたいのは、額。
触れていただきたいのは、頬。
触れていただきたいのは、からだ。
そして、こころ。
魂に。
うだるような潮が寄せて引いて、私は眠りの海に流れ漂う。
翌日に嘘のように熱は引いてしまった。
私の奥に、燻る熱はまだ引いてはくれないけれど。
緑を含む風がじんわりと湿り気をふくみ、季節は色合いを徐々にかえてゆく。
大事をとってニ、三日休む。
月湖に連れられて、ひかるがノオトを持ってきてくれる。
あかねや千佳子達が、嬉しそうに部屋を覗きに来る。
お姉様への無邪気な興味を、私へのお見舞といいかえて笑いころげる。
ひさしぶりの笑い声のなか、ひさしぶりに笑い声をあげる。
ゆるい疼きに、目をつぶりながら。
あの日を境に、日常は平生に戻る。
私がどれほどあの方に、取るに足らないものであるか、
私と同じくらいには、みんなわかったのだろう。
教室も体育館も、私を受け入れてくれる。
人々の視線も柔らかく、私を受け入れてくれる
図書館だけが、私を拒みつづける。
浅い眠りだけが、私に思い出させる。
あなたがあなたであることは、蟻地獄のようにわたくしを苛む。
わたくしが求めるのは、あなた。
眠れる獅子を蝕んだ芥子は、わたくしの内に降りつもる。
お部屋に戻る。
あの方はまだ帰ってこない。
食堂に向かう。
あの方は部屋に運ばせる。
私はペンをはしらせ、あの方は頁をめくる。
そつのない優しさは自分が空気であることを、私に悟らせる。
けがらわしい思い上がりを見透かされてしまいそうで、私は目を背ける。
お荷物ほどの軽さもない、だからノオトを埋めつづける。
木々の初々しい緑は、鮮やかなつやめきを帯び、
かしましい日々がまわり続ける。
「薫子さん、ねえ、またお邪魔してもよろしくて?」
はじけるような笑みであかねが声をかける。
あかねや千佳子が足しげく訪れるようになった。
たわむれに、あの方がお茶を振舞ってくださることもある。
そんな僥倖も、楽しみの一つなのだろう。
日常の安逸に逃げこみたい私は嬉しげに、たわいもないお饒舌りを続ける。
「少女画報、新しい号がおうちから送られてきたら、必ずみせてね。」
毎晩、ペンの音が、わたくしに突きささる。
毎夜、浅い寝息が、わたくしに絡みつく。
毎朝、目覚める瞳が、わたくしを刺しつらぬく。
戸棚の奥の小さな木箱。
漆塗りの黒の自鳴琴。
やさしい音がいとしくて、父にせがんで買ってもらった、もう遠い昔。
そんなセンチメンタルを苦く笑いながら、それでも捨てられない。
あの子の声はもっと、やさしい。
箱の底の白い薬包紙をつまむ。
雀が運んできた、薬。
限界まで疲弊した心を軽くしてくれる。
苦く笑いながら開く。
ふと、手が止まる。
理性の声が枯れてゆく。
感情の波に押し潰される。
潰えた理性を乗り越えて、わたくしの手が水差しにのびる。
一度でいい。
偶然の女神に、全てをゆだねてしまおう。
阿片窟から逃れるように、わたくしは部屋から出た。
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