8
吉屋かめ乃
昨晩の記憶が曖昧。
お姉様の笑顔とおんなじに、葡萄酒の中に熔けてしまったよう。
日がまぶしい、朝なのだわ。
「 おはよう、ルームメイトさん。」
「あ・・おねえさ、ま 」
「覚えてらっしゃる? 今日からあなたは、わたくしのルームメイトなのよ。」
目覚めてお姉様がいらっしゃる不思議。
夢の付録にしては豪華すぎる。
どこか気恥ずかしくて、急いで洗顔、整髪をすまし、
洗面所で衣服をかえる。
いつの間にか身につけていた寝間着にまでは気がまわらない。
「 いつも朝食は運ばせているの。ご一緒でよかったかしら」
「あ、はい 」
食堂に来ているであろう、あかねのことが掠める。
時計は八時半をまわっている。
もう、部屋に戻ってしまったかもしれない。
「お友達のこと?」
「あの、大丈夫です。」
「昨日仰っていた、吉屋信子の方かしら」
きのうのわたし、そんなことまでお話したの?
「 そう、です。」
「讀書はお好き? どんなものを讀まれるの?」
「エツセイなんかよりは、架空のお話が好きです。
あ・・・アンナ・カレーニナですとか、悪霊とかは、よみました。」
「 そうなの。 それは・・」
やはり拾い物だった。
他意なく言い放たれた露西亜文学に措ける黙示録。
実際に読んだならば、数々の重厚な思想に帰属した難書であることくらい
理解しているでしょう。
ニヒリスムをきかせて軽妙に書き立てられたカリカチュア。
それですら、あなたを微塵も動かせないのね。
いえ、そんなものは、あなたにとって全くどうでもよい産物なのだわ。
ナスタァシャに自己投影するわたくしでは、この子の足首に触れることすら、出来な
い。
わたくしは、この子の魂がほしい。
「父が、帝大で教鞭をとっていて、書斎が幼い頃の遊び場だったんです。
物語を読んでは、ひとりで空想に耽って・・・
ちょっと、暗い子みたいですけれど。」
「そんなことはないわ。」
「お姉様は、露西亜文学がお好きなのですか?」
亦、微笑む。
「・・・そうね。どれかと云われれば ね。 」
校舎への数百メヱトルでも感じた非常な違和感が、
教室へ近付くにつれ、ますます厚みを増してゆく。
矢のような視線が身体の隅々までを、遠慮なく貫く。
辛うじてあかねは平生を装ってくれた。
今日は、体育館に行く気になどなれない。
夕食の時刻まで、自習サロンで無理矢理に時を送る。
「 あなた、ちょっと」
「 え ? 」
麗しい顔に見覚えがあった。
二年生の、貴城さん。
と、・・・たくさんのお取り巻き・・・。
すかさず横槍が入る。
「上級生が話し掛けてらっしゃるのだから、さじを置いたらどう?」
「あ、済みません。・・・なにか 」
隣であかねまでがさじを置いた音がする。
食堂中の目が、集まる。
「あなたが淳子お姉様に、どういう仕掛けをなすったのか、
もう皆さんご承知でしてよ。」
「 わたしが、なにを・・・ 」
「無駄なことよ。とぼけないでちょうだい。」
熱い雨が降った。
傍らのカップには数滴の紅茶の雫がはりついている。
あかねの泣き声が聞こえる。
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