「ミスター」の愛称で親しまれた長嶋茂雄さん=巨人終身名誉監督=が、3日に肺炎のため89歳で死去した。サンケイスポーツはプロ野球誕生から80周年を迎えた2014年に、レジェンドが語るプロ野球史『ありがとう八十年』を企画。当時78歳だった長嶋さんにインタビューした。25回にわたった連載を、一部加筆して再掲載する。1958年に東京六大学のスターとして巨人に入団し、プロ野球を国民的娯楽に押し上げた長嶋さんが語った自身の野球史とは-。(取材構成・松尾雅博)
終戦(1945年)は臼井国民学校(現臼井小)の4年生の時ですね。まだテレビがない時代ですから、家族全員、ラジオの前に正座して玉音放送を聞きました。ああ、日本は負けたんだって。佐倉町(現佐倉市)役場の収入役だった父(利=とし=さん)が「これからの日本はどうなるんだ」と泣いていたのを覚えていますよ。
戦争が終わると、住んでいた臼井町(現佐倉市)にも少年野球チームができて、毎日のように試合をしていました。ボールは母(ちよさん)の手作り。夜なべをしてね。近所のゴルフ場で拾ってきたゴルフボールに、帯締めの細いひもをぐるぐる巻きつけたもの。帯締めは硬くてなかなか針が通らないから、何度も針を指に刺しながらね。それでも、何事もなかったかのように、朝起きると「はい、どうぞ」って。
あだ名は、体が小さかったので「チビ」。近所の犬にも負けないくらい足が速かったから「ポチ」とも呼ばれましたね。ガキ大将の「大将」というのもあったかな。
初めてプロ野球の試合を見たのも、そのころですね。仲間5、6人と後楽園球場へ行ってね。阪神と東急の試合だったかな。阪神に〝ミスタータイガース〟の藤村富美男さん、東急(現日本ハム)には〝青バット〟の大下弘さんがいてね。僕は阪神ファンでした。藤村さんがいたから阪神ファン。
《藤村富美男は16年、広島県出身の内野手。36年に旧制呉港中(現呉港高)から大阪タイガース(現阪神)に入団。戦後は〝物干しざお〟と呼ばれた37インチ(約94センチ)の長尺バットで首位打者を1度、本塁打王を3度、打点王を5度獲得し、「ミスタータイガース」と称された。通算成績は打率・300、224本塁打、1126打点。投手でも34勝11敗、防御率2・35の成績を残した。46、55―57年に阪神監督。74年に野球殿堂入り。77年には俳優として時代劇「新・必殺仕置人」にレギュラー出演した。92年、75歳で死去》
48年に佐倉・臼井二町組合立中(現佐倉中)に入学し、体が少し大きくなったかな。ポジションは野球を始めたときから主に遊撃。うまいショートならいいけど、へたなショートでしたねえ。不思議と投手はやりませんでした。(2014年11月19日付紙面に掲載)
■長嶋 茂雄(ながしま・しげお) 1936(昭和11)年2月20日生まれ。千葉県出身。佐倉一(現佐倉)高、立大を経て58年に巨人に入団。1年目から中心選手として活躍し、65-73年の9年連続日本一に貢献。引退する74年までの17年間、三塁手でベストナインに輝いた。主なタイトルは首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度、リーグMVP5度、新人王。88年に野球殿堂入り。75-80、93-2001年は監督としてリーグ優勝5度、日本一2度を飾り、02年から終身名誉監督。13年に国民栄誉賞。21年に野球界で初めて文化勲章を受章した。右投げ右打ち。25年6月3日、肺炎のため死去(享年89)。