巨人との契約金は1800万円です。中日の提示額は2500万円で、南海は2200万円。もっといい条件の球団もあったし、巨人が一番低かったですよ。
《プロ1年目の1958年は、大卒の初任給が約1万3500円。日清食品から「チキンラーメン」が1袋35円で発売され、国鉄(現JR)の初乗りが10円、電気冷蔵庫が1台10万円だった》
背番号3は、いつの間にか決まっていました。若い番号がいいなとは思っていましたが、当時の東京六大学リーグは背番号がなく、こだわりはありませんでしたね。
《巨人の初代背番号3は、35年の第1回米国遠征中に105試合で110盗塁を記録した内野手の田部武雄。36―42年は外野手の中島治康(38年秋にプロ野球初の三冠王)がつけた。46―57年は軽快な二塁守備と、名人と称された右打ちで第2次黄金時代を支えた千葉茂。長嶋氏は4代目で、74年の引退とともに永久欠番になった(監督時代の2000、01年に復活)。4人は全員、のちに野球殿堂入りした》
初めてのキャンプは兵庫・明石ですね。練習は午後3時ごろ終わり、その後はマージャン。立大の練習の方が長かったですから、水原茂(当時の登録名は水原円裕)監督に「これで大丈夫ですか?」と聞いたこともあります。
主力は川上哲治さん、与那嶺要さんらベテランが多く、若手は4歳上の広岡達朗さんくらい。打撃練習ではいつも打席に一番乗りし、そのたびに「新人は後だ」と怒られましたが、何日かすると言われなくなりました。礼節は必要だけど、ユニホームを着ているときは長幼の序など無用です。
オープン戦からよく打ちましたから、自信を持って4月5日の開幕戦を迎えました。結果は皆さんご存じの通り、国鉄・金田正一さんの前に4打席連続で空振り三振。やっぱりプロだな、今に見てろよ、と思いましたね。
《オープン戦は19試合で打率・270ながら、7本塁打を放った。プロ初安打は4月6日の国鉄とのダブルヘッダー第2試合、三林清二から中越え二塁打で記録。通算10打席目だった。1年目は29本塁打、92打点で2冠(打率・305は2位)に輝き、満票で新人王に選ばれた》(2014年11月26日付紙面に掲載)