1959年6月25日の巨人―阪神(後楽園)は、プロ野球にとって歴史的な試合になりました。初の天覧試合です。前年の暮れに実現するかもしれないと分かると、頭の中から離れませんでした。
試合前夜は枕元にバットを5本置き、正座して「いい場面で打たせてください」と祈ってから床に入りました。でも、4時か5時ごろまで寝付けなかったかな。
朝起きて選んだのは、真ん中にあった米国製の「ルイビルスラッガー」。直感でね。僕は年に2、3本しかバットを折りませんでしたが、万が一があるので、球場には2本持っていきました。
《ルイビルスラッガーは1884年に米ケンタッキー州で設立された野球用品メーカー。ベーブ・ルースら米野球殿堂入り野手の約80%が同社のバットを使用していた。1980年に各ポジションの最も打撃の優れた選手に贈られるシルバースラッガー賞を創設した》
直前までスランプでね。3週間くらいかな。それでも、天覧試合では打てるような気になっていましたね。阪神先発の小山正明さんから、二回の左前打に続いて五回に左翼席へ同点ソロ。七回の第3打席は空振り三振でしたが、直後に王(貞治)さんの同点2ランが出ました。そして4―4の九回、先頭打者で打席に入りました。
七回途中からリリーフしていたルーキーの村山実君がカウント2―2から投じた5球目、内角高めの直球にバットを振り抜きました。プロ初のサヨナラ打が本塁打。三塁を回ってロイヤルボックスを見ると、天皇陛下は身を乗り出して拍手をしておられました。ご退席の3分前だったそうです。村山君は亡くなるまでずっと「ファウルだ」と訴えていましたが、そんなはずはありません。ポール際じゃなくて、左中間だもの。
2度目の天覧試合となった66年11月6日の日米野球、全日本―ドジャース(後楽園)では左越え本塁打を含む3安打を放ちました。65年6月1日の阪神戦(後楽園)は常陸宮さまの前でサヨナラ左前打、浩宮さまが観戦された70年の日本シリーズ第3戦(対ロッテ、後楽園)でも決勝2ランと、皇室がいらっしゃった10試合は打率・514(35打数18安打)、7本塁打、10打点とよく打ちました。(2014年11月27日付紙面に掲載)