群馬県高崎市のNPO法人「高崎第九合唱団」がオーストリアのウィーン楽友協会で開いた演奏会で、女性に見える服装で生活していた男性の元団員、瞳さん(62)=仮名=が、服装の変更を余儀なくされた問題。瞳さんが納得できなかった背景に、どのような課題があったのか。識者の見解を聞いた。
2023年11月の演奏会で、母の形見の着物を着ようとした瞳さんは「ウィーン側の都合」としてスーツの着用を余儀なくされた。その後、「男は男の格好で歌うんだよ」と言われるなど団の対応にも納得がいかず、不眠症に。3カ月の通院を経ても改善せず、合唱団をやめざるを得なくなった。
出生時に決められた性別とは異なる性別で生きるトランスジェンダーについて研究する群馬大の高井ゆと里准教授(倫理学)は「団と団員との間で、服装を決めるプロセスが正しくなされなかったのではないか」と指摘する。
瞳さんは2019年ごろから髪を伸ばしたり、男女兼用の洋服を着たりしており、演奏会の約1年前からはスカートやワンピースで活動に参加するなど、周囲の理解を得る努力をしてきた。演奏会の約1カ月前、団長から「音響や立ち位置の関係」などを理由に服装の変更を告げられたが、現地入り後のリハーサルで立ち位置は度々変更され、根拠が揺らいだという。また別の役員から「なぜあなたは着物が着られないの」と質問されたといい、団全体としての意思決定なのか、疑問に感じたという。
高井准教授は「出生時の性別とは異なる性別で生きていこうとする人たちはおかしな人たちだという社会のジェンダー規範があり、そうした当事者は社会的に弱い立場に置かれがちだ。この元団員の証言にある『男は男の格好で歌うんだよ』といった発言は、対等なコミュニケーションではなく暗黙の強制力を持ちうるもので、それが服装を変えるという決断を強いたのではないか」と分析する。
望む性表現に合った服を着られないことは、当事者にとってどのような意味を持つのか。
LGBTQなど性的少数者への支援を行う一般社団法人「ハレルワ」(前橋市)の間々田久渚代表(33)は、自身がトランスジェンダーの男性として経験したことを踏まえ、「周りの認識と自分が望む性別が一致した時、『やっと自分になれた』という感じがした」と語る。瞳さんのように服装の変更を余儀なくされた場合は「ほかの場やコミュニティーでもこのような扱いを受けると思い、外に出られなくなってしまう当事者もいる」と指摘する。
瞳さんは約4年にわたって服装や身だしなみを変えながら、周囲への理解を得ていった。間々田代表は「当事者の母数が少なく理解されないこともある地方で、この元団員の人が自分自身を貫こうとしたのは勇気がいることだ」と語った。
法律上の課題はどうなのか。東京都立大学法学部の木村草太教授(憲法学)は「EUで差別の禁止を人権として保障すべきだという考えが広がり、性表現による差別も性別による差別の一種と扱われることが多い」と指摘。「国によっては差別禁止法に触れる可能性もあり、そうしたところで公演するのであれば、差別禁止の法令を理解しておかないといけない」と話す。
国内法の場合、今回のケースは個人と団体との関係で憲法上の平等権は直接適用されないが、性表現による出演制限は不法行為になる可能性があるという。団体の対応としては「男女の性表現によって服装を分けて統一することは可能だが、どちらの性表現を選ぶかは個人に任せるという調整が適切ではないか」と話した。【加藤栄】