ウィーンにあるコンサートホールで2023年に開かれた「第九合唱」で、母の形見の着物をまとえなかった男性。所属していた合唱団から「ウィーン側の都合」「男は男の格好で」と言われたが、ウィーン側は関与を否定する。男性が服装を変更せざるを得なかった背景には何があったのか。関係する団体や当事者に経緯を聞き、LGBTQなど性的少数者の識者らと課題を探った。
「舞い上がっていた気持ちが落とされた感じで、苦しくてしょうがなかった」。群馬県高崎市のNPO法人「高崎第九合唱団」がウィーン楽友協会で開いた演奏会で、衣装を母の形見の着物からスーツに変更せざるを得なかった元団員の男性、瞳さん(62)=仮名=は当時を振り返る。合唱団は団としての見解を示しておらず、決定の根拠は曖昧なままだ。
瞳さんは県内出身で、全国転勤の仕事をしていた。広島県にいた10年ほど前、ラジオで流れた「ベートーベンの交響曲第9番を歌いませんか」という告知が耳にとまった。大のカラオケ好きの母と、音痴の父の間に生まれ、「自分は歌えるだろうか」と考えた。参加してみると、一体感ある合唱のとりこになった。
2018年、母が体調を崩し、久しぶりに実家に戻った。県内でも合唱を続けたいと、高崎第九合唱団に入団した。母の介護で仕事は退職せざるを得なかったが、合唱団の活動は続けた。母が自分の歌声を聴くことを楽しみにしてくれていたからだ。
母は民間の指導資格を取得し、カラオケ教室をいくつも開催して指導にあたっていた。自らも発表会やテレビ番組で演歌を披露し、衣装は決まって着物だった。「歌が大好きな人。だから私がウィーンで歌うと決まったときは、とても喜んでくれていた」
22年、母はウィーン公演の前に亡くなった。87歳だった。遺品を整理する中で、青色の付け下げを手にし「母の着物を着ていると、母と一緒に居られるような気がする。これを着てウィーンで歌えば母も喜ぶ」と思った。自分の背丈に合うように仕立て直し、着付けの練習も重ねた。
23年1月には「自分で着物が着られるなら、ウィーンでも着られるよ」と言ってくれた団長。だが、10月上旬、「ウィーン側の都合で着物を着られなくなった」と告げられた。「会場の立ち位置や音響の関係」との理由を飲み込めなかった。
「理由が曖昧で、現地ではそれと反することが起きたんです」。11月、現地のリハーサルでは立ち位置が何度か変更になり「ウィーン側の都合」「立ち位置や音響の関係」は、うそではないかと疑うようになった。別の役員から「なぜあなたは着物が着られないの」と質問され、疑念が深まった。
納得がいかず、眠れなくなった。3カ月の通院を経ても不眠症が治らず、合唱団を辞めた。
今でも母親の着物を着たかったと思う日がある。「私が着物を着ることに否定的な人もいることは理解している。だけど、周りに理解してもらえるように練習の時から徐々に服装を変えて、説明もした。同意は取れていたように思っていたのに」
合唱が好きな理由に、性別でなく声の高さでパートが決まることがある。「合唱ほどジェンダーレスなものってないのでは。だから『男は男の格好で』といったよくわからない理由で、母の着物が着られなかったのであれば、残念でならない」【加藤栄】