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「よろしく。フローレンスよ。」
「あ、お噂はかねがね。」

涼しげな顔をしてみせるKAORU。
興味のありようをひたすらに隠そうとする、精一杯のパフォーマンス。
そんな彼女は、可愛くて、切ない。
あたしを軽く睨みつける口唇、
この子に素直に感嘆していることを、隠そうともしないフローレンス。
そんな彼女は、ゴージャス、羨ましい。




「ねえ、この頃、恋くらいしてるの?」

あたしたちの暗黙のお遊び、KAORUの目が驚いたように丸くなる。
そ知らぬふりで箸を進める彼女、そ知らぬふりで遊び続けるあたし。

「大きなお世話だわ。」
「ああら、恋愛した方がいいわよ。」
「どうして?」

そんなことを大真面目に聞くのは、多分世界中であなただけよ。
嬉しくてあたしの顔が綻んでしまう。

「そんな無粋なスーツは着なくなるわ。」
「一人でできるもんじゃないでしょう。」
「いつでも、あたしがお相手してあげるわよ。」


微かな欠片、KAORUがそっとこちらを盗み見る。
あなたが感じ取ることよ、あたしはワインを手に取った。







『ストイシズムを内包するSexyへの変貌』
そんな三文記事に、にやりとさせられる。
過剰な褒め言葉、的外れの非難、評論家という人種は大抵はどちらかに収まるもの。
それでも、思いもかけない一節に気がつかされることがたまにある。
確かにあたしは、変わり始めたのかもしれない。
溢れ出すイメージの奔流を現実のものとしてくれる、この類稀なるモデルのお陰で。








「いいの?」
必ずそう聞き返す、三人のディナー。

「今日はフローレンスのセレクトよ。」
「どこ?」
「スノッブなチャイニーズですって。」


そして、いつもよりほんの少しメークに手をかけて、注意深く服を点検してから、
あたしたちは連れ立ってオフィスを後にする。





「もう、どうしてあなたって、こういう生命力溢れる処が好きなのかしらね。」
「たまにはエネルギーを補給しないと、萎んで枯れちゃうわよ。東洋の神秘、さん。」
「なあに、それ。」
「私が見た中で、一番安いあなたのキャッチフレーズ。」

意味を含ませず、遊びながら言葉だけを繋げてゆく。
そんな会話をそれぞれに楽しんで、円卓のあちらこちらに思い思いに箸をつける。


「KAORU、これも試してみたら?」
「なあに、それ?」
「・・・・・・・・・・ 蠍ですって。」

KAORUの手が止まり、フローレンスは笑い転げる。
あたしが口を挟む。

「んもう、悪趣味なのは服だけじゃなかったのね。」
「大きなお世話よ。」
「親切って言ってくださらない?」
「はいはい、で、あなたは如何?」
「ご遠慮しておくわ。」
「共食いだから?」
「家訓なの。」



そして一番にKAORUが噴き出して、フローレンスの目がそちらに吸い寄せられる。
涼しげな顔の裏から、少しだけ覗かせる年相応の表情。
知性と理性の瞳に過る、割り切れぬ感情の萌芽。

悪趣味なあたしは、そんな大好きな二人を見るのが、
大好きだった。











暖かいお腹を抱えて、あたしたちは其々の帰途につく。
時にはあの子は、あたしのアパートメントにやって来る。
それは、極く自然に。



リビングの隅の定位置で、クッションに埋まるようにしてそこいらの本を膝に抱え込む。
「何、見てるの?」
「ジャコメッティ。」

チーズの欠片を皿に散らしワインを片手に、KAORUの横に寄り添って座る。

「気に入った?」
「う・・・ん。結構好き、かな?」
枯れ木のようにささくれだった彫刻の写真。
それでいて大地を踏みしめるように、今歩き出さんとするような。
「ふうん、」
「なんかさ、いきもの、ってかんじがする。」
「そお?」
この子は物事の本質をかぎ分ける。
理屈や理性のオブラートに包まずに、ダイレクトに噛み砕いてしまう。

思い出したように、ぽつりぽつりと言葉を続ける。
「うん、なんかさ、剥き出しの神経を引きずって、
 それでもね、歩き出そうとしてるんじゃないかなあ。」

ジャコメッティが追求したのは写実。
それは形態のそれではなく精神そのものに向かい。見極めようとした、本質。
本質の内面のみならず、その変化する様までも捉えようとした。
根底にあるものは力強い、存在、そのものだ。

KAORUは変貌し続ける、だけどその存在するものは揺るがない。
だからあたしは、ある種の安心感をもってこの子を感性のミューズとして崇められる。


あたしの思惑など気がつくわけもなく、
この子は小さな口唇を柔らかく開いて、本に見入る。




一頻り頁を捲り、気がすんだようにこちらに寄りかかる。


ワイングラスを舐めながら、言葉が心地よく漏れはじめる。

「ねえ、フローレンスってさあ。」
「ん。」
「いいなあ、あの脚。」
「そうね。」
「彼女の方が、モデル向いてそうじゃない?」
「でもモデルよりも弁護士に向いているのよ、彼女。」
「ん、それもそうだね。」

肩にかかる小さな頭がくすぐるように、揺れる。

「あなたも、つまんだら?」
「ううん、いい。」
「どうして。」
「もうすこし、絞んなきゃ。」
「あまり痩せるのも、考えものよ。」
顎にかかる髪の感触を楽しみながら、私たちは囁きあう。
「ん、でもね 、もう少し太腿とか胸とか、絞ろうかなって。」
「あたしのお眼鏡じゃあ、ご不満?」
「そういうわけじゃあ、ないけど。」
「そう。」
「今日ね、フィッティングの時、 ―――――― 言われたの。」
「なにを?」
「 『プレイメイトの方が向いてんじゃない?』 って。」

階段に足をかけたばかりの今は、風向きは強くなるばかりのようね。
「で、どうしたの?」
「鼻で、笑った。」 
首を上げて、口を尖らせる。

「いけない?」

「よくできました。」
小さな鼻梁を軽く舐めると、くすぐったそうにKAORUは笑う。




「そろそろ、寝なくちゃね。寝不足で肌荒れじゃあ、目も当てられないわ。」
「プレイメイトにも断られちゃう。」

ダウンのブランケットをKAORUに渡し、そっと口唇を触れ合わせ、
あたしはベッドルームへ、KAORUはリビングで。
それが彼女にとって一番寝心地のいい位置らしい。





あたしたちはまだ、お互いの舌の味を知らない。








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