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「ごめんなさいね、昨日はKAORUが迷惑かけたみたいで。」
受話器の向うから、低いLeeの声が流れてくる。
「もう、あんなことはさせないわ。」
「別に、迷惑とかじゃないから。気にしないで。」
「色々とね・・・・・急激に昇ると風当たりも強いから。」




「でも、これからはうちに住まわせることにしたから。」











それからというもの、KAORUの姿は私の世界からふっつりと消えてしまった。
それと反比例するように、雑誌やTVで取り上げられることも多くなる。
それに伴ってLeeのブランドの人気もうなぎ上りに。
Leeの確かな目は、時代の寵児となる彼女の資質を正確に見抜いていた。








手持ちの幾つかの厄介な訴訟を狂ったように片付ける。
そして、私はぽっかりと穴があいてしまった。
どうしてか分からないけれど、もうここにはいたくない。



そんな時、フランスのうちの事務所で手が足りないとの話が来た。
パートナーが目前なのに、とか医療過誤部門は素人なのに、
とかの周囲の懸念する声など聞く耳は持たなかった。








スーツケースを詰めこみながら、理屈っぽい私は自問自答しつづける。
大きな家具を大方送ってしまった部屋の中は、服が散乱してまるで廃墟のよう。
どこで眠るつもりだったのかしら、などと思いながら持っていく服を選びつづける。
あんなに好きだった機能的なビジネススーツは、もう着たくない。
もっと、こう、柔らかく、肌を温めてくれるような。
そんな服を探しても、私のワードローブにはビジネススーツばかり。
不意に胸がこみ上げる。
ありったけの服を抱き締めて、私は情緒不安定な子供のように歯を食いしばった。



階下のドアマンからインタフォンが入る。

「Ms.Leeがいらしておりますが。」






「なあに、この有様。」
珍しく大荷物を引き摺るように持ってきたLeeが、呆れた様に部屋を見まわす。
「だって、持っていく服が決まらないのよ。」
「お気にいりの男らしいビジネススーツは?」
「もう、着たくないの、ああいうの。」
「じゃあ、着たいのだけ詰めればいいじゃない」
「着たい服なんか、持ってないのよ。ひとっつも。」
言っていることが滅茶苦茶だわ、私。


「じゃあ、とりあえず捨てちゃいなさいよ。」

そういって勝手にキッチンから、ワインとグラスを持ってくる。
散乱した服の上に躊躇もせず座りこんで、私にグラスを渡す。
しぶしぶと私はグラスに口をつける。

「もう、勝手にフランス行くんですって。」
口調はいつもの通りだるそうで、座りこんだままの私に向かい合う。
「あたしからの、お餞別。」
大荷物の箱には、白い絹のパンツスーツ。
それはまさに、私が着たかったような温かくて柔らかそうな。


「どうして、わかるの?」

「あなたのこと、好きだもの。」
「でも、あなたは彼女を選んだわ。」

そう言うなり、止まっていた涙が胸から溢れ出した。
洋服に埋もれながら、みっともなく泣く私をLeeは不思議そうに眺める。
「私、失恋したんだわ。だからこんなになっちゃったのよ。」
グラスをそっと置いて、Leeはわたしの頬を両手で包む。



「失恋したのは、あたしたちよ。
 本当に気がつかないの、フローレンス?」



止まらない涙の中で、彼女の声がぼんやりと響く。
「あたしは確かに、あなたが好きよ。
 でもわかってるの、あたしたちは違う人種だっていうことが。」
「何が違うの、あんなに気が合ってたじゃない。」
いやだ、これじゃあ、悪酔いしてくだ巻いてるみたいだわ。
「でも、違うのよ。人生における価値観もモラルのあり方も。
 そして、そんな硬さが大好きだったのよ。」
「ほら、過去形じゃない。」
そんな私に額をすり付けて、Leeはとても可笑しそうに微笑む。
「ううん、過去形にしたのは多分あなたの方が、先。」
駄々をこねるように、私はくだを巻きつづける。
「そんなの、詭弁だわ。」
「いつのまにか、あなたが見ていたのはあたしの横の、あの子。」
「・・・え。」
「あの子の口唇が触れたとき、どう感じたか思い出して御覧なさい。」

Leeはゆっくりと顔を傾けて、私の口唇に触れる。
暖かくて柔らかで、鼓動が静かに収まってくる、キス。

「ほら、違ったでしょう。」
抱き締められたまま、耳もとの囁きが心地よい。
「でも、あなたは素直になれなかったのね。」
瞑った目から又涙が溢れ出す。
「あの子はとても憧れていたのよ、あなたに。」
やっとの思いで、首を振る。
「でもつたないから、あんな風にしかできなかった。」
静かに止めど無く涙は流れつづける。
「あたし程にあなたがわかっていないあの子は、逃げ出すしかなかったのよ。」

声を上げて泣いたのは、久しぶりだ。
Leeは私をあやすように、抱き締めていてくれる。

「かわいい、あたしのフローレンス。
 今度、気になる人ができたならもっと素直にならなきゃだめよ。」


ぐちゃぐちゃの顔で、私は彼女の肩で頷きつづける。





マンハッタンの朝焼けの中で、私は白いスーツをガーメントに詰め込んだ。
膨大なビジネス・スーツは、アメリカン・ドリームと一緒にマンションに捨ててきた。
















「フローレンスの飛行機、もう行っちゃったのかな。」

真っ白いシーツのなかで、あたしの仔猫が呟く。
細い鼻梁に舌を伸ばすと、くすぐったそうに顔を逸らす。

「Leeにはわかってたの?」
「何が。」
「何でもない。」


鎖骨の窪みをなぞる指に、徐々に身体が温まる。
体温に混ざって、仄かに香るチャイナ・ドール。
頬を舐めると、柔らかく声が洩れる。


「彼女、Leeのこと、好きだったんだよ。」


そうね、そして、あなたのことも。


「あたしね、彼女のこと、好きだった。」


そうね、そして、あたしも。



つたなくてどうしていいか分からなかった、幼いKAORU。
素直じゃなくて距離ばかり置いた、見栄っ張りなあたし。
優しくてかわいい、不器用なフローレンス。
少しずつ重なって、少しずつずれていた、可哀相なあたしたち。





一番大人気無いのは、本当はあたし。
あの日、転がり込んだKAORUが淡く彼女に憧れていたことは、わかっていた。
そして、彼女がおそらくは受け入れられないであろうことも。
だから、ごめんなさい、フローレンス。
あたしには、この子が必要なの。
初めて素直に、求めようと思ったの。



KAORUの腕が首に回る。
あたしはゆっくりと、でも折れるほどに抱き締める。






白いシーツのなかで、KAORUとあたしはフローレンスの夢を見る。












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