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その時迄、私の人生はすこぶる順調だった。

スタンフォードのロー・スクール卒業後、ロー・レビューの副編集長を務めていたおかげで、
NYの大手法律事務所にも、難なく就職。
寝る間も惜しんで、ビジネススーツに身を固め駈けずりまくっていたおかげで、
パートナー昇格まであと一歩。
そう遠くない将来に、物差しで計れるアメリカン・ドリームは具現化するはずだったのだ。






エクササイズマシンを降りて、身体をクールダウンさせる。
アポイントの取ってある朝食まで、あと15分。
シャワーを浴びて、パウダールームで手早くメイクを済ませる。
少し赤みがかった長い髪の毛は、本当は面倒なので切ってしまいたい。
けれども、仕事で女を捨てたと思われるのもしゃくなので、唯一手をかけてブローする。
きっちりと身体に合った、ダークな色合いのビジネス・スーツ。
背筋をぴんと伸ばして、鏡で最終点検する。
これなら、彼女もそう文句は言わないでしょう。



「おはよう、Lee。」
「朝から元気ね。フローレンス。」

今のところ、わたしのかなり大事なクライアントのデザイナー、Lee。
東洋趣味をアバンギャルドにアレンジした彼女のデザインは、
通好みとして一部ではえらく高く評価されているらしい。
およそ、私は仕事で着られないようなものばかりなのだけど。
Leeは低血圧そうに、肘をついてホテルのコーヒーで目を覚ます。
脱色した前髪の隙間から、大きな黒目をぼんやり開く。

「この時間、あなたが指定したんでしょ。」
「他じゃあ忙しくて、マトモに時間取れないって半分脅迫だったじゃない。」

そういいながらも、おっとりと低めの彼女の声はここちよい。
ビジネス抜きの会話を半分、新規のライセンス契約の内容を詰めるのに半分。
それで私の持ち時間は、おしまい。
私なんかより、実は彼女の方が気ままなようで忙しい。


「じゃ、この線で進めていいのね。」
「ええ、後はわたしの得になるように、やっといてくれればいいわ。」
「まかせといて。」


「ねえ、そういう男らしいスーツ、趣味なの?」
「私の仕事には、こういうのが向いてるのよ。」
「あなたの為なら、いつだってデザインしてあげてよ。」
また、始まった。
Leeは私をからかうのが大好き。
両手で頬杖をついて、唇をすぼめて笑ってる。
こういう表情は同性とわかっていても、どきっとしてしまう。
「いいわ。」
「まあ、どうして?あたしにデザインして欲しいって物好きは、山といてよ。」
「あなたのオートクチュールなんて、支払えるわけないでしょ。」
「代金なんて、いいわよ。」
「ただより怖いものは、ないわ。」
「あたしはあなたが、大好きなだけよ。」

手早く書類をブリーフケースに投げ込んで、私は立ち上がる。

「じゃ、なんかあったら電話して。」


ゆらゆらと手を振る東洋系の彼女は、すっきりとスマートで一種中性的な、
でも物凄くセクシーな不思議な魅力を放っている。
彼女の作る服が一番似合うのは、本当は彼女。
南部出身のアメリカンな私は、香の立ちこめたような彼女の雰囲気に、
いつも気後れして終わってしまう。





オフィスビルに上がり、私は部屋でハイヒールに履きかえる。
彼女の前では決してつけない、パルファムを軽く一吹き。
Leeの『チャイナ・ドール』、トップノートは清涼な水と森林の香りだそうだけど、
その底にセクシーなムスク系の香りがブレンドされて、一筋縄ではいかない彼女らしい。

長い仕事の付き合いから、いつのまにかプライベートでもかなり信頼をおける関係になってきた。
でもそれ以上には踏みこめない。
彼女の煙に巻くような物言いは、わたしを戸惑わせてばかりいる。

こんなこと考えてる場合じゃない。
フローレンス、さっさと仕事始めなさい。
デスクの上に山済みの手紙にざっと目を通し、今日の裁判の答弁書の確認を始める。






こんな風に瞬く間に過ぎる一日を、重ね続けてきた。
そんな毎日がずっと続くものと、信じていた。






インタフォンをオンにする。
「新しく専属契約を結びたいモデルがいるの、契約書のサンプル作っといて。」
「あなたのお眼鏡にかなったとは、よっぽどなのね。」
「う・・ん、そうね、今度連れてくわ。
 そのうちディナーでも、いかが?」













で、やっと時間をやりくりして私達のディナーが実現した。
一目見てそれとはわからないような、ビルの地下の隠れ家のようなダイニング。
落とした照明と凝り過ぎのインテリアで脚がつまずきそうなフロアを抜け、個室に入る。



チャイナドレスをモチーフにしたドレスを纏い、しなやかな黒猫のようなLee。
その隣には、なるほどもっともなスタイルと美貌を併せ持った子が、
シンプルな白いシャツとジーンズで座っていた。
細い鼻筋、愛らしい口唇、印象的な黒目。
日系だそうだけれどこの華やかさは、Leeの好みだけあるわ。


「KAORUよ。」
席についたとたんに、紹介される。
「よろしく。フローレンスよ。」
「あ、お噂はかねがね。」
物怖じしない瞳で見つめ返される。
どんな噂なのやら、だわね。全く。



運ばれる料理は中華をベースにした無国籍風。
好き嫌いの激しいLeeにしては、マトモに口に運んでいる。
とはいえ、一口二口箸で運ぶ程度ではあるけれど。
で、私をまたからかい始める。
「ねえ、この頃、恋くらいしてるの?」
「大きなお世話だわ。」
「ああら、恋愛した方がいいわよ。」
「どうして?」
「そんな無粋なスーツは着なくなるわ。」
「一人でできるもんじゃないでしょう。」
「いつでも、あたしがお相手してあげるわよ。」

こういうジョークともなんともつかないことばかり言って、すぐからかうんだから、もう。
横のKAORUは器用な箸使いで、黙々と食べつづける。
自己主張されないとかえって不安になる、私の悪い癖で声をかける。

「KAORUちゃん、だっけ?おいしい?」
「はい。」
「モデルにしちゃ、良く食べるのね。」
「あんまり太らない体質なんです。」
「ふうん、うらやましい。」
「肉体労働だし。」

なんか、会話続けようがないじゃない。
人見知りなのだろうけど、もうすこし愛嬌があってもいいんじゃない。





Leeはといえば、そんな私達の会話をにやにやと聞いているばかり。

 











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