その事件は執行猶予となったが、猶予期間中に別の事件を起こして再逮捕され実刑も受けた。
出所後は仕事にも家庭にもそれなりに恵まれ、ようやく様々な事柄が落ち着いた今、あの時の自分を冷静に分析してみたい。
あくまでも私の主観に基づく話だけど、当時の犯行は計画的なものではなかった。本当に発作的だった。
凶器も持っておらず、現場に落ちていた物を手に取って衝動的に殴りかかった。
しかし、男性が駆けつけ抵抗されると、まるでスイッチが切れたように抵抗する力を失い、あっさり取り押さえられた。
あの時の自分は、10代の頃から抱えたメンヘラとストレス、躁鬱をこじらせた末の発狂状態だった。
頭の中は前後不覚で理性なんて吹っ飛んでいたと思う。
それでも何故「やれそうな相手」「勝てそうな相手」を選んでいたのか。
今考えると、発狂しているような状態でも、どこかで本能的に「安全なターゲット」を探していたのだろう。
無意識のうちに、抵抗されなさそうな相手を選んでいたのだった。
だが、本当に無差別なのか?
私の経験から言えば、少なくともあの瞬間は完全にランダムではなかった。
弱そうな人を選ぶのは単なる偶然ではない。
心の奥底で、「自分より弱い相手なら支配できる」「反撃されない」と計算していたのだろう。
それは、理性が壊れた状態でも、生き物としての本能が働いていたということだ。
それが弱い人を傷つける理由にはならないし、被害者に与えた恐怖と痛みは言い訳で消えるものではなく
なぜ人は、より弱い人を狙うのか。
それは、加害者自身が弱さを抱え、それを他人に押し付けることで一瞬の安心を得ようとするからだ。
そんな歪んだ行動が、どれだけ多くの人を傷つけるのか。
この国の通り魔事件のニュースを聞く度に、あの時の自分を思い出す。
そして被害者の無念を思う。
強い人を狙ったら取り押さえられて通り魔にならないからじゃないの