第2章:知性はどこまで“正しさ”を装えるか──ネット言説と法律ごっこの構造
第一節:「違法です」「名誉毀損です」──その言葉に根拠はあるか?
SNS上では、誰もが法律家を演じる。
「これは名誉毀損に当たりますね」「刑事罰の対象になりますよ」
「スクショ保存しました」「通報します」
こうした言葉を目にしない日はない。
それらは一見、冷静で知的で、法律という“客観的な正しさ”に基づいているように見える。
だがその多くは、法的に正しくない。
“名誉毀損”と叫ぶ者のほとんどが、「公然と事実を摘示し…」という要件すら知らない。
“違法”という言葉を多用する者が、実際にどの法律のどの条文に基づくのかを説明できることは稀だ。
**知性という仮面を被った「感情の反撃」**が、法律という言葉にすり替わっているだけなのだ。
第二節:「法律」ではなく、「言葉の権威」を振りかざす人々
本来、法律とは中立性と慎重さを要する道具だ。
そして「違法かどうか」という判断には、事実認定・要件該当性・違法性阻却・公益性・損害との因果関係といった複雑な検討が伴う。
しかしSNSでは、それらを一切経ずに「私は傷ついた。だから違法だ」と語られる。
まるで、感情の側が正義であるかのように。
その構造の背後には、「法律」という言葉が持つ**“知的な権威”がある。
言葉の力で相手を封じ、“知性があるように見せかけることで自分の正当性を確保する”**。
これは法律の道具化ではなく、法律の演出化である。
第三節:法律ごっこの裏にある、自己防衛と承認欲求
なぜ人は、専門性もないまま“法律用語”を振りかざすのか?
そこには2つの心理がある。
自己防衛:「傷ついた私は間違っていない」と証明するために、“法”の力を借りる
承認欲求:「私は正しく、あなたは間違っている」と、周囲の共感を得るために、“法的っぽさ”を演出する
こうして、「私は傷ついた → 相手が悪い → 相手は違法 → 相手を社会的に罰してよい」という、
非常に危うい飛躍が正当化されていく。
しかもそれは、「私は詳しい」「私は冷静」「私は正義」という自己演出を通じて、
“知性っぽい人格”を装う装置として機能している。
結語:その「正しさ」は、誰のためのものか
法を語ることは、力を持つ。
だが、その言葉は本当に法に忠実だったか?
それとも、自分の傷や怒りを補強するための仮面だったか?
知性を語るならば、その知性はまず“自分の感情”に向けられるべきである。
正しさは、相手を制圧するためにあるのではない。
「私は冷静だ」という演出のためにあるのでもない。
本来それは、「何が本当に公正か」を問い続けるための、自分への問い直しの手段であるはずだ。


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