【 20 】
舞踏会が近づいてくる。
りか様は、準備に忙殺される。
そして、あの青年に・・・・・
わたしがりか様にお目通りできる機会はめっきり減ってしまった。
晩餐と、そして夕刻のお酒を運ぶ時だけ。
それでもお疲れのご様子が、わかる。
玲瓏なお顔は、一層白く透き通るようになり。
しなやかなお身体は、また細くなられた。
それは凄みを感じさせるほどのお美しさで。
お姿を盗み見るだけで、胸の鼓動が跳ね上がるほどに。
わたしの想いは、ただ重なるばかり。
こんなにお側近くにいるとはずなのに、胸の中の炎は一向に衰えることもなく。
触れていただけない切なさが日毎に重なってゆく。
火照る肌が、じりじりと焼けるように痛みだす。
それはわたしの心を侵食する痛みとなって。
肌を沈めようと、沐浴する。
あの方と同じ薔薇の香油を垂らし。
身体中に香りを伸ばす。
腕に、脚に、胸に、そして全身にと。
むせ返る様な香りが、苦しい。
思わず身体を抱きしめる。
わたしの欲望が滲み出す。
薔薇の香に混ざり立ち上る。
どんな形でも構わないの。
ただ、りか様が欲しいだけ。
何にもいらない。
どうなってもいい。
どうして、わたしたちはひとつになれないのかしら。
どうしたら、わたしたちはひとつになれるのかしら。
りか様とひとつになれるならば、わたしなんてどうなっても構わないのに。
苦しい。
苦しい。
りか様を愛することが、こんなに苦しい。
分かっていたはずなのに、だけどわたしは張り裂けてしまいそう。
抱きしめる身体が、震える。
胸の底から、ざらざらしたものが競りあがってくる。
それは嗚咽となり、涙となる。
りか様の香りに包まれながら、
心はただ咆哮するように乱れ。
わたしはただ嗚咽するだけ。
そしてわたしは髪を整え。
紅をさし。
絹のストッキングを巻き上げて、夕刻の用意をする。
蜀台を掲げ、あの方のお部屋へと向かう。
「りか様」
ランプの仄暗い光の下、りか様がこちらをお向きになる。
「ああ、ありがとう、かおる。」
此の頃はいつもそっけないお返事。
そしていつもならば、そのままわたしはお部屋を出る。
なのに、脚が動かない。
りか様のお姿に、身体中が凍り付いてしまったように言うことを聞かない。
わたしは盆を持ったままそこに立ち尽くす。
りか様がわたしに気がつかれる。
ゆるやかにわたしにお顔を上げる。
りか様のお顔は変わることなく、麗しく。
少しお疲れではあるけれど、目元が柔らかく微笑む。
「どうしたの?」
「いえ・・・・あの・・・」
自分でも全く予期していない涙がこぼれた。
「かおる?」
りか様がお目を眇める。
「いえ・・・・いえ、なんでもございません。」
わたしは急いで顔を背ける。
肩が震えだすのが分かる。
りか様がゆっくりと立ち上がる。
黒レースのブラウスが、暖炉の火をうけふわりと揺れる。
わたしの方へと足を向けられる。
「いえ・・・・・・本当に。」
「かおる。」
りか様の目がわたしを刺す。
虹彩が強く揺れる。
「きゃ・・っ」
わたしは盆を取り落とす。
脚元に粉々に砕け散る、硝子の欠片たち。
「今・・・今片付けますので。」
あたふたと屈みこみ、煌く欠片に手を伸ばす。
「あ・・・つっ!!」
指を傷つけてしまった。
いつしかりか様は、わたしの傍らに立っていた。
「どうしたの?かおる。」
答えられない。
答える言葉などない。
「そんなもの、放っておいて構わないわ。」
りか様は腕をわたしに回し、ベッドに座らせる。
「深い傷ではなさそうね。」
「だ、大丈夫です、このくらい。」
引っ込めようとするわたしの手はりか様に引き戻される。
「お貸しなさい。」
そっと指をお口に含まれる。
傷口にりか様の舌の感触が、直に伝わる。
わたしは、それだけで、動悸が跳ね上がる。
胸の底は、また溶け出す。
零れる涙が止まらない。
「かおるは・・・・泣き虫ね。」
りか様が、微笑まれる。
「傷が、そんなに痛かったの・・?」
わたしは、ただ、首を振るばかり。
「じゃあ・・・・どうして?」
りか様の前で、嘘は付けない。
わたしにも、わからない。
何といったらよいのか、わからない。
子供のように、泣きじゃくり、首を振るばかり。
頬に唇が触れる。
それはびろうどのように、繰り返し、繰り返し。
乱れた髪の間の、涙の跡を追うように。
さっきまでの焦燥感が、緩やかに溶けてゆく。
わたしは、いつの間にかりか様のお膝に抱かれ。
子供のようにあやされる。
涙で乱れた髪を、ひとつひとつは指で払いのけ、滑らかなりか様の頬が顔に触れる。
わたしは糸を無くした操り人形のように、ぼんやりと。
りか様の前での醜態が、自己嫌悪の波となり動く気力すら無い。
りか様がわたしの顔を覗き込む。
「どうしたというの・・・・?
言ってごらんなさい。」
りか様の微笑み、わたしには抗えない。
言葉を選ぶ余裕など無く、ただ搾り出すだけ。
「苦しくて・・・・」
「どうして?」
「・・・・わたしが、身の程知らずなだけなのでございます。」
りか様は、わたしの顎に手をかけて、唇を遊ばれる。
「なにが、身の程知らずだと?」
羞恥に思わず顔を背ける。
「わたしは・・・わたしは・・・・・・りかさまが・・」
想いが胸の底からせり上がる。
言葉が又、詰まる。
「わたくしが・・・・?」
りか様は何もかもご存知のような瞳をしていらっしゃるに違いない。
愚かなわたしを、呆れてしまわれていたらどうしよう。
その恐怖に、わたしは小さく震え出す。
「寒いのね、かおる。」
そう仰って、そっと抱きしめてくださる。
背中にりか様の柔らかな胸を感じ、動悸が高まる。
「・・・・・・ほしいの?」
小さく、うなずく。
はしたなさで、顔が染まり、顔を覆う。
微かに暖炉のはぜる音がする。
羽のように頬擦りされ、わたしはりか様に抱き上げられ、
天蓋の下へと導かれる。
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