【 18 】
蝋燭の火が揺れる。
かおるの顔に翳がさす。
炎が不確かに揺らぐ、それはわたくしの心を映すように。
風の軋む音がする、それはわたくしの心を揺らがすように。
レースのカーテンがそよりと蠢く、まるで心を撫でるように。
窓が薄く開いている。
ベッドを降りて、ガウンを羽織る。
小さく上下するかおるの剥き出しの胸に手を当てる。
心というものが、もし抉り出せるものならば、
わたくしは迷い無くそうしていたかもしれない。
振り切るように、手を離す。
わたくしだけを見つめ、わたくしだけを信じ、
この子はここで眠っている。
頬の幾筋もの涙は、わたくしへの想いの証。
そしてわたくしは窓辺へ向かう。
フランス窓からバルコニーへと出る。
夜空の彼方には、暗緑色の帳が下りて。
海原の遠くから、軋むようなざわめきが忍び寄る。
風は湿りを帯び、肌に粘りつくようで。
生温い空気の流れを受けながら、わたくしは立ち尽くす。
嵐が来るのかもしれない。
ゆうひに放った言葉。
それは、思いも寄らないほどにわたくしを縛り付けていた。
わたくしが、わたくしである為に投げ打ったもの。
なんの後悔もあろうはずがない。
列強の犇めき合うこの大陸で、新進の英国がのし上がる為に。
そしてわたくしがわたくしであり続ける為に。
拠り所となるものなどありはしなかった。
わたくし自身しか。
上ってきた階段は、恩寵や偶然の賜物などではなく、
わたくしの努力と計算と才能によるもの。
妹すらもその道具として使うことに、なんらの躊躇も無かったほどに。
風がひとつ強く吹き、髪が乱れる。
わたくしに絡みつくように、そして踊るように。
わたくしは、髪を払い遠い海原を見つめる。
そして傍らには、ゆうひとかおるがいた。
それは理性と感性との攻めぎあいにも似て。
海賊の真似事で、出世への階段に足をかけた。
冷徹な策謀と、的確な戦略で階段を駆け登った。
所詮はゲームに過ぎない。
限られたパイの中で、どれだけを奪い取れるかのパワーゲーム。
その力は、奪うパイで決められる。
階段を上ると決めた遠い日から、
わたくしは奪うことのみに全力を注いだ。
そこに必要なものは、鋭敏で大胆な理性であることは本能で理解できた。
だから、わたくしは神を信じない。
信じられるものは自分だけだから。
風に微かに水滴が混じる。
わたくしは苦く口の端を上げ、部屋へと戻る。
燭台を持ち、天蓋のカーテンを開く。
かおるが崩折れたように、横たわる。
蹂躙されても尚、その頬は仄かに薔薇の色を纏い。
煙るような睫に溜まる涙は、どんな深海の真珠よりも美しい。
わたくしはたよりない光で、その顔を見つめる。
わたくしの本当に信じたいものは何なのだろうか。
かおるの髪の一筋一筋が、その瞳の瞬きが、全てがわたくしを求める。
それは狂おしいほどの情熱で。
生まれたばかりの幼子の、何事をも恐れぬ程の一途さで。
そしてわたくしは、その度に気づかされる。
自分がそれ以上にあの子を求めていることを。
捨て去るべき情熱が、愚かしい感情が、
あの子にだけは押さえきれず、濁流のように溢れ出てしまうことを。
その浅ましさ醜悪さが、いつしか浄化して清らかに気高いものとなる。
いや、なるならば、と見果てぬ夢を追い求める。
そう、かおるは見果てぬ夢。
そして、わたくしは夢を足枷に彷徨う囚人に過ぎないのかもしれない。
わたくしは、その答えを知っている。
「・・・・りか・・さ・・ま・」
小さな唇が形を描く。
そっとわたくしは唇を重ねた。
かおるの薄い肩甲骨の浮いた背に、鼓動を重ね。
薄い肌を走る血の流れすらも感じながら、深い闇に溶けるように。
目覚めた頃には、もうりかさまはいない。
わたしはどろりとした重さの残る身体を引きずり、
ベッドで寝返りを打つ。
わたしの耳には、あの方の声だけが。
わたしの鼻には、あの方の香りだけが。
わたしの目には、あの方の姿だけが残る。
枕元に一筋の黒髪が落ちている。
わたしはそれを摘み、握り締める。
まるで、あの方を求めるように。
わたしはどうすれば、あの方に近づけるのだろう。
どうすれば、あの方に。
部屋に戻り、ドレスを脱ぐ。
ブラウスとパンツに着替え、屋敷を見回る。
りかさまのいらっしゃらない時は、わたしは時間を持て余してばかり。
あの貴族はりかさまに付き添って出かけていった。
わたしは影なのだと分かっていても、
昨夜の忌まわしい記憶を封印しても、
尚も妬ましい気持ちが滲み出してくる。
物思いに耽りながら、いつしか薔薇園に来ていた。
薔薇を摘む、まだ少女といっていいような女性が目に入る。
「チカ様、何を・・」
チカというあの方の妹君が、驚いたように目を上げる。
「お召し物が汚れます。
薔薇でしたらわたくしが摘んで参りますのに。」
わたしの言葉に、チカは少し戸惑ったように目を伏せる。
「ありがとう・・・・
でも、こうしているほうが気が紛れるの・・・」
小さくあどけなさの残る顔で微笑んだ。
そして、口をつぐみ又薔薇を選び始めた。
そう、チカの乗っていた船が海賊船に襲われたのだ。
海賊に略奪された船に、乗っていた姫君。
人の口に戸は立てられない。
良からぬ噂が立つ前にと、りか様はチカの婚礼を早急にお決めになられた。
その海賊は、黄金の髪をなびかせ、天使の微笑を持つという。
かつてのサンタ・カタリーナ総督の息子。
名前はタニ、と言った。
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