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【 16 】














夏の香りを含んだ風に、朝の光が緩やかに舞う。
薔薇は夜半の露を含み、溢れるように咲き誇る。




わたしは細いリボンで髪を結ぶ。
あの方のお好きな、血のような赤。
ブラウスにサッシュを巻いて剣をとる。
いつの日か、またりかさまのお側で戦う為に。
あの方の為に一滴でも多くの血を流す為に。
振るう剣はしなやかに、風を切る音が心地よい。
薔薇の香に包まれた風を切り裂きながら、
わたしのはいつしか、りかさまのお側にいる。
あの方の微笑みに包まれた、血まみれのわたしがいる。






「随分と早くから、ご熱心なことね。」



屋敷から夜着のままの貴族が降りてくる。
わたしは無言で、剣を降り続ける。
いきなり貴族は笑い出す。


「なにか・・・?」
「いいえ・・・あまりご熱心なので、
 どうかなすったのかと思っただけ。」
冷たく口の端を上げたまま、私の目を見つめ返す。
「剣の稽古ですが。
 身体がなまらないように。」
「まあ、ご立派なこと。
 で、それはなにかのお役に立つのかしら?」
「りかさまをお守りする為です。」
貴族は呆れた様に口を開く。
「では、あなたはまだりかさまがそのような蛮勇を必要となさるとでも・・・」
「え・・・・」
「あの方は既に、指一本で軍隊を動かすお方なのよ。
 もう海賊ふぜいではないということが、
 あなたのそのかわいらしい頭にはお分かりにならないのかしら?」
わたしは何故か、頬に血が上る。
貴族が白い指でわたしから剣をもぎ離す。
「わたくしたちが今すべきことは、
 来るべき総督就任の祝賀会をいかに成功させるかということ。」
指で剣を弄ぶ。
「それには、このようなものは必要なくってよ。」
そして切っ先をわたしの胸へ。
「そんなに差し上げたいのならば、あなたの血でもさしあげることね。」
ブラウスのリボンが解ける。
「まあ、そのくらい弁えることね。海賊上がりさん。」




わたしの剣を汚いものでも見るように、貴族は投げ捨てる。
くるりと後ろを向いて、屋敷へと消えて行く。





わたしにできることは、ただ立ち尽くすだけ。
あの女の前で、顔色一つ変えたくなかった。
のろのろと剣を拾い、屋敷に戻る。


わたしはただ、あの方のお役にたちたいだけ。
そして、少しでも愛して頂きたいだけ。
いいえ、少しではないわ。
狂おしいほど、愛して頂きたい。
それがどれほどにあさましい事であろうとも、
わたしはあの方とどこまでもご一緒したいの。

それがたとえ、死、というものであっても。










ゆうひは夜着を脱ぎ捨てる。

ああ、どうしてあんなにも目障りなのだろう。
りかさまは総督へと駆け上り、わたくしはその傍らにいるはずなのに。
逢魔ヶ刻の影のように、ぼんやりと、
でも確実にあの子はりかさまの後に寄り添っている。
それはとても幼くて、プリミティブともいえるような魂の発露を剥き出しにして。
愛されるべきはわたくしのはず。
わたくしはあの方と同じブルー・ブラッドを持つ者。
あのような下賎なものなど、お目にかけるだけでも汚らわしいことなのに。
あのエキゾチックな美貌とあさましさだけで這い上がってきたくせに。
りかさまに愛されているのでは、などという幻想を抱くことすらおこがましくて寒気がする。



胸の詰った貴族らしくエレガントなドレスに身を包み、
わたくしはりかさまの執務室に向かう。




















屋敷に蜀台が灯る頃になる。
わたしの時間は、日々早く過ぎてゆくように感じる。
運命の歯車は、その回転を早めていた。






シャンデリアと薔薇で埋め尽くされたダイニング。
りかさまとわたしと貴族とのディナー。
りかさまは近頃、また一層お痩せになってしまわれたよう。
そして双眸は一層輝きを増し、蝋たけた白いお肌は透き通るよう。
そのために凄絶な美貌は、一際輝いている。
この方は、わたしと同じ人間なのだろうか。


「今夜はワインの回りが早いわ。」
「少しお疲れなのでは?」
横から貴族が口を挟む。
「そんな疲れた顔をしていて?かおる?」
「いいえ・・・いいえ、
 りかさまはいつにも増してお美しゅうございますわ。」
ディナーの席でお話するのは、いつも緊張してしまう。
まともにりかさまの目すら見ることができない。
「お身体を休ませなくては・・」
貴族が尚心配げに言う。
「海賊どもが来るとしても、何かの混乱に乗じようとするに相違ございません。」
「でしょうね・・・・・恐らくは祝賀会の前後。」
「命知らずならばその日ということもありえるかもしれません。」
「地下室の警護はどうなっていて?」
「常時見張りをつけております。」
「ラッカム達の様子は?」
「暴れは出来ない程度に、生きているかと。」
「まあ、囮としては十分ね。」
「ええ、ですからりかさまがお気になさるようなことではございません。」





わたしはこういう話には入らない。
貴族とわたし、りかさまのお仕事へのお役目が違うから。
分かっていながらも、りかさまがお話する艶やかな唇を目にするだけで、
そのお声を耳にするだけで、わたしの心はざわめいてしまう。
ああ・・・・・



「・・・・・・そうね。
 気晴らしが必要かしら。」
そういうりかさまの視線が、こちらに投げられたような気がして、
わたしの心臓は跳ね上がる。
「そうですわね・・・・りかさまがお望みならば。」


ディナーはデザートが運ばれる段になっていた。
苦いほどのチョコレートに淡雪のようなクリーム。
りかさまはお口に運ばれる。
「これは・・・・なかなかいいわね。」
「ええ、苦さと甘さのバランスがとても。」
りかさまと貴族の話す中、わたしは黙々とスプーンとナイフを口に運ぶ。
「かおるは、どう?」
いきなりりかさまの声がする。
「え、お、美味しいです。」
「そうね、このアンバランスな風味が混ざると素晴らしいハーモニーとなる・・・・」
りかさまは少し嬉しそうに、微笑まれる。
わたしも嬉しくなり微笑む。

「ゆうひはこういうものが好きかしら?」
「そうですね、稀には対極のもので素晴らしいハーモニーを奏でることもありますわね。」
「それは・・・・・食べ物だけとは限らないかしら。」
りかさまが貴族と目を合わせ微笑んだような気がした。
わたしは少し首筋が冷たいような気分になってしまう。

「かおるは、どう?」
りかさまがこちらに微笑を向ける。
わたしはそれだけで胸が苦しくなり、頬が赤らむのを押さえられない。
「は、はい・・・とてもおいしゅうございます。」
「まあ、それだけ?」
貴族がいかにも見下したかのように言う。
でも、私はりかさまにお言葉をかけていただいた嬉しさで気にも止めない。



「では、かおるはいつものように後でワインを運んでね。」
「はい。」
「今夜は白いドレスがいいわ。」


りかさまの言葉にわたしの鼓動が高まる。
白い、乙女のドレス。
ネックレスは真珠にしよう。
りかさまがやはり港でくださった。
南洋の人知れぬ深海で眠っていたと言う、大粒の一点の曇りも無い。
処女のような真珠。


ふわりふわりと思考が揺らめいている内に、りかさまはお立ちになる。
わたしに微笑みかけ、何事かを貴族に囁く。










蝋燭の火がゆらりと捩れる。

わたしは夢心地のまま、ディナーを終えた。





















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