【 15 】
小さな輪が赤く渦を巻く。
わたしは必死に血をこそげ落とす。
下賎な血など、一滴も残らないよう。
手の甲が腫れそうなほど擦り合わせ。
あのじめついた黴の匂いを落とさなくては。
りかさまのお好きな薔薇の石鹸を身体中になすりつける。
わたしと貴族と、交互に鞭を振るった。
あの方の視線を背中に感じながら。
わたしたちは同じ言を思っていたのだろう。
りかさま、わたしを見て。
あなた様のためならば、わたしは鞭をふるい刀を抜く。
血を被り、呻き声を浴びる。
あなた様のためだけに。
力無く横たわる二人を後に、わたしたちは地下を後にした。
「あとは待てばいいわ。」
りか様は満足げに、わたしたちに交互に口付ける。
そして、わたしは今宵もりか様のお部屋に伺う。
血と黴の匂いの染み付いた服は、捨ててしまおう。
白く柔らかな、羽根のようなドレスを。
両肩に垂れる巻き毛には、薔薇の香油を染み込ませ。
りか様のお好きな、開きかけた薔薇の蕾のように。
湯を浴びた肌が、ほんのり紅に染まっている。
抜けるような白い肌に、恥じらいが浮き上がるような。
小指に淡い紅をとり、柔らかく唇に這わせた。
「りか様。失礼致します。」
重い扉の向こう、あの人は寝椅子にしなだれかかり、
グラスを傾けながらこちらに顔を回す。
「かおる・・・・・いらっしゃい。」
わたしはこの上もなく幸せな微笑で、はしたなくも走り寄る。
りか様に跪くわたしの顔を、細い指が辿る。
そっと髪に指が絡められ、わたしの頭をあの方の胸に。
薄いレースのブラウスを隔て、微かに心の臓の音がきこえてきそう。
わたしはうっとりと胸に顔を埋め、りかさまは物憂げにグラスを傾ける。
「よくやってくれたわね。」
「いいえ・・・いいえ・・・・
りか様のためですもの。」
頬に手がかかり、わたしの顔はりか様の顔に向けられる。
その微笑みは、切なさと寂しさとの翳りを微かに帯び、
そこはかとなく上気して感じられるのは、暖炉の明かりのせい?
呆けたようにぼんやりする唇に、りかさまの唇が重なった。
それは荒々しいほどに突然で。
いきなりにわたしを吸い尽くそうとするほどの欲情を秘めて。
「あなたは美しいかったわ。
わたくしの思う以上に。」
ああ、わたしはこの唇に麻痺してしまったように、
お言葉に言葉を返す事すらできない。
「だから・・・そうね・・
ご褒美をあげなくては。」
胸が震える、口付けですらわたしには過ぎた褒美なのに。
りか様の華奢な手に、わたしの手を重ねる。
揺らめく暖炉の明かりを背に受けて、天蓋の寝台へと。
ふわりと座らせられ、わたしのドレスは花のように広がる。
そんなわたしを、りか様は目を細めて見つめてくださる。
「あなたはいつも、美しいわ。」
そんな呟きが、わたしの頬を赤くさせる。
抜けるような白い肌。
深い深い黒曜石の瞳。
愛らしく小さな口元。
どんなに血に塗れても、
まるで穢れを知らない天使のような風情をまとったあなた。
「さあ・・・・」
かおるは細い首を傾けて、恥らうように釦を外してゆく。
わたくしの意にどこまでも添ってくれる。
わたくしの思いの深さは分からないとしても。
わたくしたちはどこか、そう深いところが似ているのかもしれない。
折れそうな細い肩、深い鎖骨、まろやかな胸が剥き出されるように花開く。
あの方はわたしを見つめるばかり。
なにか、意に添わない事でもしてしまったのかしら。
煙ぶる睫が小さく震え、瞳が上がる。
「りか・・・・さま。」
不安そうな声音、わたくしは堪らぬ愛おしさに震える。
形の良い顎に指をかけ、今度は軽く柔らかな口付けを。
唇が嬉しげに小さく弧を描く。
あんな血の匂いは、嫌い。
わたくしが求めるのは、もっと清涼な香り。
白磁の肌に散る、薔薇の花弁。
恍惚の眼。
立ち上る体臭に、芳しく香る微かな血の香り。
「かおる、そちらを向きなさい。」
天使の羽の名残のような、薄い肩甲骨。
滑らかにくっきりと浮き上がる背の骨。
少女めいた身体なのに、艶やかな線が浮き上がる。
花瓶からひとつ。
そう、一番香りのよい薔薇を・・・・
「・・・・・・あっ・・」
傷一つ無かった背中に、薄く紅色が浮かび上がる。
そして、もう一度。
「ぁぁあ・・・っ 」
ああ、りか様の息遣いが聞こえる。
わたしの背は、この方の薔薇で埋め尽くされる。
この痛みはなぜこうも心地よいの。
まるで傷口の一つ一つから、りか様が溶け込んでくるみたい。
わたしは苦しさではなく、嬉しさに悶え続ける。
鋭い薔薇の棘はまるでりか様のようにわたしを刺し貫く。
あなたへの思いが、血となり滲みだしてゆく。
その露骨なまでの身体の反応が恥ずかしくて、
わたしは俯いたまま、りかさまの熱情を喜びで受ける。
薔薇の花弁が震える度に、弓なりに反る白磁の背。
ほんのりと色づいてゆく首筋は、苦痛だけではないはずよ。
あなたはわたくしを痛いほどに感じている。
わたくしがあなたに感じているほどでは無いにしても。
華奢な背中に走る、細い紅の痕。
染み出すのは狂おしいほどの、隠微な薔薇。
わたくしを引きずり込み、狂わせる薔薇を持つ。
従順で可愛い、わたくしのかおる。
「・り・・か・・・さま・・・」
耐えられないほどに上がる、切ない吐息。
ひたすらにわたくしを呼び、求め。
あなたが望むものは、なんだってあげるわ。
あなたはわたくしの奴隷であり、
けれどもわたくしの主人でもあるのよ。
わたくしは薔薇を振り下ろしながら、刹那の夢に浸る。
手にした薔薇の花弁が、かおるの上に散る。
ひとつ、またひとつ。
あなたの身体に滲み出す微かな薔薇と絡み合い。
それは妖しい文様となり、わたくしは薔薇をふるい続ける。
それはまるで、あなたに茨の戒めを纏わせようとでもするように。。
かおるとわたくしの血が溶けあい混ざり合う。
そして息絶えること。
りか様の舌がわたしの背を這ってゆく。
傷跡を一つ一つ確かめるように。
恥ずかしいほどに昂まってしまった身体。
駆け巡る熱は、いまだ燻りすらしない。
わたしは両の腕を開き、あの方をかき擁く。
言葉はとうに失ったわたしたちは、
狂おしく抱きしめあい、隅々までを貪りあい。
からめあい、撓りあう。
熱を帯びた痛いほどの口付けの波間で翻弄される。
そしてわたしの欲情は、ただ一つに収斂する。
この方とひとつになれたらと。
「 ああ・・・・・・・・・りかさま。 」
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