【8】
火の海よりも紅い薔薇を摘もう。
サンタ・カタリーナ、今は私達の島。
あの方のお好きな薔薇、中でも選りすぐりの美しいものを。
侵入者の気配に、薔薇の群れが小さくそよぐ。
一体誰が来たというの、ここはりか様の薔薇の園だというのに。
目を上げた向こう、瞳よりも蒼いドレスを纏った貴族が立っていた。
生まれながらの、酷薄で怜悧な美貌のままに。
金の後れ毛を風にそよがせて、わたしに目を向ける。
あの海で野垂れ死んだと聞いていたのに。
運命が余程の気紛れを起こしたらしく、
通りがかりのイギリス船に助けられてしまったとか。
私はあの夜を忘れはしない。
だけど、思い出すこともしない。
私には、ただ、あの方がいるだけだもの。
チカ様の持参金代わりの財宝は、軒並み海賊に奪われてしまったとか。
役に立たないのね、あなた。
「勝手に花を盗るような真似は、やめて下さる?」
白皙の額を強張らせ、見下すような口調で私を睨めつける。
私はゆっくりと口の端を上げて、苛つくほどに無邪気な微笑をしてあげる。
「りか様の、お言いつけよ。」
その海賊は、あの日私の手からすり抜けていった彼だという。
どこでどうやって、そこまで身を持ち崩したものか。
いいえ、よく生き残ったものだわ。
「それは、間違いがなかったの?」
「はい、りか様。
たしかにあの時の、総督の息子に御座いました。」
その時、あの方の瞳に煌いたもの。
私は身悶えするほどの、思いに駈られる。
ああ、どうしてりか様は、私だけを見てくださらないの。
あなた様の目の前で、あの男を切り刻んでしまいたい。
その血を浴びながら、あなた様に愛して頂きたい。
処女色の純白のドレス、艶やかなブルネットの巻き毛。
あどけなさそうな紅い唇、黒々とした瞳で何を夢見ているの。
その高い襟の下、その膨らみの奥でいつもあの方を求めている。
その浅ましさに、我慢がならないのよ。
「あなたに薔薇が、選べるの?」
「ええ。」
流れる細い眉が、罅でも入ったように顰められ。
透けるほどの蒼の瞳が、強張るように歪み。
りか様が、時にはあなたを部屋へ通すのは知っている。
でも、それはあなたと過ごしたいからじゃない。
身悶えする私を見たい、ただそれだけのことなの。
あの方のお望みならばと、私は身悶えして切ない涙を流す。
あなたなんか、大嫌い。
「どうぞ。」
手折った薔薇を、差し出した。
選んだのは黄色のそれ。
うつくしい金髪に、よく映えるわ。
あなたの為、わざわざ選んであげたのよ。
口唇を薄く引き結ぶ。
この勝ち誇ったような態度は、どういうこと。
わたしが帰って来た時の、あの口惜しげな顔は忘れない。
わたしがりか様に召された朝は、いつも目を赤くして朝食についているくせに。
その手の黄薔薇は、あなたにこそお似合いよ。
「ありがとう。」
冷たい微笑を浮かべながら、私の手から薔薇を取る。
流れるようにその手は反りかえり。
「 あっ ・・・・・ !」
黄色の花弁が空に散る。
頬に棘が走る。
薄く血が匂う。
「あなたの方が、ずっとお似合いよ。」
そして私に投げつけるようにして、貴族は去っていった。
血のような薔薇の束を胸にかき擁き、
この微かな痛みは、貴族の罅割れた心の痛み。
私は我知らず微笑んでいた。
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