ヤマハさんは、できれば
125のビーノを出してほし
いなぁ。原付2種規格の車
とデチューンした新原付
(四輪免許で乗れる旧50と
同等の出力、同様の法規
制対象車)の二本立てで。
なぜならば、ヤマハのフ
ラッグシップモデルとい
えば、実はビーノでしょう
という位に多く売れて、斜
陽しかけていた90年代末期
の原付ブームに再度火を点
けて原付バイクをその後27
年に亘り存続させたのだか
ら。
ヤマハビーノは1997年の
初期型から最終型までを
総合すると、全部でマイナ
ーチェンジを合算すると80
数機種に及ぶ。日々改良が
加えられてきた「ヤマハの
生きる二輪車」だったとい
える。
ヤマハならビーノ(笑
R1はヤマハの技術の粋だが、
R1が実質的なフラッグシッ
プではないという面がある
にはある。
ヤマハといえばレーサーTZ
という程に、公道市販車で
はビーノが定番というのが
歴史の実相だったといえる。
ヤマハ=これ、という車は
歴史の中でたびたび登場し
てきた。
RD、TZ(市販レーサー)、RZ
(海外ネーミングは水冷RD)、
SR、FZ・・・そしてVinoだ。
ヤマハは1977年にパッソル
を登場させて、10年程廃れ
て不存在となっていたスク
ーターを日本に復活させた。
ヤマハが打ち出した新ネー
ミングの「ソフトバイク」
という新語は定着しなかっ
たが、その後世の中では原
付ブームを背景に「ミニバ
イク」「ファミリーバイク」
という言葉が生まれ定着し、
その言葉は現在報道だけで
なく保険業務でも正式に使
用されている。
そしてヤマハこそが1977年
以降、日本国内に原付スク
ーター大ブームを引き起こ
した。
買い物、通勤、通学には原
付スクーター、という国民
の足として、文字通りのモ
ータービークルをヤマハが
生んだのだった。
まさに日本におけるモーター
リゼーションの発達発展に
大いに歴史的に寄与したの
がヤマハだった。
さらに1990年代に入り、再
びミニバイク需要が急降下
し始めた時代に、ヤマハは
ビーノを発表して再び歴史
の流れを原付普及としてた
ぐり寄せたのだった。
ホンダも頑張ってレトロ調
の原付を作ってはいたが、
原付スクーター需要の再燃
を起爆剤投入のように1997
年に点火したのはヤマハだ
った。ヤマハ再び、だった。
新原付制度施行の新時代の
幕開けの今、私はヤマハ原
付ビーノ125の登場を心待ち
に望む。
ヤマハ三度(みたび)として。
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