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【3】








広間で大時計が、物憂げに時を告げる。






「リカ様、航海のことでご相談が。」


長い指が面倒くさそうに、ゆるりとグラスを弄ぶ。
「後で部屋に、いらっしゃい。」
貴族の後姿に、言葉を重ねる。
「戦いに行くような格好はやめて。
 疲れるわ。」
金に縁取られた極上の笑みを浮かべ、扉口でゆうひが振り向く。
「あなたさまの、お気に召す様に。」




言葉を聞きながら背中が強張る。
からかうようにリカ様は、わたしの顔を覗きこむ。
黒く煌く虹彩は、わたしの心を舐めまわすよう。
それだけで、身体の芯が熱く痺れだす。


「今夜は強いお酒がいいわ。
 少し、疲れたから。」.



上気した頬、酔わされたようなかおるの頬。
何処までも無垢な少女じみた顔も、一興だ。
「ゆうひが伺うと、申しておりました。」
薔薇よりも艶やかに微笑んであげよう。




「そんなにかかる話では、ないでしょう。」











ランプを覆い、灯りをともす。
大時計の音に、耳を澄ませる。
荒野に閉ざされた領地には、霧が重く立ち込める。
世界は、灰色に沈んでいく。




全ての音を吸い込んでしまうような静謐に浸されて、湯を浴びる。
あの方と同じ薔薇の香油を、そっと垂らしこむ。
水面に広がったそれは、やがて蒸せ返るように立ち昇り、
わたしは息苦しいほどの香りに包まれる。
あの方の香りに、全身を陵辱され征服され尽くし。
眩暈がするほどに、わたしの心は悦びに打ち震える。





今夜は髪を結ってみようか。
鏡にうつるわたしは、淫らなまでに肌を上気させて。
髪をかき揚げ、薄く唇を開く。
その時には、どんな顔をしているのかしら。
あの方に、少しでもいとおしく思っていただけるのかしら。



あの方のお呼びは、まだ来ない。



慣れないことは止めておこう。
銀細工の櫛を外す。
あの貴族の眼差しが、甦る。
梳いた髪を綺麗に巻いて、丁寧に薔薇の香油をのばす。
この髪の一筋一筋までも、あの方のお気に召すように。



時計はまだ鳴らない。



白いドレスは二人だけの時のもの。
あの方は、薔薇がお気に入り。
蕾が綻びかけたような、薄い薔薇の色にしよう。
あの方に、散らしていただけるような。
唇は少しだけ紅く染める。
あの方を、誘うように艶やかに。
上気したままの肌は、想いに息づいたような色を帯びたままに。






小さな寝台の上に、靴下を広げてみる。
白は今日は、だめ。
紅色は少し品が無い。
肌が透きとおる、薄い薔薇色はどうかしら。
脹脛から太腿へ、舐めるように絹を巻き上げる。





黒檀の宝石箱から、水晶のブレスレットを摘み上げる。
どこの港で買ったのか、もう思い出せないくらい海に出た。
夏の漣を写したような石が、気に入った。
港の物売りから、あの方が買ってくださった。


潮の香より強い、あの方の香りが懐かしい。
波の音が響く船室で、あの方に愛された。
細い手首で、ブレスレットが揺れる。






厨房から選んできたグラスを手にとってみる。
精巧に施された細工が、灯りをうけて煌いた。
あの方の指には、剣よりグラスのほうがよく似合う。


あの貴族もそんな手をしていたわ。







灰色の闇の奥、霧が重く雨に変わる。











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