生活保護バッシング 「権利の制限があって仕方がない」は正しいか
貧困は一部の人たちだけの問題なのか。「貧困とは何か」(ちくま新書)の著書がある、大分大学福祉健康科学部准教授の志賀信夫さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】 【写真】裏金問題で記者の質問に答える世耕弘成・前自民党参院幹事長 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇みんなを縛り付ける ――自民党は2012年衆院選で生活保護水準の1割カットを公約に掲げました。 ◆単に選挙に勝つために、生活保護バッシングにおもねっただけではありません。経済界の思惑があります。 生活保護は働く人の避難場所です。いざという時の逃げ場をなくすことで、働く人をより強く賃金労働に縛りつけることができます。 低賃金で働かざるを得ないとか、劣悪な状況でも働かざるを得ない状況を、貧困状態ではない人もふくめた人たちに強要する効果があります。 現実に今、日本はそのような状況になっています。 ――生活保護基準以下なのに、生活保護を利用せずに生活している人がたくさんいます。 ◆まず、制度的に生活保護を利用しにくくさせるハードルが多くあります。親族に扶養できるかどうかを問い合わせる扶養照会は、政府が主張するような意味では機能していませんが、申請をためらわせる効果はなお強くあります。 もう一つは財産要件、具体的には車の所有です。この二つはからみあって生活保護を利用するハードルを高くしています。 ――制度だけではありませんね。 ◆日本の生活保護だけではなく、世界中の公的扶助制度で、劣等処遇やスティグマ(負の刻印)の問題があります。貧困状態を余儀なくされている人への差別があります。 私は、差別という表現は、少し優しすぎる表現だと思います。ある種の人種化だと言っています。人種は生物学的ではなく、社会的に作られたものです。人種化された集団は社会的に劣っているとみなされます。 貧困問題が社会問題と考えられるようになった当初から「貧困者は遺伝的にどうしようもない人たちなのだ」というように人種化することで、その人たちの生活を監視、管理することが正当化されてきました。 食べさせればそれでいいだろうというような監視、管理が制度に埋め込まれ、それがいまも続いています。 ◇2級市民にする ――社会から排除しようとするのですね。 ◆自民党の世耕弘成参院議員(当時、現在は衆院議員)は、2012年に、「フルスペックの人権」という言葉を使い、生活保護を利用している人について「一定の権利の制限があって仕方がない」と述べました。生活保護を利用するならば市民として認めない、社会から排除する、2級市民にするということです。 ――貧困を一部の特別な人の問題にしようとしています。 ◆日本では特に貧困とは何かについての議論が少ないと感じています。そのために貧困を絶対的、固定的なものとして考えてしまう傾向があります。 日本は社会的な連帯がとても弱く不寛容な社会です。だから貧困に関する関心が低く、議論も広がりません。政治家や研究者だけの問題ではありません。個人が分断され、バラバラにされています。 ◇バラバラにされている ――バラバラというのは実感にあいます。 ◆おカネの力がとても強くなっていて、おカネさえ持っていれば、他者との関係が無くても生活できてしまいます。おカネの力に振り回されていて、それが一人一人に影響しています。 人と助けあうのではなく、おカネの力に頼ってしまう。人間関係がおカネの関係に置きかわってしまっています。 ――そう考えればみんなの問題に思えます。 ◆私たちが分断されると、「底が抜けて」しまいます。逃げ場がなくなると、現在生活保護を利用している人だけではなくて、現役の働いている人たちも、ますます厳しい労働といやな仕事でも依存せざるを得ない状況が完成していきます。生活保護を切り下げることと、労働条件を切り下げることは、お互いが分断されて、下への競争をしていることです。 ――わかりやすい仕組みですが、みえにくくなっています。 ◆生活保護バッシングは下への競争をあおることです。現在の自分の生活への不満を他に向けさせる役目を果たしています。労働者をどう管理するかと考えると分断が一番いいのです。だから世耕さんは、2級市民をつくるような主張をするのです。一人一人を分断するような主張は厳しく警戒しなければなりません。(政治プレミア)