すっかり読まれなくなった『月刊正論』の7月号に、
読売提言への“無駄な抵抗”特集。
その中に私への批判(百地章氏の執筆)もあった。
なので、愛犬“豆大福(豆太郎+大福)”の散歩の合間に、
立ち読みがてら検証。
その3回目。⑥「(旧宮家系)子孫の方々を『一般民間人』❲!?❳と貶め、
皇族として迎えることを否定しておきながら、他方では、
女性皇族の配偶者つまり皇室とは縁もかけら
❲原文のママ。“ゆかり”?❳もない文字通りの
『一般民間人』❲!?❳を皇族にせよ、
と主張するのだから矛盾極まる」文中に、私がこれまで使った記憶が無い
「一般民間人」という語が、2度も使用されている。
何か強い思い込みがあるようだ。それはともかく、ここに男系固執派がよく使う論法が現れている。
旧宮家系子孫の一般国民が皇族になるのは駄目なのに、
内親王·女王の配偶者ならば一般国民が皇族になっても良いのは
「ダブルスタンダード」(八木秀次氏)、
「矛盾極まる」と。しかし、比べ方が間違っている。
婚姻を巡るプランだから、比較対象は
男性皇族=親王·王の配偶者でなければ、
まともな議論にならない。令和の皇室を見ても皆様、元は一般国民だ。
しかし、婚姻という“心情的·生命的”な
結合を介して皇族になられている(皇室典範第15条による)。
このような事は、前近代には全く前例が無かった。
近代以降の全く新しい制度だ。
しかし、それに違和感を表明する者は誰もいない。
既にすっかり定着している。どころか、男系論者らも前例が無かった事実を
知らない有り様。
その無知ゆえに、男性が婚姻によって
皇族になることを皇室史上の大変革のように錯覚している。その前(!)に女性によって、
“婚姻を介して皇族になる”先例がとっくに拓かれている。
にも拘らず、女性皇族=内親王·女王の婚姻の場合“だけ”、
許されないのか。
それこそが「ダブルスタンダード」であり、「矛盾極まる」。生命的結合を基礎とする婚姻と、“法的手続き”だけで
可能になる養子縁組を、同列に扱えないのは自明だ。
皇族の配偶者やお子さまが国民という家族は、
近代以来の「家族は同一身分」という原則を覆す。
更に、憲法の皇室への要請(第1章)と国民に保障する
自由や権利(第3章)の、どちらも危うくする。皇室の尊厳と「聖域」性を尊重する態度が
僅かでもあれば、決して容認できないプランのはずだ。
旧宮家子孫=一般国民を養子縁組で
そのまま皇族にするプランにしても、
“皇族と国民”による家族プランにしても、
男系固執派が皇室の「聖域」性を敬い、
“皇室と国民の区別”を厳格に守ろうとする気持ちを
全く持ち合わせていない(!)本性が、丸分かりだ。特集中、「皇女さまと結婚しただけで
皇族になれるなどと聞いたら、弓削道鏡や足利尊氏は失神するだろう。
『皇族って、そんなに簡単になれるのか?』
と叫びながら」(倉山満氏)という文章も見かけた。叫び“ながら”失神する
(ながら=その動作をするのと“同時に
”他の動作を行う·同じ人が異なる動作を“並行して”行う)って、
書き手の頭の中でどんな妄想が浮かんでいるのか。それはともかく、前近代に生きた彼らは、
男性皇族との結婚による女性の皇籍取得ついても、
全く同じような反応を見せるに違いない。しかも道鏡(弓削は俗人時代の氏の名なので“弓削道鏡”は間違い)
にも皇胤説(『公卿補任』など)があるのは
一先ず横に置いても、足利尊氏は旧宮家系子孫と同じく
“生物学的な意味”では紛れもなく「男系の男子」
(清和天皇から15世)。なので、養子縁組による皇籍取得なんてプランが
実現した日には、ひっくり返って驚くはずだ。
「だったら俺も皇族になれたのか!」と。
旧宮家対象者は崇光天皇から20世以上。
だから尊氏よりも天皇から遠い血縁だ。ちなみに皇籍離脱後の世代数で言えば、
反乱を起こして「新皇」を名乗った平将門が2世代目なので、
ほぼ同じ。
但し血縁は桓武天皇から5世だから、対象者よりも遥かに近い。(続く)
追記
先月のプレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」の記事が
「5月BEST記事」に選ばれて6月23日から再掲載。
社会ジャンルで1位だった。
https://president.jp/category/c03625【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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