@saido3_kamakiri そして全体としてそういう「何が福祉たるか」を市民社会全体で考えようってのが民主主義で、実際には人間に対する福祉もそのように民主主義的合意として成立してるのだし、そこで要請されてるのも科学的データだけではない。 このことからも動物福祉と児童労働の比喩が「著しく乖離」というのは失当。
2025-05-22 14:34:37@AWAZARD1977 その動物福祉という行為そのものが、妥当性の確保の手段として『科学的根拠に基づく判断』を前提とした取り組みなのであり、そもそも仰るように科学的データ以外の要素も必要とされる人間の福祉と動物福祉は表面的な言葉の近似と裏腹に根本的に異なる存在・理念である事をまず理解する必要があります。
2025-05-22 14:38:35@saido3_kamakiri だから実際には動物福祉も、その「科学的根拠に基づく判断」だけを前提とした取り組みってわけじゃない、と言ってる。
2025-05-22 14:41:42@AWAZARD1977 いえ、これは学術用語や言葉の定義の問題でして… 『動物福祉』という取り組みは、人に対する福祉とは根本的に異なるものでして、人に対するようなそれを動物福祉に導入するなら、それはもう動物福祉ではない別の何かなのです。 その点を混同しておられるように感じます。
2025-05-22 14:43:08@AWAZARD1977 そもそもいかに『科学的根拠だけを重視すべきではない』と言っても、例えば患者の感情や主張を福祉実践側が100%の主観で捏造し、でっち上げて『患者はこう感じています!』と事実として喧伝するような事態になれば、いくら『科学的根拠以外も大事だ』と言ったところでそのような行為は批判の対象です。
2025-05-22 14:44:58@AWAZARD1977 動物に対する福祉でも科学的根拠以外の面を導入しようという試みもこれまで存在しなかったわけではありませんが、人間と意思疎通できない以上、このような恣意的な妄想の事実化という問題から逃れることができません。
2025-05-22 14:46:14@AWAZARD1977 そもそもそのような恣意的妄想によって結果的に動物をむしろ虐待してしまうような事態になることさえありましたし、それは現に今も世界のあらゆるところで起こっています。 わかりやすい例で言えば、ワンちゃんも美味しいチョコを食べてみたいに違いない!なんて考えて食わせた結果死なせる、とか
2025-05-22 14:47:35@saido3_kamakiri 動物福祉がどのように定義されてるということか具体的に説明して。 例えばケイパビリティ・アプローチというのもあって苦痛や健康状態みたいな生理的データのみで福祉を判断する還元主義的な福祉論を批判する立場だけど。
2025-05-22 14:57:08@AWAZARD1977 前提として、動物に対するケイパビリティアプローチの運用が提唱されたのは、動物の権利論(アニマルライツ)においてであって動物福祉においてではありません(そもそもこれも適用範囲の問題が指摘されイマイチ広まりを見せていませんが) ここからも人間の福祉と動物福祉の乖離が理解いただけるかと…
2025-05-22 15:05:13@saido3_kamakiri ケイパビリティ・アプローチのルーツが何であるかというのはケイパビリティ・アプローチが動物福祉論の一つの立場であることの否定にはならないよ。
2025-05-22 15:06:37@AWAZARD1977 結局のところ『科学的根拠だけが全てじゃないよね!』という主張は、『だから相手が何を考えているか、何を感じているかの努力は一切放棄して、好き勝手にこちらの妄想を喋らせ、それを事実としてもいいんだ!』といった主張を正当化しない、できないということです。
2025-05-22 15:09:14@saido3_kamakiri 「努力は一切放棄して、好き勝手にこちらの妄想を喋らせ、それを事実としてもいい」というのは誰も主張してない。そのような歪曲はただの藁人形論法。→
2025-05-22 15:12:46@saido3_kamakiri むしろ、動物とは意思疎通できないから科学的根拠だけで判断していいという立場こそ、「努力」を放棄し、生理的データに全てを還元可能とする「妄想」を事実とした主張。 実際には福祉は倫理の要請であって「何が福祉たるか」は社会的合意で決まる。
2025-05-22 15:13:55@AWAZARD1977 藁人形だと仰いますが、結果的にイルカショー停止は『そうなってしまっている』と指摘しているのです。 イルカがショーを嫌がりましたか?ショーによって何か不利益を被りましたか?『ショーはやめてくれ』と言いましたか? 現に好き勝手なこちらの妄想が事実として主張に用いられているのです。
2025-05-22 15:22:03@AWAZARD1977 そしてその努力の一つの形態として『科学的根拠』があり、科学的根拠のみでは決められないのと同時に、不可欠な要素でもあります。 その用意を怠り、かつ他路線での努力の形態も示されていないのが現状です。ただ『それっぽい』『そう感じる』しか語られていない。
2025-05-22 15:27:50@saido3_kamakiri 生理的データによって檻の中で一定の満足が得られてることが推測されたからといって、檻の外に出られないならその中に適応しようとするのは当然であって、そんなことで「何が福祉たるか」は決まらないということ。 もちろん「決まることにする」という立場もあることは知ってるが、→
2025-05-22 15:31:05@saido3_kamakiri 実際のところ「福祉」という言葉自体が社会構築的なものであって現実には科学還元主義的福祉論は懐疑されているのだし「何が福祉たるか」は遂行的な社会的合意によるんだよ。
2025-05-22 15:32:18@AWAZARD1977 結局『努力を一切放棄して動物に好き勝手に妄想を喋らせそれを事実とした』ことはお認めになるわけですね。 繰り返しますが『科学的根拠だけでは決められないね』は、これらの行為を正当化する免罪符にはなり得ません。
2025-05-22 15:35:28@saido3_kamakiri 既に指摘した通り「「努力」を放棄し、生理的データに全てを還元可能とする「妄想」を事実とした主張」しているのはあなたの側。 例えば「犬にチョコを食わせて」どうのこうのってのは科学的に不適当であることが示された例であり、→
2025-05-22 15:43:42@saido3_kamakiri 一方でイルカショーについてはあなたは科学的に不適当と示されてないからいいんだよという判断。 この二つはベクトルが異なり、科学的根拠の存在を動物福祉に基づく禁則の条件にしているのが前者であるところ、あなたは科学的根拠の不存在を動物福祉の上での行為肯定の条件に拡張してるんだから、→
2025-05-22 15:43:50@AWAZARD1977 これは明確に誤りで、『科学的成果か、ないしは他の形態で、イルカショーがイルカにとって不適当であることを示し、もってイルカショー禁止の妥当性を担保する必要がある』とずっと主張しています。 それが出てこず、妄想を事実化した主張しか出てこないから批判されているのです。
2025-05-22 15:49:08@saido3_kamakiri だからそういうアプローチがケイパビリティ・アプローチであって、その場合端的にはイルカが自然環境下においてなし得ることが人間の拘束下でなし得ないならそれは福祉に反すると言い得るわけ。
2025-05-22 16:00:25@AWAZARD1977 それはイルカ(に留まらず殆どの生物の)飼育そのものの否定に対する論拠であり、イルカショー否定の論拠ではありません。 言うまでもないことですが、フランス政府はイルカの飼育を禁じたわけではなく、ケイパビリティアプローチも主張の根拠に用いられていません。
2025-05-22 16:02:55@saido3_kamakiri 「端的には」と言ってるようにケイパビリティ・アプローチがどの程度現実の福祉政策に反映されるかは社会的合意による。 知らないかもしれないが、ケイパビリティ・アプローチはイルカショーについて、それがイルカの自発的要請によらず人間の便宜や娯楽に奉仕させる目的であることを問題視する。
2025-05-22 16:11:01@AWAZARD1977 繰り返しますが、私はフランスにおけるイルカショー禁止の根拠として挙げられたものを求めているのであって、貴方のご持論を聞いているのではありません。
2025-05-22 16:12:44
自分が気持ちよくなれれば良いという自慰行為してるだけだからなあ…
そりゃ撃墜した敵のその後なんて興味無いもの。ただのスコア扱いで、考えるのは次の敵だけ。