(耕論)「喜び組」を求める社会 小島慶子さん、加藤秀一さん、清田隆之さん

 「喜び組でも呼んどけ」。フジテレビの第三者委員会の報告書にあった言葉です。女性を「喜び組」のように扱う光景は、いつかどこかで見たような。社会の何がそれを生むのか。

 ■女性を消費、TV以外でも 小島慶子さん(エッセイスト・メディアパーソナリティ)

 「女子アナ」という呼び名と役割はなくすべきだと、15年ほど前から訴えてきました。「画面の花」にされ、ゴシップや性的な対象として消費するまなざしが向けられる、敬意のない呼称です。ここには日本社会のゆがみが凝縮しています。「喜び組」も同じでしょう。

 日本で女として生きる限り誰もが直面するのが、「若くて可愛い」に価値があるという原則です。「女子アナ」はいわばこれを具現化しています。「花」である若い女性アナウンサーは、飽きられれば「花を新しくしよう」という発想で「卒業」させられ、次の若い女性アナウンサーが出てくる。テレビが画面の中で、繰り返し強化し、再生産してきた価値観です。

 皮肉なことに、それは女性の社会進出の一面でもありました。かつて女性アナウンサーの多くは契約社員でした。1985年に男女雇用機会均等法ができ、女性アナウンサーも正規雇用されるようになった。そのころフジテレビが、女性の局アナを「女子アナ」とアイドル化して売り出し始めたのです。

 キラキラした憧れの職業であるのと同時に、見下したまなざしが向けられる。「あざとい」「性格が悪そう」などと「嫌な女」コンテンツとして消費する。女性が正社員として好条件で働ける数少ない職業の一つだった放送局のアナウンサーが、女性の商品化と消費の最たるものだったことは、日本の女性が置かれてきた状況を象徴的に表しているように思います。もう、こうした性差別的な起用は、やめるべきです。

 これは、テレビ業界だけの話ではありません。様々な職場や、地域にも、学校にも、どこにでも、「女子アナ」役はいるはず。誰もが無意識のうちに、女性に「女子アナ」を求める感覚が染みついています。フジの第三者委員会の報告書を読んで、既視感のある憤りを覚えた人が多かったのも、フジだけの問題ではないからでしょう。

 これまで女性を「喜び組」扱いした人には、耳の痛い話かもしれません。「やっちまったかも」と不安を覚えている人も多いでしょう。だからこそ沈黙するのではなく、悔いを抱えながら、「もうやめよう」と一緒に言いませんか? もしまた無意識に「女子アナ」と言いそうになったら、〇〇アナウンサーと、ちゃんと名前で呼んでください。働く人には皆、名前と命があるのです。(聞き手・田中聡子)

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 こじまけいこ 1972年生まれ。元TBSアナウンサー。エッセーや講演、ラジオ出演など幅広く活動。著書に「おっさん社会が生きづらい」など。

 ■見下しつつ「癒やし」期待 加藤秀一さん(社会学者)

 女性社員を「喜び組」扱いする風潮は日本の組織にはありがちで、フジだけの問題ではありません。背景にはジェンダーと絡みついた権力関係が存在します。

 「喜び組」と扱うのは、自分たちと同じカテゴリーに属する「同僚」ではなく「女」と見ているからでしょう。さらに男性同士のつながりが加わり、集団として女性を性的に扱うと、「ホモソーシャリティー」が生まれる。フジは典型的なケースに感じました。

 「喜び組でも呼んどけ」と見下しつつも、呼び求める。矛盾していると見えるかもしれませんが、「何を呼び求めているのか」を腑(ふ)分けして考えれば分かります。呼び求めるとは「欲望の対象にする」ということ。性的な欲望もあれば、見下したいという欲望もある。一つの対象に対し異なる欲望は両立します。

 「喜び組」に期待されているものの一つはホステス役でしょう。哲学者のケイト・マンはこう指摘しています。性差別がはびこる家父長的な社会では、気遣いや共感、尊敬など道徳的に価値があるとされることを、男性は女性に要求する権利があり、逆に、女性は男性に提供する義務があると見なされている、と。会社の幹部が若い女性社員に、職場で「癒やし」、つまりケア役割を期待するのも、マンの指摘をふまえれば当然なわけです。

 「喜び組」という呼び方からは、「女性たちも喜んでいる」というまなざしも感じられます。男性幹部は「力を持つ自分に近づけるメリットがある」と思っているかもしれないし、「女性は男性を喜ばせてなんぼ」という考えならば、少なくとも「いやがってはいない」と見えるかもしれない。

 こうした話をすると、「自分は男だけどそんなことをしない」「女にもそういう人はいる」という反発がしばしばあります。「ジェンダーとは関係ない」という反論です。ですが、社会構造を切り離して考えるべきではありません。「たまたま」企業で男性が支配的な地位にいるのでしょうか。管理職の男女比などさまざまな統計が「たまたま」ではなく、必然性があると示唆しています。

 企業内にジェンダーによる権力差があるから、男性幹部が女性社員をホステスのように扱うことが可能になり、女性を同僚と見なさない発想が蔓延(まんえん)しているから、その構造が変わらない。「喜び組」はジェンダー不平等が絡む権力関係によって起こる問題なのです。(聞き手・田中聡子)

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 かとうしゅういち 1963年生まれ。明治学院大学教授。専門はジェンダー論、性現象論など。著書に「はじめてのジェンダー論」など。

 ■欲望を自覚しない幼稚さ 清田隆之さん(文筆家)

 20代の頃、取引先の人に「女友達を呼んでよ」と頼まれ、友人を気軽に呼んでしまったことがあります。

 友人は快く協力してくれたのですが、カラオケで腰に手を回されてしまい、「あのオヤジ最悪!」と2次会で愚痴を言い合いました。でも、その時の自分の認識は身勝手な勘違いだったのです。今から約5年前、SNSでその逸話を紹介して「自分もセクハラを傍観したことがある」と書いたら、「いやいや、傍観者どころか加害者の一員でしょ」と指摘されました。

 最初は戸惑いましたが、考えるとその通りでした。取引先の人を喜ばせるための要員として、自分が利益を得るための道具として女性を呼んだという図式は、確かだったからです。

 女性に言われて男性が喜ぶ言葉として「さしすせそ」が知られています。さすが/知らなかった/すごい/センスいい/そうなんだ。モテ・テクとして小学生の女子に指南する本も現実に存在し、驚きました。

 女性たちがそれを用いるのは、男性を喜ばせたいという積極的動機からではなく、そう言わないと不機嫌になる男性が出てくるから面倒くさいという消極的動機からだと思います。

 男性優位のこの社会は、「女性は男性をケアしサポートする立場にあるべきだ」との規範を男性たちだけでなく、女性たちにも内面化させようとします。喜び組は、そうした社会のゆがみを映す言葉でしょう。

 利益のために加害者となってしまった自分がすべきことは謝罪と内省で、問題の要因や背景に当事者として向き合う必要がある。

 なぜ女性を呼ぶ必要があったのか。どうして断らなかったのか。そしてそもそも、なぜ男性は喜んでしまうのか。自分の中にある欲望や願望を直視し、理由を言語化する作業です。

 欲望を満たすための行動を他人の事情を考えず実行に移してしまうのは本来、幼い子どもだけに許される振るまいでしょう。しかし立場や権力を利用して女性に忖度(そんたく)を強いると、あたかも女性が能動的に自分を喜ばせてくれたかのような錯覚の中で欲望を処理できてしまう。直視すべき問題は内なる欲望への無自覚さ、つまり男性の幼稚さです。

 成熟していくためには、幼稚さに対する自覚が不可欠です。欲望や加害性と向き合うことは簡単ではありませんが、取り組まなければならないでしょう。責任ある大人であるならば。(聞き手 編集委員・塩倉裕)

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 きよたたかゆき 1980年生まれ。本紙土曜別刷りbeの「悩みのるつぼ」回答者。著書「さよなら、俺たち」「戻れないけど、生きるのだ」など。

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    常見陽平
    (千葉商科大学准教授・働き方評論家)
    2025年6月18日11時28分 投稿
    【提案】

    ■BBQで「女性陣」と言う男どもを糾弾、弾劾、打倒せよ!(評論家・常見陽平さん)  就活のユニーク選考で「アウトドア選考」というものがあります。内定者や新人の研修でも導入されていました。奇をてらっているようですが、価値観、行動特性、思考回路を知る上でわかりやすいというわけです。就活でよく語られることですが、「面接」は学生側も企業を面接しているものです。企業のこと、職場のことがよくわかります。  ぜひご注目頂きたいのが、BBQの場で「女性陣」という言葉を使う男性がいないかどうかです。いや、BBQに限らず、飲みの席、カラオケなどで「女性陣」という言葉を使う人、いるでしょう?私、よくBBQの準備、運営が好きなのですけど。いつも、そういう奴がいるかどうか、注目しています。これぞ、「喜び組」の温床です。  ここで「きゃあ、小島部長が用意してくれた、北海道のトンデンファームの骨付きソーセージ、最高♥」「清田課長、火起こし慣れてる♥」なんて、持ち上げる(心から持ち上げているのか、言わされているのかわかりませんが)女性も、「喜び組」の再生産に加担しています。おまえら、老若男女関係なく、黙って準備しろよ、火起こししろよ、食えよ、皿洗えよって思います。いい加減にしなさいよ、いまに痛い目にあうわよ。  私は若者に、男女関係なく、「女性陣」という言葉を一人でもいる会社は今すぐ辞めろとアドバイスしています。ジェンダー平等の意識のかけらもないからです。いや、こういう会社に限って、経営陣や管理職がSDGsバッジをつけて「うちも女性が活躍する会社になってきましたな、ガハハ」なんて言ったりします。ポーズだけです。どうせ、キャバクラに通い、出張先でデリヘルを呼ぶんですよ。いい加減にしなさいよ。  まさに、BBQをすれば人となりがわかります。特に若者ではなく、既存の社員の人柄がバレます。ここで可視化されるのは、男性の振る舞いの問題だけではありません。女性が、いかにその男社会に染まりきっているかどうかもわかるわけです。  「喜び組」を求める社会を木っ端微塵に粉砕するための、マイ・レボリューションは、まずは職場のBBQで革命を起こすことです。「女性陣」という言葉を使う人、それを受け入れて「部長のお肉最高」なんてことを言っている人がいたら、その場で鉄板や網をひっくり返し、誰にでもわかるように名台詞を使って説明すると藤波辰爾のように「こんな会社、辞めてやる!」と言って、タクシーに飛び乗りましょう。「これでも喰らえ」と言って、その場にある肉を全部、そいつの口に放り込んで、『セブン』の「暴食」のシーンを再現しましょう。いや、ここまでしなくてもいいですが、「女性陣」って「喜び組」の象徴だから、もっと怒っていいと思いますよ。朝日新聞読者たるもの、ここで暴れないとダメでしょう。会社と社会を変えるために、闘いなさいよ。  私も小2の娘の父です。娘がマチズモ、ミソジニーを粉砕するために、英才教育をし、男性社会粉砕の思想を植え付けています。娘は一度もプリキュアなど女性ヒロインものにハマらず、男性が主人公の作品ばかりみせています。それ自体、男社会に染め抜いていると思うでしょう。違います。男女関係なく、主張できる人間にするためです。通っている小学校で最も髪の短い女性であり、自分のことを僕と呼びます。今日は、朝ご飯の席で「シェアハウスに住みたい。みんなで暮らしたい」と言いました。ご飯はいつも私がつくっていましたが、最近は朝ご飯を自分でつくって出かけるようになりました。すごい勢いで自立しています。彼女が「喜び組」になるイメージがまったくわきません。いいぞぉ、いいぞぉ。  「喜び組」を求める社会を粉砕し、そのためにもまずはBBQなどで「女性陣」という言葉を使う人がいたら、徹底的に糾弾、弾劾、打倒しましょう。そして、ハリボテSDGs企業の経営陣、管理職どもの欺瞞を完膚なきままに暴き出しましょう。こうした輩の台頭を断じて許してはなりません。この現実をうち破る突破口をここで何としても切り開かなければならないのです。怒濤の前進をかちとりましょう。

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