シューベルトは1828年に世を去りますが、その亡くなる2か月前に第19番、20番、21番の3曲のピアノソナタをまとめて作曲しました。いずれも大きな作品ばかりですが、この年には、あの長大な弦楽五重奏曲も作曲しています。死期を前にした超人的な創作力には只々驚きの一言です。モーツァルトにも共通する文字通り「人智を越えた」不思議な何かが下りてきたとしか思えません。
シューベルトを愛する人にとっては残されたどの曲も魅力的だと思います。初期のシューベルトのピアノソナタはベートーヴェンの影響を受けて古典的に書かれていましたが、後期になるとロマン派風に情緒を豊かに湛えるようになり、独自の世界を生み出しました。作品の規模も大きく成り、特に最後の第19番から第21番まで、それに第18番を加えた4曲はどれも大曲です。中でも生涯最後の器楽曲となった第21番は驚くほどの音楽の深さを持つ傑作として古今の多くのピアニストにより愛奏されています。
曲の構成は全4楽章です。
第1楽章 モルト・モデラート
ごく静かに懐古風な主題で始まりますが、この作品の途方も無い広がりを暗示しているようです。その後もシューベルトらしい旋律が歌われますが、大きな変化を見せることなくゆっくりと進行してゆきます。転調が繰り返されますが、最後もまた静寂で終わります。
第2楽章 アンダンテ・ソステヌート
冒頭から諦めきったような孤独感に覆われた主題がゆっくりと奏でられます。やがて幾らか光が差して、祈るような美しい音楽となりますが、力強さには程遠いです。初めの主題が再現されて、再び孤独な諦観の中に閉じられる。
第3楽章 スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ・コン・デリカテッツァ - トリオ
「繊細に、優美に」という指示となりますが、演奏によっては必ずしもそのようには聞えません。
第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ - プレスト
軽快ですが決して明るさの無い主題に始まり、その後は明るく快活に進むものの、どちらともつかない雰囲気や常に何かに追い立てられているような焦りすら感じられます。中間部では突然激しく響き渡り、その「追い立てる何か」が姿を表わしたかのようです。なお、個人的には<ノン・トロッポ>の指定通りに弾いている演奏家はかなり少ないように感じられます。
それでは愛聴盤をご紹介させて頂きます。
クララ・ハスキル(1951年録音/フィリップス盤)
ハスキルの弾くモーツァルトはペダルが少なく、音色が金属的で無くフォルテピアノっぽいのがとても好きですが、シューベルトもまた同様です。演奏はいかにもハスキルらしく端正でいながら心の奥深くに沁み込むような抒情と味わいが最高です。シューベルトはやはりこうした古典派的な演奏が好きですね。ただし終楽章をとても速く弾いていて、個人的にはもう少し遅めが好みではあります。モノラル録音ですが、凄く厚い低音と派手さの無い高音とのバランスが素晴らしいです。
クララ・ハスキル(1957年録音/Salzburger Festspiele盤)
こちらはハスキルのザルツブルク音楽祭でのリサイタルのライブです。上述のフィリップス盤も素晴らしいですが、音楽への入り込み具合は実演だけあって更に上回ります。実演ならではの些細なミス(と言うほどでも無いですが)は有りますが感動には少しも支障に成りません。正規音源ですがデジタルリマスタリングが悪評高いアイヒンガ-&クラウスなので例によって高音を強調していて、フィリップスの一連のハスキルの音よりもキラキラしているのが気に成ります。しかし音そのものは明瞭なので許容出来ます。既に廃盤ですが、その後オルフェオからもリリースされています。
ヴィルヘルム・ケンプ(1967年録音/グラモフォン盤)
ケンプの演奏もまたピアニスティックなところが無く、シューベルトに向いています。ピアノの音色が現代的で無いのも良いです。一貫したインテンポによるガッチリとした造形性がドイツ風、ベートーヴェン風で、ウィーンの奏者達に比べると堅苦しさが感じられますが、ソナタの方が「即興曲」など自由な形式の小品よりは相応しいと言えます。それでも第2楽章の情感の深さなどは胸を打たれます。終楽章も表情の微妙な変化が楽しいです。単売ディスクも出ていましたが、写真の全集盤で所有しています。
パウル・バドゥラ=スコダ(1968年録音/RCA盤)
バドゥラ=スコダはシューベルトのソナタ全集を2回録音していて、1回目がモダンピアノ、2回目が古楽ピアノを使用しています。これは40代で完成させた1回目のものですが、いかにもウイーン生まれらしく肩に力の入らない自然な演奏で、過剰な表現や作為めいたところは皆無です。ピアノタッチに朴訥と言えるような味わいが有り、素朴な音色が何となく古楽器を想わせます。第1楽章はデモーニッシュさは薄いですが、第2楽章では孤独感がひしひしと感じられます。第3、第4楽章はリズムがごつごつしていますが、やはり不思議な味を感じます。写真は所有する全集盤です。
ワルター・クリーン(1971-73年頃録音/VoxBox盤)
クリーンはグリュミオーと録音したモーツァルトのヴァイオリンソナタあたりが知られますが、オーストリアのピアニストでシューベルトもソナタを全曲録音しています。村上春樹が「意味がなければスイングはない」の本の中でこの人のシューベルトが好きだと書いていました。確かに第1楽章などは悠然とした歩みで、何か彼岸の雰囲気を感じさせます。第2楽章もまたそうした演奏で心に沁みます。それが3、4楽章となると自在さが感じられて良いです。ピアノの澄んだ音色は弱音が本当に綺麗なのですが、強音には少し金属的な感じを受けてしまいます。録音は明瞭で優れます。写真の全集盤のVol.3に含まれます。
クリフォード・カーゾン(1972年録音/DECCA盤)
英国の至宝ピアニストであるカーゾンは、およそ誇張の無い誠実な演奏と端正なピアノタッチでドイツ/オーストリア音楽を最も得意としました。ただし、この演奏ではドイツ風ほどの堅牢さもオーストリア風の柔らかさもそれほどでは無く、折衷的な印象ですが、そこに洒落た気品を感じさせるあたりは英国風?などと思ったりもします。どちらか言うとカップリングの「楽興の時」の方に一層の魅力を感じましたが、このソナタも悪くありません。
スヴャトスラフ・リヒテル(1972年録音/BMG盤)
ザルツブルク近郊のアニフ宮殿でのセッション録音です。原盤がメロディアに有るのかどうかは分かりませんが、録音はオイロディスクによります。それはともかく、第1楽章は極めて遅く、深く沈み込むようにゆっくりと進みますが、時に聳え立つようなスケールの大きさを表します。ロマン派スタイルとしても非常に個性的です。第2楽章も同様ですが、3楽章は速めです。そして終楽章ではテンポは中庸ですが、刻々と表情を変えて行き、ディナーミクの巾の広さが圧倒的です。古典的に奏した演奏とはまるで別の曲に聞こえます。好き嫌いは別として凄い演奏です。
ルドルフ・ゼルキン(1975年録音/CBS盤)
ユダヤ系であったために戦前に米国に移住したゼルキンですが、おかげでドイツ音楽の真髄が米国にもたらされました。男っぽいベートーヴェンが最高ですが、そうしたスタイルのシューベルトもまた魅力的です。これはバーモント州ギルフォードの田舎に有るスタジオで録音されましたが、ここはかつてミュージシャンの隠れ家で、スタジオから美しい山々の景色を見渡せました。そうした環境で録音された演奏らしく、俗世間から離れた雰囲気を感じさせますが、それがこの遺作になんとも相応しいです。録音は幾らかシャープさには欠けますが、それもまた味わいなのかと。
リリー・クラウス(1979年録音/ヴァンガード盤)
ハンガリー出身ですがウィーンで学んだクラウスはモーツァルトとシューベルトを最も得意としました。ドイツ的な構成感の強さは余り感じず、型にはまりきらない自由さが魅力です。女性的な弱さからはほど遠い打鍵の力強さや演奏から受ける強い情熱にはハンガリーの血を感じずにいられません。このシューベルトの遺作の演奏にもデモーニッシュな雰囲気は有りますが、「死の影」はそれほど強くなく、終楽章などにはむしろ最後まで与えられた「命」を全うしようとする意志の強さを感じます。録音の音に幾らか古さは有りますが、自分には気に成りません。
ウラディミール・ホロヴィッツ(1986年録音/グラモフォン盤)
ホロヴィッツが亡くなる3年前のニューヨークでのスタジオ録音です。当時83歳でした。ロマンティックな演奏家としての表現は少しも変わりませんが、その為の指のコントロールが出来ていたのかどうか首をひねります。確かにピアニシモやフォルテの変化を駆使した表現の巾には強い意欲が感じられます。しかしそれが何か取って付けたような音にしか感じられません。きっとホロヴィッツの頭の中には「こうしたい!」という演奏がイメージされているのだろうなぁと思います。けれどもそれが形に成りきらない現実。「崩れた骨董品」を聴くのには哀しさが付いて回ります。
マウリツィオ・ポリーニ(1987年録音/グラモフォン盤)
ポリーニのシューベルトには人間の感情が余り感じられずに、何かそれらを達観した印象を受けます。それはシューベルトの音楽と相反するわけでは無く、むしろ同質性に近いものが有ります。もちろんポリーニのことですから技巧的には完璧なのですが、それが決して過度にピアニスティックに傾くことなく音楽への深いリスペクトが感じられます。他に類を見ないストイックさを保っていたポリーニのシューベルトからは、孤高感がそこはかとなく感じられて惹かれます。
ラドゥ・ルプー(1991年録音/DECCA盤)
ルプーは20代でDECCAと契約してシューベルトを続けて録音しましたが、その後に間が空き、これは9年ぶりの円熟期の録音です。第1楽章を透明感に溢れた美しい音で淡々と奏して行きます。ただし展開部では足取りを幾らか速めて活力を感じさせていて、必ずしも枯れた演奏ではありません。第2楽章は静謐感が印象的で、波静かな湖面から水の奥底を覗き見るような雰囲気です。3、4楽章はテンポも速めで闊達さが有りますし、フォルテの打鍵は強いです。残響が豊かな録音なのは個人的には余り好みません。
グリゴリー・ソコロフ(1992年録音/Naive盤)
かつて日本では「幻のピアニスト」のソコロフでしたが、グラモフォンと契約をしてからは古今を通じても最高のピアニストの一人として誰からも知られる存在と成りました。これはまだその契約前のフィンランドでのライブです。第1楽章はリヒテル並みに遅いテンポで非常に広がりが有りますが、ピアノの音色も強弱も全てが完璧で、そこからシューベルトの孤独や抒情を深く感じさせます。第2楽章では繊細な弱音により深い静謐感を生み出しています。第3楽章は力むことなく淡々としています。終楽章は中庸のテンポで落ち着いたクールな雰囲気がユニークです。全体の完成度の高さは並みでありません。録音は深い残響が有りますが、音の混濁は有りません。
アンドラーシュ・シフ(1993年録音/DECCA盤)
シフは愛奏するベーゼンドルファーのペダルを控え気味にして、あたかもフォルテピアノのような古典派風の音色を醸し出しますが、個人的には好感を持ちます。演奏としては第1楽章をインテンポで誇張なく淡々と進むのは良いのですが、それがどうも一本調子には感じられます。第2楽章も抑制的ですが、静けさに包まれた佇まいから孤独感を漂わせます。第3楽章は軽やかな若々しさが魅力です。終楽章は“ノン・トロッポ”の指示に忠実で、これよりも速く弾いてしまう人がほとんどなので凄く良いです。DECCAの録音は適度な残響でピアノの音を美しく捉えています。
内田光子(1997年録音/フィリップス盤)
内田光子はモーツァルトを弾くときなどに、ピアノを通常の平均律では無く、古典調律の一つであるヴェルクマイスター音律を用いて演奏するそうです。その為に響きが渋く暗めに感じられますが、このシューベルトでもそれを使用しているのでは無いでしょうか。力こぶの入らない打鍵には好感が持てます。演奏は細部のニュアンスの変化に神経が行き届いていますが、それが演奏家の自然な本能からというよりも何となく頭で考えた末の表現のような気がします。そんな風にひねくれて聴かなければ充分に良い演奏だと言えるかもしれません。
アルフレッド・ブレンデル(1997年録音/フィリップス盤)
シューベルト演奏に定評の有るブレンデルは、この曲を1971年と1988年の二回セッション録音していますが、これはロンドンのロイヤルアルバートホールにおけるライブです。ピアノの音色は硬質ですが金属的ではなくクリスタルが底光りするような美しいブレンデル・トーンです。演奏には実演らしい自由な息づかいが感じられますが、全体的にゆったりとした重みが有ります。表現的には虚飾の無い控え目なものですが、豊かな情感や孤独感を感じさせるところは素晴らしいです。終楽章はさすがに熱く高揚します。BBCによる録音ですが、バランスの良い美しい音質です。
マレイ・ペライア(2002年録音/SONY盤)
ペライアが、満を持して最後のソナタ3曲をまとめて録音しました。第1楽章は遅めのテンポで進みますが、思わせぶりな表現はおよそ皆無です。この自然体の内に、過ぎ去った喜びの日々、死に向かう恐れが潜んでいさえすればシューベルトの演奏として満足です。第2楽章はゆっくりと詠嘆の心情を滲ませていて感動的です。第3、第4楽章は比較的速めのテンポでとても歯切れが良いです。しかし完璧にコントロール出来ていてバタつくことはありません。やはり素晴らしい演奏の一つです。録音は明瞭で優れます。ピアノの透明感のある音が美しいです。
アルフレッド・ブレンデル(2008年録音/DECCA盤)
ブレンデルが77歳で現役引退した2008年にハノーファーで行われた最後のソロリサイタルのライブ録音です。メインプログラムに選んだのはやはりこの曲でした。第1楽章冒頭から何か彼岸の世界に居るようなただならぬ雰囲気に包まれています。テンポもディナーミクも変化は少なく、ひたすら淡々と弾き進みますが、そこには表現意欲と言うものはまるで感じられず、あたかも楽器が自分で鳴っているように感じられます。‘97年のロンドンライブも素晴らしいですが、この最後の演奏は次元が異なります。驚くことに演奏に疵も有りません(疵の有無など最初から問題外ですが)。ピアノの音色も美しく、何かとても優しく感じられます。
クリストフ・エッシェンバッハ(2010、11年録音/Harmonia Mundi盤)
これはマティアス・ゲルネと共演した歌曲集「白鳥の歌」とカップリングされたディスクです(なので写真のジャケットがゲルネ)。巨匠指揮者のエッシェンバッハですが、ピアニストとしても現役を続けているのは立派です。第1楽章をゆったりとしたテンポで深い情感を湛え、ディナーミクも控えめですが、決して枯れている訳では有りません。第2楽章も情感を一杯に湛えていますが、ユニークなのはスケルツォで、非常に遅く沈み込むようです。当然終楽章も明るさからは遠く、「白鳥の歌」にも重なる“人生への分かれ”がひしひしと感じられます。私はエッシェンバッハの指揮が大好きですが、ピアニストとしてももっと聴きたかったと思わずにいられません。
守重結加(2021年録音/オクタヴィア・レコード盤)
最後に日本の若手の新しい録音もご紹介したいと思います。守重さんは桐朋学園卒業後に渡独、ベルリン芸術大学でソリストや室内楽の研鑽をしました。エドウィン・フィッシャー国際ピアノアカデミーでも第1位(聴衆賞)を受賞しています。初のソロ・アルバムに選んだのは彼女が「心の支えであり、困難を共に乗り越えてきた大切な存在」だと語るシューベルトの楽曲でした。誠実で虚飾の無い演奏はシューベルトにぴったりです。通常は中堅奏者がこのようにオーソドックスに弾くと退屈するものですが、彼女の場合は優しい表情と美しくも芯の有る音が何とも心地良く、時を忘れて聴いてしまいます。併録の「即興曲集D.899」もソナタに負けず劣らずの素晴らしさです。
以上は、どれもが素晴らしい演奏ばかりですが、特に感銘を受けるものと言えば、ブレンデルのフェアウェル盤、続いてエッシェンバッハ盤です。何だかんだ言ってリヒテル盤がその次で、あとはハスキル、ゼルキン、クラウス、ソコロフといったところです。
<補足> バドゥラ=スコダ盤を後から追記しました。
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