↑のつづき。
板野郡上板町を後にして、
吉野川を渡り南方へ。
やってきたのは名西郡石井町。
町中に突如現れた鳥居。
石碑には
『日本武尊 両国一社 白鳥宮』❗
鳥居の扁額には『白鳥宮』。
日本武尊(ヤマトタケル)は
亡くなった後に白鳥の姿で空を飛び、
各地に現れたと伝わる。
『白鳥伝説』である。
こちらは二の鳥居だろうか。
階段をどんどん登っていきます。
石灯籠の文字が気になる。
さらに登っていく。
狛犬さんは年代物なのか、
ところどころ欠けていた。
恒例の「狛犬の見る景色」。
台風の影響で、落ち着かない天気。
拝殿。
式外社
『白鳥(しらとり)神社』
鎮座地 徳島県名西郡石井町石井白鳥
創健 不詳
祭神 日本武尊(ヤマトタケル)
全国の白鳥神社の元宮の可能性がある。。
ちなみに、
石碑の「両国一社」とは、
東かがわ市の白鳥神社と
こちらの白鳥神社を表すようである。
全国の白鳥神社は
阿波徳島⇒讃岐香川⇒全国へ
と分祀されたとも云われており、
各々の創健を時系列的に並べると、
この石井町の白鳥神社が元宮となるのである。
白鳥さんかな❓️
横から本殿。
なぜか女千木。
小さな祠がたくさん並ぶ。
白鳥❓️
古代日本の神々には、
鳥に関連する神名が多い。
ヤマトタケルが亡くなった後に
鳥になったのも、あの世とこの世を繋ぐ
存在になった暗示かもしれない。
龍の彫り物がかっこよし。
徳島でヤマトタケルに関連する神社は
他にもある。
高木隆弘氏によると、
阿波国美馬郡の式内社『建(たけ)神社』は
弟建からもらった「倭建」にちなんだ
神社であるのだそうな。
高木隆弘氏の
『記・紀の説話は阿波に実在した』より↓
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倭建命は、海で暴風雨にまきこまれたが、
妃の弟橘比売(オトタチバナヒメ)が入水して
嵐の神を鎮めて危機を救った。
妃の弟橘比売の名は、
阿南市の橘(タチバナ)から
つけられたと思われる。
倭建命は、自分の身代わりとなって
入水した橘比売を思い、
「吾妻はや(ああ我が妻よ)」と嘆息された。
この言葉から、
東国(あずまのくに)という名が出たとある。
徳島市入田町には、
安都真(あずま)の地名がある。
また、倭建命の御陵(みささぎ)を号けて
白鳥の御陵という、とあるが、
その白鳥の御陵は、
名西郡石井町字白鳥にある
白鳥神社の裏山にあった
(現在は発掘されている)。
この神社は式外の古社で、
『三代実録』(九〇一年)には、
「貞観三年(八六一年)三月、従五位下、
元慶七年(八八三年)従五位上を授く」とある。
東かがわ市にある白鳥神社は、
ここから分祀された杜である。
倭建命の王子、
息長田別命(オキナガタワケ)は、
「阿波の君」と称して、
阿波国名方郡を統治していた。
『阿波国風土記』逸文に、
「勝間井の冷水、此より出づ。
勝間井と名づく所以は、
昔、倭建天皇、乃ち
大御樋筒(櫛を入れた容器)を
忘れたまひしに依りて、
勝間(竹で編んだ籠)といふ。
粟人は櫛笥をば勝間と云ふなり、
井を穿りき。故、名を為す」
とあるが、
徳島市国府町に勝間井は現存する。
現在は水はないが、
近年まで清水が湧いていたといわれている。
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古事記にその名を残す
倭建命の御子の一人
「息長田別王(おきながたわけのきみ)は
先代旧事本記によると
阿波を治めていたと記されている。
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息長田別命 阿波君等祖
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少し角度を変えると、
三重県伊賀市下阿波に鎮座する
式内社『阿波神社』の祭神は、
阿波君の氏人が祖神『息長田別命』を
祀ったという説もある。
阿波国または、長ノ国と息長は
密接な関係にあることはいうまでもない。
日本書紀によると、
神功皇后が神のお告げを聞かなかった為
亡くなってしまった夫の仲哀天皇の斎宮を
小山田邑に造り、その神々の名を
ご神託によって聞いてみたところ、
「尾田の吾田節の淡郡(あわのこおり)にいる
神である」と答えたのだそうな。
その神こそが、
伊賀の阿波神社の祭神だとも云われている。
吾田節の『吾田』の由来は恐らく
徳島県板野郡の古名『阿多』なのだ。
ちなみに、
神功皇后の諱(イミナ)は
『息長帯比賣(おきながたらしひめ)』。
「息長」とは「海に潜っている息が長い」、
つまり、潜るのが上手な海人族のこと。
古代倭(阿波)出自の海人族である。
また、
「帯(たらし)」とは、
阿波特有の古代からの言葉で、
海の中でつける、身体よりも長い布のこと。
つまり「ふんどし」のことである。
高木隆弘氏の
『記・紀の説話は阿波に実在した』より↓
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第三十四代 舒明天皇
息島長足日廣額天皇
(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)
舒明天皇の
息長足日廣額天皇という諡については、
延喜二年(九〇二年)の
『阿波国板野郡戸籍残簡』のなかに、
息長粟部という姓がみられる。
息長帯とは、潜水漁業をする
海人の代名詞である。
『日本書紀』によれば、
舒明天皇は、六三〇年(舒明二年)十月に
飛鳥岡の傍に遷り、岡本宮と称し、
六三三年に火災によって田中宮に遷居した。
岡本宮の比定地は、
天満宮(小松島市坂野町字岡の下、
現在は八幡神社)である。
田中宮は
東八幡神社(小松島市中田町千代ケ原)である。
地名の中田は田中の逆であり、
近くに田中山の地名がある。
『阿波志』に大宮と称すとあり、
皇居であった。
この神社の近くにある日の峰山麓に
桂林寺があり、皇太子が行啓している。
天皇家と由縁のあった宮地と思われる。
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息長粟部って、そのまんまですよ🤣
そして、舒明天皇と言えば、
国見の歌を詠んだ天皇↓
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倭には 群山(むらやま)あれど
とりよろふ 天の香具山(あめのかぐやま)
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙(けぶり)立ち立つ
海原は 鷗(かまめ)立ち立つ
うまし国そ 秋津島 倭の国は
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カモメが見える天の香具山は、
奈良ではなく、徳島県小松島市中田町の
日の峰山である。
大好きな五角形『地神塚』は二つ。
先ほどの祠の数々と照らし合わせるに、
周辺の多くの神社が遷されてきたのだろう。
全国に点在する白鳥神社の中でも
気になるのは鹿児島の白鳥神社。
白鳥神社付近、
鹿児島県姶良郡湧水町には
阿波井堰なんてものがあるのだ。
全国の白鳥を調べたらキリがなさそうである。
とても興味深い神社だった。
背後の山には『山ノ上古墳』。
倭建命の葬場とする説もある。
とんでもない場所だ。。
すごい色の木。
さて、降りましょう。
味のある石垣。
まだまだ油断ならぬ空模様。
近くでお昼ごはん。
『そば米汁』を初めて食べました。
疲れた身体に染み渡る味。
また食べたいなぁ。
さて、
次に向かったのはこの日最後の神社。
国府町の豊玉姫の痕跡残る神社だった。
つづく。
ではまた❗
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Re:無題
神阿多都姫つながりますよね~。
板野郡にはご家族がたくさん祀られてますしね(o´エ`o)b
onezerozero flat
2025-06-01 00:05:29
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