体操着バケツで汚され… 原発避難の小学生、いじめのその後
東京電力福島第1原発事故で避難指示が出た福島県浪江町から福島市に逃れた須藤隼斗さん(18)は転入先の小学校で3年間いじめに遭い、「放射線が付いている」とののしられた。でも古里の浪江町が同県二本松市で再開した学校に身を寄せたことで、自分らしさを取り戻せた。原発事故が原因で傷ついた浪江の子どもたち。そして、彼らに寄り添い続けたベテラン教師の思いとは。【竹内良和、金寿英】
福島でも「放射線が付いている」
この春、隼斗さんは福島市内の鉄工所に就職した。4人の孫の世話で忙しい祖母カノさん(69)を心配する気持ちもあり、自宅近くの会社を選んだ。卒業したばかりの高校では皆勤賞をもらい、茶道部の部長も務めた。「ここまで立ち直ってくれるとは思わなかった」。カノさんはかみ締めるように言った。
一家は2011年3月の原発事故に伴い、政府が「帰還困難区域」に指定する浪江町津島地区(旧津島村)から避難してきた。隼斗さんの父英司さん(44)が事故後に離婚し、カノさんが孫たちの母代わりだ。日々、午前3時に起きて弁当づくりなどをしていたが、この冬に手を骨折。「家事をどうしようか」と気をもんでいると、隼斗さんが「俺たちがやるよ」と弟たちに声をかけ、家事を分担した。一家はやっと穏やかさを取り戻し始めた。
津島地区は町西部の山あいにある集落で、戦後は旧満州(現中国東北部)からの引き揚げ者らが入植し、荒れ地を少しずつ農地に変えていった。厳しい環境を乗り切る中で、住民の結束も強まった。原発事故前は近所でおかずを分け合うような町営住宅に暮らし、夜は星空、夏は山から吹き下ろす澄んだ風に恵まれた。
震災前の10年秋、隼斗さんと1歳下の弟は神社で大勢の人を前に笛や太鼓に合わせて踊る郷土芸能「三匹獅子」を演じた。拍手や歓声を浴び、晩まで家々を回った。兄弟は大喜びで、「来年もまたやるんだ」と張り切っていた。
しかし、つつましく穏やかだった生活は原発事故で奪われた。…
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