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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期・最終回〈下〉:夢のままでは終わらせない
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第91話 こうして、彼らは失恋した - Part2


 強さとは、ぼくにとってはある種の呪いだった。


 最強たれ。


 母上にそう言い聞かされ、そう刻み込まれ、そうできあがってしまったぼくには、まるで借金でも抱えたかのように、強くなることが義務付けられていた。


 それはぼくの定義。

 信念でも趣味でもない、ただの定義。


 だから、初めてだったんだ。

 誰かと競い合うことを、あんなにも楽しく感じたのは――初めてだったんだ。


 そう。

 きみたちはぼくに、たくさんの初めてを教えてくれた。


 初めての友達。

 初めてのライバル。

 初めての――恋。


 どれもが決して、もはやぼくには欠かせないものになっていた。

 なのに。

 そのすべてが、白骨の中に沈んだ。


 ねえ、ジャック君。

 もしあの日、ぼくがきみたちと一緒に、あの扉の向こうへ行けたなら、もっとマシな未来があったのかい?


 ねえ、フィリーネさん。

 もしあの日、ぼくが少しでもきみに近付けていたなら、ジャック君と一緒に、きみを守ることができたのかい?


 これは、新たな呪いだった。

 その疑問が、後悔が――嫉妬が。

 ぼくの中から、こびりついて離れない。


 終わらせよう。

 この呪われた七年間を。

 未熟で愚かな、初恋を。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 ぼくたちがロウ王国に辿り着いても、ダイムクルドは不気味に停滞したままだった。

 ダイムクルドがロウ王国に進軍を始めたと聞いて、急いで動き出したのが数日前。

 開戦に間に合うかどうかギリギリだと思っていたのに、どういうわけだかダイムクルドが急に動きを止めたおかげで、ぼくたちは平穏に、ロウ王国の第一王女にしてぼくの婚約者でもある、ヘルミーナと顔を合わせることができていた。


「ダイムクルドが停滞する理由に心当たりは?」


「いえ……斥候を放ってはいますが、まったくですわ、エルヴィス様」


 平穏とは言っても、戦闘が始まっていないというだけで、王城はピリついた緊張に包まれていた。

 戦争の準備を整えているから、だけじゃない。

 敵方が理由不明の動きをした場合、大抵ろくなことにならないってことを、みんな知っているからだ。

 あるいは、ダイムクルドがまっすぐここ――王都ブレイディアを目指していたときよりも、空気が張り詰めているかもしれなかった。


 ぼくは腕を組んで、


「何らかの異常事態が起こったのか……。どう思う? ルビーさん」


「あー。そうだなあ。憶測にはなっちまうが、こういうときは大抵、アレだ。内部で問題が起こってるってパターンだろな」


「内部で……?」


「仲間割れでも起こしているというのか?」


 ガウェイン君の質問に、ルビーさんは軽くうなずいて、


「外からわかんねーんなら、中しかねーだろ。ダイムクルドは空に飛んでる上、魔王サマのカリスマで強力に結束した一枚岩だ。諜報員もろくに送り込めねーもんだから、あたしらには中の情報が流れてこない。だったら、そこしかねーだろ」


「ロウへの侵攻に反対する勢力でもいたのかしら……」


 アゼレアさんが呟く一方で、ぼくは首を捻る。

 仲間割れ……本当にそうなんだろうか?

 ルビーさんも言った通り、ダイムクルドはジャック君のもとに結束した一枚岩――仲間割れや内部分裂なんて、そうそうありそうには思えないけど。


「ま、憶測で満足できねーんなら、行くしかねーな」


 悩むぼくに、ルビーさんは不敵に笑ってそう言った。


「せっかく止まってくれたんだ。追いかける手間が省けたじゃねーか。なあ?」


「……そうだね。もし本当に内部の問題にかかりきりだっていうなら、今は忍び込む絶好のチャンスだ」


 同時にこれは、ロウ王国への侵攻を未然に防ぐ好機でもある。

 ダイムクルドの狙いは、〈偽られし散華のベリト〉のルーストであるヘルミーナだ。

 むざむざと、婚約者を奪われるような真似はしない――


「――その必要はございません」


 と。

 不意に会話に割り込んできたのは、この場の誰のものでもない声だった。


 全員が一斉に振り返る。

 ぼくたちが作戦会議をしていたサロン、その窓際に、彼女は立っていた。


 白い――白い少女だ。

 髪も、肌も、何もかもが新雪のように白い。

 長く伸びた前髪の隙間から、片方の目が感情を殺した視線でぼくたちを見据えていた。

 その目は、そう、仕える者の目だ。

 何者かに仕え、私を滅して任務を遂行する、プロフェッショナルの目――


 ぼくは、その少女に見覚えがあった。

 あれは、そう――七年前。

 学院の地下迷宮で、巨大な竜をぼくたちにけしかけた――


「――てめえ! あのときの双子……!」


 ルビーさんにぶつけられた敵意に、白い少女はしずしずとお辞儀をすることで応えた。


「ビニーと申します。本日は、我が主、ジャック・リーバー陛下の伝言をお届けに参りました」


「伝言、だって……?」


「申し上げます――『俺たちの始まりにして終わりの場所で待つ』」


 始まりにして――終わりの場所。

 それは、たったひとつしかない。


「我が主、ご本人がお待ちです。兵士は一切伴いません。今、皆さんが疑問に思っておられることには、陛下自身がすべてお答えになるでしょう。どうか、速やかな検討をお願い申し上げます」


 深々と頭を下げる少女――ビニーに、けれどぼくたちは誰一人、警戒を解かなかった。

 不信と戸惑いが、同じだけ。

 なんだろう、この――置き去りにされている感覚は。


「……おう。お招き光栄だっつーところなんだけどよ。ほいほいと誘いに乗ると思ってんのか?」


 ルビーさんの喧嘩腰が、今はありがたかった。

 彼女がいなかったら、ぼくたちはここで、ずっと止まっていたかもしれない。


「っつーかよ。無事で済むと思ってんのかよ? あたしらに精霊術も割れてるお前が、一人で姿を現してよ――」


「覚悟の上です。……ですが、陛下は仰いました」


 その瞬間――少女の顔に、ほんの少し、温かみが滲んだ。


「『あいつらは、そんなことはしない』――と」


「……!」


 その言葉に、心の奥が揺れる。

 それは、魔王の言葉ではなかった。

 今まで伝え聞き、そして実際の行動から感じる、魔王の冷たさはどこにもなかった。

 それは。

 ぼくたちのよく知る――ジャック・リーバーという、少年のもの。


「……どうする?」


 ルビーさんは毒気を抜かれたように矛を収め、ぼくたちに振り返る。


「罠だとすりゃあ、考えられんのはアレだ。あたしらをロウから引き離して、その隙にそこの姫さんを掻っ攫うってやつ。まあ、こんなバレバレの罠を仕掛けてくる奴だとは思えねーけど――」


「心配であれば、王女殿下に同行していただくことも可能です」


 ビニーの言葉に、事態を見守っていたヘルミーナがきょとんと口を開けた。


「えっ? ……わ、わたくしもですの?」


「この城にいるよりも、エルヴィス様一行と一緒におられるほうが遥かに安全です。もちろん、我々は絶対に手出し致しません。その際は不肖、(ワタシ)を人質として、如何様になさってくださっても構いません」


「人質ねえ――お前にそれほどの価値があんのかよ?」


「もちろん!」


 白い少女は急に得意げになって、自分の胸に手を当てる。


(ワタシ)こそは、最も長く陛下に寄り添い、最も多くの寵愛を受けている一人ですから! そう、もはや愛人と言っても過言ではなく!」


 ぼくたちの間に微妙な沈黙が漂った。

 ルビーさんが無遠慮に少女に指を差し、ぼくたちに目配せする。


「……おい、マジでどうする? あからさまに過言っぽいぞ」


「まあ……親しい間柄なのは確かそうだけどね」


 さっきまで主に忠実なメッセンジャーだったのに、急に年相応な態度をされたもんだから、面食らってしまった。

 敵同士でなければ――違う出会い方をしていれば、友達になれたのかもしれない。


「……最も多くの寵愛を受けた……へえ~……」


 毒気を抜かれるぼくたちの一方で、アゼレアさんだけが、未だ警戒の眼差しでビニーさんを見つめていた。

 ビニーさんはそれに気付くと、くすりと余裕ぶった笑みを浮かべ、


「どうか致しましたか? 心配せずとも、陛下は女性一人で手一杯になるほど器の小さい方ではありませんよ?」


「なっ、何のこと? べつに何も心配してないわよ!」


「ええ、ええ、わかっています。(ワタシ)もこの際、開き直っていますから。現状でも書類上では七人も妻がいらっしゃるのです。だったら二番目や三番目でも――ひゃあっ!?」


 ビニーさんは急に飛び上がって、自分の両耳を押さえた。


「にっ、兄さん!? わかってるってば! ちょっと楽しくなっちゃっただけで――ああもう! 頭の中で大声出さないでよっ!」


 彼女の精霊術は、七年前の記憶に照らせば、おそらく【三矢の文殊】。

 双子の兄と精神を共有しているのだろう。


「こほん。……失礼しました。とにかく、判断はそちらにお任せします」


 忠実なメッセンジャーの顔に戻る。

 けれど、印象が元に戻ることはなかった。

 いや……あるいは、大元に戻ったのか。

 冷徹な魔王軍から――


「最後に、もう一つだけ、陛下から伝言を預かっております。これを聞けば、皆様は――特にエルヴィス様は、絶対に呼び出しに応じざるを得なくなるだろう、と」


「……聞くよ」


「――『来ないなら、不戦勝で俺の勝ち越しだな』」


 ――ああ。

 顔が見える。

 悪戯っぽく笑う、少年の顔が。


「行こう」


 ぼくは言った。


「ぼくたちが知ってるジャック君が、あそこにいる」


 誰も、異を唱えなかった。






 それから三日後の夕暮れに、ぼくたちはそこにいた。

 じゃり、と不快な感触を靴が噛む。

 雪のように真っ白な、憎たらしいほど美しい、白骨の平野――

 ――かつて、精霊術学院があった場所。


 すべてはここから始まり、ここで終わった。

 そして、今日。

 再びここから、始め直す。


 見渡す限りの白骨の大地、その中心で、彼は待っていた。

 記憶よりもずっと背が高い、マントを羽織った青年。

 世間では魔王と呼ばれ、けれどぼくたちの中では、依然として級友でしかない少年。


 傍らには、一人の少女がいた。

 そう――ぼくたちはもう、あの人を少女と呼んでしまうくらい、成長したのだ。

 ラケル先生。

 その長い耳と、サファイアのように煌めく髪、そして無表情ながら暖かな面差しを、忘れるはずがない……。


 ざく、ざく、と白骨を踏み締めて近付いていくと、ジャック君も、一歩、二歩と足を踏み出した。

 七年ぶりに、視線が絡む。

 久しぶりに――本当に久しぶりに、目を合わせられた気がした。


 だからぼくたちは、どちらからともなく。

 打ち合わせるでも、相談するでもなく。

 後ろにいる連れ合いに、仲間たちに、こう告げたのだ。


「「――手を出すな」」


 腰に手が伸びたのは、同時。

 ぼくは空色に透ける『天の剣』を。

 ジャック君は朝焼け色に輝く『あかつきの剣』を。

 それぞれ、抜き放つ。


「……コウモリは用意したかい?」


「もういらない」


「ぼくのペンダントはここにあるよ」


「もう知ってる」


 そう――ぼくたちが初めて戦ったとき、その勝敗に大きく関わった彼女は、もういない。

 その空白を間に挟んで、ぼくたちは向かい合っている。

 それは繋がりであり、断絶だった。

 彼女がいたからこそぼくたちはライバルであれたし、彼女がいたからこそぼくたちは宿敵になった。


 ああ、だとしたら――語り合うには、言葉では足りない。

 彼女という空白に踏み込むのには、言葉ではあまりに脆弱すぎる。

 言葉以上に相応しい言語を――ぼくたちは、出会ったときから知っていた。


 白骨の平野が、夕日で赤く染まり上がる。

 二人分の幼い影が、長く横に伸びる。


「……きみは、誰かを守りたかったはずだ」


 足りないと知りながら、それでも語る。


「お前は、誰かに認められたかったはずだ」


 いつかぶつけた言葉を、なぞるように。


「最強になることは手段に過ぎない」


「最強になることが至上の目的だ」


「手の届く範囲がきみの幸福だ」


「目にも見えない彼方がお前の夢だ」


「だから」


「だから」




「「――誰よりも、強くなりたかった」」




 それはもはや、儚く散った幼い夢。

 この場所で、この純白で、最強を目指した二人の神童は等しく挫折した。


 だから、今こそ、この場所で。

 七年前のあの日から、一歩を踏み出すために。

 取り戻さなければならないのだ――儚くも美しい、小さな頃の夢を。


 宣言する。

 元神童ぼくたちにとって、己を己たらしめる言葉を。




「「お前(きみ)より、(ぼく)のほうが強い!!」」




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― 新着の感想 ―
[一言] 「――『来ないなら、不戦勝で俺の勝ち越しだな』」 こんなん泣くわ
[良い点] 続編きたぁ〜! [気になる点] 次がいつ投稿されるのか [一言] めちゃくちゃ嬉しいです
[良い点] 更新待ってました 期待してますゾイ
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