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Google+よ、永遠に

Google+が公式に死にます。

と聞いて、ぼくのようにショックを受ける人はほとんどいないでしょう。
そもそも存在を知っている人がどれだけいるのかも疑問です。

要約すると
- Google+のプロフィールが大規模に流出した
- この機会にGoogle+を終わらせます
- 2019年8月まではアクセスできる
という感じです。

正直最近のGoogle+は過疎過疎の過疎で、逆にここまでダラダラと続いたのはGoogleの企業体力だなあとしか思わないのですが、個人情報の流出を踏まえると至極まっとうな決断です。

しかし、どれだけ人が少なく見えるSNSにもユーザーはいるのです。その一人だったぼくはGoogle+の終了がとても悲しいので、Google+との最後の思い出に、ぼくとGoogle+の歴史を書き残そうと考えました。

Facebookのパクり

SNSにおいて数多の失敗を繰り返してきたGoogleがまたしてもGoogle+でSNS界に参入したのは2011年6月のことでした。

SNSが登場するまで、Googleは検索エンジンという立場を活かし、他のあらゆるサイトへの玄関口となっていました。
つまり、どんな情報にアクセスするにもGoogleを経由しなければなりませんでした。

FacebookやTwitterが他のサイトと大きく異なったのはそこです。Googleのシステムに自分たちのコンテンツが載らないように設計したのです。
FacebookやTwitterのコンテンツを探したいと思うユーザーはサイト内で検索します。Googleの入る余地はありません。
このままでは検索を網羅できないと考えたGoogleは、自らのSNSを作るしかありませんでした。

Google+でできることはほとんどFacebookと同じです。
主な違いは、「サークル」という単位で友達を管理できること。
Google+で新しい人と知り合いになるとき、ただ「友達になる」とか「フォローする」のではなく、自分が作ったフォルダのようなもの(サークル)にその人を分類する必要があります。
例えばぼくのGoogle+アカウントの「学校」というサークルには学校で知り合った人がまとめてある、という感じです。
Twitterのリストのように、今は学校関連のことだけ見たいと思えば学校サークルのストリームを見ればいいし、自分が投稿を共有するときも、学校の人にしか見せないようにサークル単位で設定できるのです。

Google+のもう一つのよい点は、ほぼ全人類が一つは持っているGoogleアカウントがそのまま使える点です。Gmailアドレスを知っている人なら誰でも、Google+ですぐに友達になることができます。

しかし、これはよい点であると同時に悪い点でもありました。みんなGoogleアカウントを持っているので、アカウントを持っている人のうちGoogle+でアクティブに活動している人の割合がとても低くなってしまうのです。あの人はGoogle+をやっているかなあと思って検索すると、アカウント自体はすぐ出てくるのですが、その中で誰かをフォローしている人、ましてや投稿が1つでもある人は本当にわずかです。結果、なんとなく誰もGoogle+をやっていないように見えてしまうのです。

さらに、検索企業Googleが作ったSNSなのに検索性が悪いのも問題でした。Gmailアドレスさえわかれば簡単にアカウントを特定できるのですが、逆に言えば他の人に確実に自分のアカウントを伝えるためにはGmailアドレスを教えなければなりません。SNSで知り合った人に自分のGmailアドレスを積極的に教えたいと思うユーザーがどれだけいるでしょうか。

出会い

そんなこんなで始まったGoogle+は最初は招待制でした。
あのGoogleが本気で作ったSNSということで、それなりに話題になったのを覚えています。
残念ながら当時小学生のぼくにはGoogle+に招待された友達がいなかったので、Google+プロフィールを作れたのは一般開放された9月のことです。
FacebookやTwitterには抵抗があったので、(そういう時代でした)、手持ちのGoogleアカウントで始められたGoogle+がぼくにとって最初のSNSでした。
自分でストリームに流れるコンテンツを変えられる、自分で他の記事をシェアしたり+1をつけたりできるのが本当に面白くて、特に友達もいないのにいろいろなアカウントをフォローして、特に必要もないのにサークルを整理して楽しんでいたことを今でも鮮明に思い出せます。

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初期のサークル管理UI。懐かしくて涙が出そうです。

Googleが力を入れたSNSというだけあって、+1ボタンはいろいろなサイトに設置され、いっときはYoutubeにコメントするために必ずGoogle+アカウントが必要になったり、AKB総選挙とタイアップしたりして、ユーザー数そのものはかなり増えました。

しかし、ユーザーがどれだけ増えてもGoogle+そのものを使ってくれる人は増えませんでした。存在すら知らない人が大多数だったと思います。例えば2013年には、Google+の一ヶ月間累計のユーザー平均滞在時間はたった6分でした(参考までに、Facebookのそれは6時間です)。アカウントの母数が多いのもこの数値が低くなってしまう原因のひとつですが、体感でも全然人が増えていないのはわかりました。

ぼくは学校の友達をたくさんGoogle+に招待したり、ハングアウトでビデオ通話をしたりして結構頑張ったのですが、さすがに世界的な潮流には逆らえませんでした。

必然性

さて、こんなに人が少ないのに、こんなに知名度が低いのにGoogle+に残って話しているのはどんな人でしょうか?
それは、Google+でなければいけない人です。

ぼくは昔からITやテクノロジーに興味があったのですが、2014年、Google I/Oで発表されたMaterial Designに、恋に落ちてしまいました。
その頃のぼくは、UIデザインという領域があることすら知らなかったのです。

いや、厳密に言えば、Google I/Oでの発表ですぐに恋に落ちたわけではありませんでした。ぼくはひょんなことから、Google+のMaterial Designコミュニティに投稿されている素晴らしいコンセプトデザインの数々を見てしまったのです。

人が少ないGoogle+のコミュニティに未だに残っているのは、Googleが本当に大好きな人たちばかりです。みんなが本気でMaterial Designのあり方について考え(ある意味教義の吟味とも言えるかもしれません)、理想を描いているのを見ているうちに、Androidというシステムのあり方、ひいては理想のインターフェースとは何かについて、ぼくも思いを馳せるようになったのは至って自然なことでした。

Material Designのガイドラインはぼくのバイブルとなりました。それがぼくの知っているただひとつのデザインシステム、すなわち一張羅でした。しかし一張羅とはいえ、ぼくにファッションの素晴らしさを教えてくれたのは紛れもないGoogle+だったのです。
もしGoogle+がなければ、ぼくは大学でデザインのサークルに入ったり、そこで素晴らしい仲間に出会ったりすることもなかったと断言できます。

もっと言うと、ぼくに英語の重要性を教えてくれたのもGoogle+でした。ただでさえ人が少ないSNSの中で、日本人はそれに輪をかけて少なかったので、議論を理解するには英語が必須でした。しかしありがたいことに、他の人の投稿を理解するためなら英語の解読はまったく苦ではありませんでした。

Material Designに関して言えば、Google+より熱のこもった良質な議論が展開される場所を未だにぼくは知りません。最近のGoogle+ではそれすら下火になっていましたが、それでもGoogle I/Oのたびにストリームが活発に流れます。

みんな、Google+にいるべくしていたのです。

お別れ

初めてMDコミュニティに投稿した日のこと。

休日を費やして作ったコンセプトデザインが少し伸びて、コミュニティの上部にピンされた日のこと。

I/Oで発表されたAdaptive Iconsが与える影響について、コミュニティの人たちとハングアウトで通話した夜のこと。

(でもぼくの英語スピーキング力不足でまったく発言できなかったこと。)

そして、Google+で見つけた素晴らしいデザイナーの方々、開発者の方々、アプリの数々。

Google+で起こったどんないいことも、あと10ヶ月で、思い出すことしかできなくなってしまうのです。

Google+が終わったら、みんなどこへ行くのでしょうか。
今ぼくのストリームでは、みんながTwitterとInstagramのアカウントを交換しあっています。
確かに、うまくやればGoogle+で出会った人と別のプラットフォームでも友達関係を続けられるかもしれません。

しかし、人間とは不思議なもので、特に理由がなくても今まで自分が使ってきたからという理由だけでプラットフォームに愛着を持ってしまうのです。
この期に及んでGoogle+の閉鎖を止めてくれと訴える署名活動さえあるくらいです。(ぼく?こんな沈みゆく船を素手で引っ張りあげるような馬鹿げた活動協力するわけ…しました。)

人々に愛着を持ってもらうという点では、Google+は文字通り「場所」としての役割を、バーチャルながらも立派に果たしたといえるでしょう。
Google+は今のぼくを形作った、故郷のひとつなのですから。

もしどなたかここまで読んでくれているなら、ぼくがあなたに伝えたいのは、サービス、場というのは、どれだけ人が少ないように見えてもそれを、ないしはそれとの思い出を、愛する人がいるということです。

ぼくがGoogle+をやっていると伝えると、大抵の人は「何それ?」という反応をするのですが、相手が少し詳しい人だと「ああ、あのオワコン過疎SNSねw」と言われることもあります。
もちろんそういう人たちは特別悪意があるわけではないのに違いないし、実際Google+がオワコンで過疎だったのは確かなのですが、ぼくはどうしても、Google+での思い出さえ否定されているような気がしてならなかったのです。

死にゆくサービスを笑うのもいいかもしれませんが、少しだけ、そこであった出会いやドラマ、創った人の思いを感じ取ってみてはどうかなと思います。

そしてもし気が向いたら、Google+を終わらせないための例の署名活動にも参加してみてはいかがでしょうか。
もしかしたらGoogle+はあなたの参加の有無に関係なく終わるかもしれませんが、そうすればGoogle+はぼくとあなたの心の中で、少なくとも少しだけ永遠に近い期間、残るだろうと思います。

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ritar 読んでいただきありがとうございました。サポートがたまったら執筆時に飲む用のちょっといいお茶を買おうかなと思います!

コメント

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