女の言うまた来た、という言葉がセライルの耳に引っ掛かった。確かあの老人は「セライル」という名前を、まるで護符か何かのように語っていたが、以前にも自分と同じように、透明病になりたくて(あるいは他のあらゆる望みを抱えて)、塔の中へ入った人間がい…
塔の中は黴臭く、入った瞬間にセライルは何度か軽く咳き込んだ。扉はギイと音を立てて閉まり、再度開けようかとドアノブに手をかけたが、彼女は少しの思案の後に断念した――塔の外へ出た際に、地上がどうなっているか皆目見当が付かなかったためだ。 入り口は…
「…時計塔」 しばらくして老人はぽつりと言った。 「色彩の国は、あの時計塔の中にある」 Aは驚いた顔で老人を見詰めた。絵本の中で見たシキサイの国が、あんなおどろおどろしい洞窟のような塔の中にあるなんて!赤茶色のレンガには幾つも亀裂が走っていて、…
――時計塔の扉を開けよ、 時計塔の扉を開けて、 眠る死者の声を聴け。 荒地を歩く日が何日も続いた。何べん歩いても、周りの景色は静止したように変わり映えがしなかった。空を見れば紫色と灰色の入り混じった、平たい形の雲が何層にも重なっていて、雨も晴れ…
とつん、とつん、と杖の音が響く。そのすぐ後ろをAの小さな靴が、ぱたりぱたりと追いかける。振り返れば花鳥の里はもうすっかり遠くにあって、光る煙のようにぼんやりと浮かんでいる。Aの靴は砂埃にまみれて白く、右の足首にはいつの間に出来たのだろう、3…
――例えば、リストカットへの依存をやめられない人がいたとして、彼あるいは彼女に「自分を傷付けるのはやめなさい。そんなことをして何になる」などと言葉を向けるのは、全くナンセンスな真似だと思う。なぜなら、彼らは他ならぬ自分自身を傷付けたいから手…
センター街の路地を無言のまま数分歩いて、行き付けの店の奥へと向かい、腰を降ろす。初めてここへ来た時と、変わり映えのしないメニュー。客足もまばらで、あたし達の他には二、三人くらいしかいない。しかしそんな所が気に入って、通い続けていた――この人…