小川論文への応答
『歴史学研究』1062号(2025年6月)に、小川幸司「論破型歴史叙述の問題点を考える――田野大輔・小野寺拓也「一般向けに歴史を書くことの困難」を読んで」が掲載された。これは、同誌1058号(2025年2月)に掲載された私たちの共著論文に対する反論である。
この論文で小川氏は、2023年8月4日に東京外国語大学で行われた小野寺・田野の共著『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』の合評会での氏の発言を小野寺が上記共著論文で批判した箇所について、発言の引用の仕方に問題があるのではないかとの批判を行った。この批判は学術的な論争のルールに関わる内容を含んでいるため、これについては早い段階で私たちの見解を表明する必要があると考え、この研究ブログに公開することとした。
小川氏の批判は以下の三点に要約できる。
① 相手の発言を批判する場合、反証の可能性を保障すべきである。この場合は、小川氏がそのように発言したかどうかの記録を提示すべきである。
② 小野寺が引用した小川氏の発言について、小川氏のレジュメには、その後に「自分への問いかけがわいてくる」と書いてある。したがって、この発言は「自分自身のあり方」を問うたものである。
③ それにもかかわらず、小野寺はその後の部分を引用しないことによって、「意図的なことばの切り貼り」をした。
これに対する私たちの見解は以下の通りである。
① 小川氏から東京外国語大学あてに講演記録公開の要請が行われ、それを受けて東京外国語大学の海外事情研究所が2025年6月16日に記録を公開した(https://www.tufs.ac.jp/common/fs/ifa/whseminar2023_reopen.html)。これまで記録の公開が行われなかった理由については、同研究所の説明を参照していただきたい。今回の記録の公開により、小川氏の発言がどんな内容だったかは確認が可能になっている。未公開の講演内容を小野寺が上記共著論文で引用したことを遺憾とした同研究所の指摘については、これを重く受け止め、お詫びする。
② 小野寺が上記共著論文で引用した小川氏の発言が行われたのは、氏が小野寺・田野の共著を書評するセッションにおいてであった。小川氏の発言は「「専門家」に、これが最新の解釈だぞって言って、結論も明確に示されて、そうだそうだって納得する、うなずくだけでは、ヒトラーになびいたドイツ人と大差なくなるのではないかということを、どうしても私はひっかかっちゃうんですよね」というものだが、氏が主張するようにこの発言が「自分自身のあり方」を問うたものだとしても、その場合に自身を投影しているのが「うなずく側」であることは明白であり、そうである以上、「専門家」である小野寺・田野をヒトラーと同列に置いていることに変わりはない。「自分への問いかけがわいてくる」と書いているかどうかにかかわらず、小川氏が「専門家」である私たちをヒトラーになぞらえたものと理解するのが自然である(付言すると、「自分への問いかけ」の文言はレジュメに記されているだけで、口頭では述べられていない)。「小野寺氏をヒトラーに準えたわけではない」という今回の論文での主張は小川氏の真意を表すものとして前向きに受け止めるが、少なくとも合評会での氏の発言は私たちを「ヒトラーに準えた」ものと十分に理解できるものであり、百名を超える参加者に誤解を与えかねない不用意な発言であった。
③ 小川氏は合評会でさらに続けて、「でもその「専門家、よくぞ言ってくれた」というのは、同じような、でも「専門家」の顔を纏った(歴史)修正主義の魅力的な本が出てきたときに、やっぱり「うんそうだそうだ」ということになっちゃいやしないのかな、というとこです」と発言しているが、この発言も「自分自身のあり方」を語ったものというより、「最新の解釈」を提示し「結論も明確」に示す小野寺・田野の姿勢の危うさ――小川氏はこれを「論破型歴史叙述」と呼んでいる――を指摘したものと理解するのが自然である。小川氏は小野寺が「意図的なことばの切り貼り」を行ったと批判しているが、氏の発言は小野寺・田野を批判する目的で私たち二人を「ヒトラーに準えた」ものと理解されて当然の内容であり、小野寺が小川発言の意図をねじ曲げたという指摘は当たらない。このような不用意な発言を行った小川氏の側に釈明が求められる問題である。
それ以外の学術的な争点については機会を改めて論じることとしたいが、一点だけ、なぜ私たちと小川氏の「論争」がかみ合わないのかについて、現時点で考えられる理由を指摘しておきたい。私たちは上記論文で次のように述べている。
そこで小川が防波堤として据えるのが「対話」である。「他者の発言を受け止めて自分の発言を相対化し、さらにはその相対化した自分を、対話の展開によってさらに相対化していく」ことで「何でもありでよいとする相対主義を乗り越えていく」のだと。小川が日々向き合っている高校の教室では可能な営みかもしれない。だがネット空間を中心に跋扈する歴史修正主義者に、相対主義を乗り越える意思はない。自分を相対化することを拒み続けるのが歴史修正主義者の特徴と言ってもよい。そうであるならば、小川の「対話」や「歴史実践」は歴史修正主義に対して事実上無策であると言わざるをえない。性善説に立脚した議論にはやはり限界がある。
この文章からも明らかなように、クローズドな空間である高校の教室での「対話」が可能であり、また重要であることを私たちは否定していない。だがネット空間ではそのような「対話」はきわめて困難であり、別の対応が必要だと述べているのである。状況に応じてどちらの対応も必要だ、ということである。
だが小川氏が論文で述べるのはあくまで教室の中での対応だけであり、ネット空間の歴史修正主義的な言説への対応策はまったく示されることがない。私たちは書籍という媒体を使って社会に働きかける方法を選んだので、授業とは違ってその場で人びとと「対話」をすることはできない。書籍を通じて社会に働きかける場合、現在の学術上の到達点を踏まえて正しいものは正しい、間違っているものは間違っているというスタイルを取らざるをえない。「対話」の外にいる人びとに働きかけるうえで、私たちの手法にどのような意義があるのかを内在的に理解することなく、それを(小川氏が標榜する「対話」型の敵概念として)「論破型歴史叙述」と呼んで全否定するだけでは、かみあった「論争」にはならないだろう。
それでも小川氏の反論を読んで、私たちと氏の間でいくつか認識を共有できた点もある。第一に、「専門家(歴史家)の「解釈」をまずは受け取って、それをもとに市民としての「意見」を組み立てるべきだ」という私たちの主張について、「それはもっともなことである―その意義はみとめたい―」と理解を示している。一方で小川氏は、「歴史家であれ、一般市民であれ、「どう事実を見出すか」「どう解釈するか」自体が「意見」であるはずである」とも主張しており、「解釈」と「意見」を同一視している。この点は私たちと見解を異にしているが、これについてはさらに議論を深めていく必要があるだろう。もう一つ、小川氏は「私が日々取り組んでいる歴史教育は、ポスト・トゥルースの風潮に抗してこれからの民主主義を擁護する市民を育てるためのいとなみである」と総括しており、歴史修正主義的な言説と戦っていく必要性を認めている。「解釈」が市民にとっても重要であること。歴史修正主義と戦っていく必要があること。この二点は、今後議論を発展させていくうえで重要な共通の足場となりうると私たちは考えている。
2025年6月18日
小野寺拓也・田野大輔