今日は法句経の一節に依って日本が領土分割から免れることを得た日
・1951年9月6日のサンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席したジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後のスリランカの第2代大統領)は、
「日本の掲げた理想に、独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」
「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む
( Hatred ceases not by hatred, But by love.)」という法句経の一節(注1)を引用して、セイロンは日本に対する戦時賠償請求を放棄する演説を行いました。この演説もあり、
「連合国は、連合国の全ての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権、占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄(第14条(b))」しています。
また以前に在った領土分割案も当然立ち消えとなっています。
そして安全保障面でも
連合国は、日本が主権国として国連憲章第51条に掲げる個別的自衛権または集団的自衛権を有すること、日本が集団的安全保障取り決めを自発的に締結できることを承認(第5条(c))されています。
またこれ以前に1946年の東京裁判ではインドのパール判事が「裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しない」と日本を擁護しています。このパール判事もヒンズー教徒(仏教の親類の教え)であったとされます。そしてこのサンフランシスコ講和会議には、インドやビルマ は不参加でしたが、その理由について、インド首相のジャワハルラール・ネルーは、条約に外国軍の駐留事項を除外すること、日本が千島列島や樺太の一部をソ連に、澎湖諸島や台湾を中国に譲渡する必要があること、沖縄や小笠原諸島の占領継続などを理由に、日本に他の国と等しく名誉と自由が与えられていないとして、不参加を決めたと主張したとされます。
(注1)法句経雙雙品第一の五「 此の世に於て怨は怨を以もつてしては終に解べからず、愛を以ってぞ解べき、これ永劫不易の法なり。」