プロローグ・オブ・ラケル 悪夢の解錠者 - Part3
〈ミイラ取りがミイラになった。そう考えるほかはありません〉
一人きりの自室。
テレビもない部屋は水が打ったように静かで、だからこそ、スマホ画面に映ったテキストが頭の中に突き刺さる。
〈私も我が身が可愛い。この件からは手を引きます。ですがその前に、刑事の最後の依頼を果たさなくてはならない〉
川越刑事と共に結城兄妹の行方を追っていた失踪者捜索人。
彼は『最後の依頼』と、そう断言した。
〈薬守亜沙李さん。あなたに私の知る限りの情報をお話しします〉
そうして、文章はここ数ヶ月における、川越刑事の戦いを語り始めた。
私から話――××ちゃんのスマホに、きーくんの彼女のSNSが映っていたこと――を聞いた川越刑事は、ある作戦を着想したという。
すなわち、囮作戦。
敵側にとって、自身の居場所を探り出そうとする川越刑事は目の上のタンコブだ。
こちらが向こうの居場所を探っているように、向こうもこちらの居場所を探っている。
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。
だから少し隙を見せてやれば、必ず顔を覗かせるはずだ――
刑事はそう考えて、作戦を決行した。
それまでは細心の注意を払って自分の足取りを消していたらしいが、わざとらしくない程度にネット上に情報を残した。
同時、スキップ・トレーサーである彼が、その情報へのアクセスを監視する。
すると、明らかに有意な集中的アクセスが検出された。
そのIPアドレスを見れば、アクセスした人間の居場所はかなり絞り込めてしまうのだそうだ。
〈無論、この程度でボロを出す相手ではありませんでした。だが尻尾は掴んだ〉
こうした計画的失踪者は、何かの情報にアクセスするとき、自分自身との情報的な距離をできるだけ離しておくそうだ。
例えば、誰か協力者にメールを飛ばし(もちろんこの連絡には、使い捨てのプリペイド携帯といった足のつきにくい方法を使用する)、その人に調べたいことを調べてもらう。
すると、ネット上に残るIPアドレスは協力者のものになる。
IPアドレスを元に協力者が特定されたとしても、自分自身が見つかるまでにはもうしばし猶予ができるというわけだ。
〈かかる手間と時間が増えるほど、失踪者が追跡に気付く確率は高まります。そしてひとたび気付かれれば、再び姿を暗まされて振り出しに戻ってしまう〉
スピード勝負だった、とスキップ・トレーサーは語った。
こちらが見つけ出すのが早いか
それとも、敵が罠に気付くのが早いか。
敵の尻尾を掴んだ代償として、敵もこちらの尻尾を掴んでしまっている。
再失踪のリスクはおろか、反撃を受ける可能性すらある危険な状態だった。
かくして、熾烈な追跡競争が開幕したのだ。
その結果――
〈我々は、彼らの居場所を特定しました〉
〈それと同時に、川越刑事は煙のように消えた〉
――勝負は、痛み分けに終わったのだ。
得たのは、あの二人の居場所。
代わりに失ったのは、川越刑事の……。
〈彼女は〉
彼女、とスキップ・トレーサーは呼んだ。
〈彼女は、やろうと思えば姿を暗ますこともできた。にもかかわらず、リスクの高い実力行使に出た。この事実は、彼女がそこから動くつもりがないことを示唆しています〉
〈今もまだ、あなた方の捜し人はそこにいます〉
それからスキップ・トレーサーは、懇切丁寧な忠告を書き連ねていた。
そこに彼らがいるとしても、今のところ違法性を証明する証拠は何もない。
ゆえに、仮に一連の失踪事件が彼女の仕業だとしても、警察を頼ることは現状できない。
その上でどうするかはあなたに任せるが。
個人的な意見を言わせてもらえば、迂闊なことは決してするべきではない。
――さもなければ、あなたもミイラになるだろう。
〈それでも知りたければ、スクロールしてください〉
その一文の下には、延々と改行が続いていた。
できれば読まないままメールを消去してほしい――
そんな気持ちが垣間見える、改行だった。
……きっと、川越刑事の轍を踏んでほしくないのだろう。
彼もまた、刑事が姿を消したことに責任を感じているのかもしれない。
だから、見ず知らずのわたしすら、こんな風に心配してくれるのだ。
……ありがとうございます。
でも。
だからこそ、彼女を放置することはできない。
わたしは、メールをスクロールした。
〈結城兄妹は、あなたもかつて住んでいたマンションに、今もまだ住んでいる〉
……それを見ると、わたしは指示通り、下書きメールを消去した。
――あの卒業式の日。
夕暮れの教室で、わたしたちは恋人同士になった。
肩の荷が下りたような気持ちだった。
これからは胸を張って隣に並び、一緒に生きていけるのだと――本当に、嬉しかったのだ。
それを。
彼女が。
根こそぎ、奪っていったのだとしたら。
「……許さない」
必ず、取り戻す。
それがわたしの――義務だ。
◇◇◇―――――――◇◇◇―――――――◇◇◇
地元に帰るのはお正月ぶりだった。
ましてや中学の頃まで住んでいたマンションとなると、……確か、5年ぶり。
きーくんたちが引っ越したと聞いて、自分の目で確認しに来た……あのとき以来だ。
新幹線の車窓から外を眺めて、わたしは5年前を思い出す。
あのとき、結城兄妹は確かに、かつて住んでいた部屋にはいなかった。
部屋は完全に引き払われて、契約も解除されていた。
つまり――
あの二人は、遠方に引っ越した振りをして、同じマンションの違う部屋に移動したのだ。
……当時、二人は未成年。
きーくんは18歳で、××ちゃんに至ってはまだ15歳だった。
ということは、部屋の契約には保護者の同意が必要なはずだけど……。
いったい、誰の同意を取ったのだろう?
親戚の誰か?
いいや、その場合、その親戚は二人の居場所を知っていることになる――川越刑事の追及をかわしきれるとは思えない。
だとしたら、おじさんとおばさん――5年前に亡くなった二人の両親?
もうこの世にはいないのだから、いわゆる死人に口なしというやつだ。
もしかすると、二人の交通事故自体――
……恐ろしい想像を、わたしは反射的に振り払った。
落ち着け。正規の手段で部屋を得たとは限らない。
川越刑事も言っていたではないか。この高度情報化社会、何かをすれば必ずそのデータが残る。
兄妹に関わる人間の名義で、あのマンションの部屋が契約されていたりすれば、川越刑事は確実に気付いたはずだ。
……空き部屋を不法に占拠している、とか?
いいや……もし管理人さんに気付かれたらその瞬間に計画失踪がバレてしまう……。あまりにリスクの高い選択肢だ。
あれからわたしは、実際に起こった計画失踪事件について、少し調べてみた。
世の中にはいろんな人がいるもので、中には、まるで推理小説のように自分の死を偽装して、何年も自分自身の保険金を騙し取っていた人もいるという。
情報が見つかることからわかる通り、最終的には見つかってしまうわけだけど、その理由は案外、くだらないミスだったりした。
例えば、死亡偽装。
自分を死んだことにして行方を暗ました場合、極めて巨大なネックが発生する。
身分証明ができなくなるのだ。
それゆえ、スピード違反なり無灯火運転なり、どんな些末な理由でも警察に捕まれば、身分証を提示できなくて即刻バレてしまう。
何らかの手段で別の身分を手に入れればクリアできるかもしれないけど、それはもう、個人にできることではない。
死亡偽装の実例の中には、まさに今回に近いケースもある。
海に流されて行方不明になったはずの男が、自宅の2階に5年間も隠れていたというものだ。
現代社会で大移動を敢行すれば、痕跡が必ず残る。
灯台下暗しという言葉もあるし、下手に距離を取るよりもその場から動かないほうが見つかりにくいのかもしれない。
とすれば。
結城兄妹は――いいや、おそらく彼女は、綿密な計算の上で姿を暗ましたのだ。
下手に動けば痕跡を追われる可能性が高いと踏んで、遠方に引っ越した振りだけしてその場に留まった。
川越刑事の語っていた情報攪乱もカムフラージュだったのだろう。
『本当の行き先を偽情報に隠している』と思わせることで、追跡者の頭から『実は動いていない』という可能性を消去する……。
……当時15歳の女の子が考えたとは思えない計画。
だけど、彼女ならできる。
幼い頃から彼女を見ていた人間としての、それが直感だった。
果たして、ここまで微に入り細を穿つ計画を立てた人間が、つまらない切っ掛けでご破算になるような手を打つだろうか。
空き部屋を不法占拠している、という可能性は低いように思えた。
残る可能性としては、縁もゆかりもない人間の名義を勝手に騙って契約したか――
――あるいは、あのマンションそのものがすでに彼女の手の内か?
……なんでだろう。
荒唐無稽な発想なのに、『やりかねない』と思っている自分がいた。
そんな思考をぐるぐるさせているうちに、地元に帰り着いた。
何らかの手段で監視されている可能性もある――川越刑事のこともあって向こうも警戒しているはずだし、表向きには連休を利用した帰省を装っていた。
懐かしい一家団欒にも、心の底から和むことはできない。
わたしはここに、戦いに来たのだ。
着いた翌日に、わたしは実家の車を借りて、件のマンションに向かった。
中学まではわたしも住んでいた場所。
きーくんと××ちゃんとの思い出が、数え切れないほど詰まった場所。
だというのに、5年ぶりに見た10階建ての建造物は、まるで魔王か何かの城のように、圧迫感をまとっているように見えた。
曇天の下に聳えるそれを遠目に見ながら、車で周囲をゆっくりと回っていく。
……どこだ。
二人はどの部屋にいる?
明かりの有無。
カーテンが閉まっているかどうか。
その程度のことでは判断がつかない。
もはやこのマンションの住人ではないわたしは、エントランスに入ることさえ簡単ではない。
いわゆるオートロックで、エントランスの入口に鍵がかかって部外者は入れないようになっているのだ。
だけど、かつて住んでいたわたしはその抜け方をいくつか知っていた。
手段その1。
住人と一緒に入る。
これはシンプル。住人がドアを開けたときを見計らって一緒に入るだけだ。
ただし、目撃者の発生をどうやっても避けることができず、不審者と疑われてしまうリスクがある。
もし騒ぎになれば彼女にも一発でバレてしまうだろう。
幸い、わたしは女だから、男の人に比べれば疑われにくいとは思うけど……できれば使いたくはない手段だ。
手段その2。
暗証番号で入る。
前と変わっていなければ、このマンションは入口で四桁の暗証番号を入力することで中に入れるようになっている。
かつてのわたしが使っていた番号はさすがに使えないだろうけど、入っていく住人の手元を盗み見ることは充分可能だ。
手段その3。
内側のセンサーを作動させる。
マンションの内側から外に出ようとするときは、センサーが人の訪れを察知してドアが自動で開く仕組みだ。
だから、ドアの隙間から紙などを入れてセンサーを誤作動させればいい。
……ただ、これは監視カメラで見られていると極めて怪しい。
さっさと入ってさっさと出ていく泥棒ならともかくとして、わたしにはあの二人を見つけ出した後にも人生がある。これも避けるべき手段だろう。
他にも、非常階段から侵入する、なんて手段もあるけど……できれば堂々と入りたい。
マンションには監視カメラがひしめいているのだ――もしわたしの妄想の通り、このマンションが彼女の手中にある場合、監視カメラ映像をリアルタイムで見ている可能性も否定できない。
……ということは、結局のところ、選択肢はひとつしかないわけだ。
暗証番号を盗み見て、正面から堂々と入る。
マンションから駅方面に向かう通りに車を停めた。
必ずこの道を通って帰ってくる住民がいるはず。
それらしい人物が訪れるのを待った……。
夕方、夜の帳が迫る頃、ラケットケースを肩に提げた高校生くらいの女の子が、駅の方向から歩いてきた。
……来た。
きっと部活帰りだ。
ラケットケースの女の子がマンション方面に角を曲がったのを見て、わたしは車を降りる。
20メートルほど距離を空けて、女の子の後を追った。
女の子が、マンションに入る。
わたしは上着のポケットに入れたスマホの存在を意識した。
レンズだけがポケットの外に出る形になっており、わたしから見て右側の景色を録画し続けている。
わたしは、マンションの前を、ゆっくりと通り過ぎる。
横目で見ると、ラケットケースの女の子が、暗証番号を入力する端末の前に立っていた。
手が、動いている。
わたしは見なくてもいい。
スマホによる録画映像が、後で教えてくれる。
エントランスのドアが開くのを横目に見つつ、わたしはマンションから離れていく。
ぐるりと遠回りをして車のところに戻ってくると、変に怪しまれる前に発進した。
……とりあえず、今日はここまで。
行動には細心の注意が必要だ。
二人が、マンションのどの部屋に隠れているのか。
それは明日、確かめる。