会社側の否定、掲載せず 「大川原化工機」冤罪事件、朝日新聞社報道を検証
警視庁と東京地検による捜査が違法と認定された「大川原化工機」の冤罪(えんざい)事件について、朝日新聞はどう報じたのか。関係者にも話を聞き、一連の報道を検証した。▼1面参照
朝日新聞が最初に紙面で取り上げたのは、2020年3月12日。前日に警視庁公安部が社長の大川原正明さんら3人の逮捕を発表したことを受けたもので、東京本社版などの社会面に短い記事を掲載した。この日は、東日本大震災9年などのニュースを大きく扱っていた。
そこでは逮捕容疑について、「経済産業相の許可を得ずスプレードライヤ1台を中国に輸出した疑い」と記述。「大川原容疑者らは申請書類で性能を偽っていたという」とも言及した。担当記者は同社に取材し、スプレードライヤが経産省への申請が必要な商品ではない、と容疑を否定する見解を聞き取り、記事に盛り込んでいた。この見解を掲載すべきだったのに価値判断を誤り、結果的に掲載されなかった。デジタル版も紙面と同じ内容だった。
逮捕の発表に先立ち、デジタル版では3月11日、公安部が大川原さんらを逮捕する方針を固めたことを報じていたほか、翌12日には「スプレードライヤ不正輸出、収益優先か 規制は骨抜き」と配信。国内市場が頭打ちになる中、大川原さんらが中国に進出する過程で収益を優先させたとの警視庁の見立てや同社の事業内容を報じた。また、2カ月後の5月、韓国を輸出先とする同様の容疑で3人が再逮捕された際も配信した。
■記事3本公開のまま
21年7月30日、病死した元顧問の相嶋静夫さんを除く2人への起訴が取り消されたが、逮捕容疑を前提とした3本のデジタル記事をそのまま公開していた。
9月に入り、関係者を改めて取材する過程で、相嶋さんの遺族から指摘を受けた。起訴取り消しから約2カ月後の同下旬、公開を終了したり、起訴が取り消されたとの「おことわり」を付記したりする対応をとった(修正した記事も社内ルールにより公開期間終了)。
取り消しの背景を取材するなかで、警視庁の捜査に問題があり、大川原さんらが冤罪だった可能性が出てきた。大川原さんや元顧問の遺族、捜査関係者への取材を踏まえた検証記事を21年11月に出したほか、22年4月には同社への取材結果をまとめた連載をデジタル版で配信した。
23年6月には、大川原さんらが国と東京都を相手取り損害賠償を求めた訴訟で、公安部の警部補が事件を「捏造(ねつぞう)」と証言。社説で捜査の検証を求めたほか、公安警察の「暴走」についての論考記事を掲載した。
23年12月にあった訴訟の一審判決、今年5月の二審判決とも捜査の違法性を認めた。朝日新聞は、裁判による事実認定が二審で終了することや、事案の重大性や社会に与えた影響を踏まえ、二審判決の記事では違法な捜査にかかわった警察官や検察官とその上司について実名で報じた。
■「警察発表を一方的に報道、不信感」 大川原正明さん
起訴取り消し後、事件がどう報道されたのか確認しました。朝日新聞は、私たちが最初に逮捕されたことを報じた記事で、容疑を否定しているという会社の見解を載せてくれなかった。警察の発表を一方的に記すだけでした。
逮捕後の取り調べでは、黙って聞いているしかありませんでした。反論すれば、罪を重くされると思ったからです。勾留は11カ月間に及びました。何度も保釈申請をしているのに、否認しているという理由で却下される。無実を訴えることが不利になるというのは、人質司法だと思います。
自分自身が反論できない中で、会社は「違法なことはしていない」と訴えていました。新聞記事でこうした主張を載せていただけなかったことに、不信感を持ちました。
逮捕に至る前の任意の聴取で、私たちは違法性を否定していました。でも警察は私たちを逮捕した後、認否を明らかにしなかった。否定していたことは、ちゃんと言わなきゃだめだと思います。メディアもそれを求めないといけない。
警察取材では「逮捕」するということに焦点が行き過ぎていると考えます。本当に逮捕しなければならない事件なのか、メディアはきちんと切り込む必要があるのではないでしょうか。
■「冤罪に加担した自覚を持って」 被告のまま死去した相嶋静夫さんの長男
起訴取り消しから1カ月以上経っても、父の名前と逮捕容疑が記された記事が朝日新聞のサイト上に残っていました。記事には、会社に対して「収益優先か」など警視庁の見立てをそのまま書いており、非常に悪意を感じ、傷つきました。
警視庁が報じてほしいことを、メディアが報じていると感じます。それは警察が正しいという前提だから成り立つもの。警視庁はメディアからの信用を悪用し、メディアはうまく操られた結果、父や会社が大きな被害を受けました。メディアにばれてしまうから、うそはつけない――メディアはそういう役割であってほしい。
警視庁はメディア向けに逮捕を演出し、逮捕を勲章にしていると感じました。しかし、その裏には推定無罪の原則があるはずです。少なくとも逮捕の時点では実名を報じないでほしいです。
逮捕、起訴の段階で、メディアが違法捜査を見抜くことはリソースの問題などから難しい面もあると思います。今回は、会社側に丁寧な取材をしていれば、「おかしい」と思ったのではないでしょうか。個々の記者の問題ではなく、これまでの事件報道のあり方や、業界の流れにのった行動の結果だと思っています。
(起訴取り消し後は)メディアに支援してもらったことに感謝もしています。ただ警視庁の道具にされたことを恥じるとともに、冤罪事件に加担した自覚を持ってほしいのです。
■不適切な判断、おわびします 東京社会部長・延与光貞
大川原化工機をめぐる冤罪事件で、朝日新聞は当初、警視庁の発表や見立てに沿って報じました。会社側の主張も取材したものの、紙面・デジタルの記事に反映していませんでした。起訴取り消しを受け、逮捕時などの記事を速やかに修正すべきでしたが、相嶋さんのご遺族から指摘を受けるまで対応できていませんでした。今回、会社側の反論を報じなかった判断は報道の姿勢として不適切で、迅速に名誉回復を図れなかったこととあわせて、大川原化工機の関係者のみなさまに深くおわびいたします。
事件報道では、当初は警察発表に基づいて報道せざるを得ない面もありますが、捜査機関の監視を怠らず、容疑をかけられた側の主張も丁寧に伝える「対等報道」を改めて心がけます。特に否認している場合は、本文や見出しで目立たせるとともに、推定無罪の原則に立って継続的な取材に努めます。事実を伝えるために実名報道は重要だと考えていますが、今回のご指摘をふまえ、社内で事件報道のあり方について議論を続けていきます。
■事件の主な経緯
2020年
<3月> 警視庁が大川原さんら3人を逮捕
<5月> 警視庁が3人を再逮捕
<10月> 相嶋静夫さんの胃がん判明 11月に勾留が停止され入院
2021年
<2月> 大川原さんら2人保釈 相嶋さんが死去
<7月> 東京地検が起訴を取り消し
<9月> 大川原さんらが国と東京都を提訴
2023年
<6月> 証人尋問で捜査をした警察官が「捏造」と証言
<12月> 東京地裁判決で「違法捜査」認定
2025年
<5月> 東京高裁が再び「違法捜査」認定