ソーシャルメディアで広がる誹謗(ひぼう)中傷を法的に規制する議論には、「表現の自由」を圧迫するリスクがある。武蔵野美術大造形学部の志田陽子教授(63)=憲法、芸術関連法=は、そこに「オールドメディア」の果たすべき役割があると言う。
特集「明日も喋ろう」
38年前の憲法記念日、朝日新聞阪神支局の記者2人が散弾銃で撃たれて死傷しました。あの銃口は言論の自由を求める市民社会に向けられたもの。そう受け止め、事件について書き続けてきました。しかし近年、その市民から新聞やテレビが「オールドメディア」と揶揄(やゆ)され、敵視されることがあります。報道機関は国民の知る権利に応えているか。メディアの世界を知る人たちと共に考えます。
――SNSによって社会の「分断」が進んでいると言われます。
社会の中には、異論を言いたくても同調圧力に押されて発言できない人たちがいます。その人たちがソーシャルメディアで社会に直接発信できるようになりました。そのこと自体は言論の自由度が高まって良いことです。痛みや困難を抱えている人たちに「分断をあおるから発言するな」と抑え込むことはしてはいけない。表現の自由の否定になりますから。
ただし、個人の発信は新聞やテレビのようなコンプライアンスのチェックを受けていません。名誉毀損(きそん)にならないか、個人情報の暴露にならないかというフィルターを通していない発信が、直接ぶつかり合っています。
異論や批判をぶつけ合うことは健全な民主主義の一場面です。しかし、言論空間や社会空間から相手を排除、排撃するのは「表現の自由」の限度を超えています。誹謗(ひぼう)中傷によって相手の生きる気力まで奪う言論はその最たるものです。
――SNSの誹謗中傷に対する規制についてはどのように考えていますか。
法的な規制は最後の手段に
「表現の自由」は罰や脅しに萎縮しやすい、脆弱(ぜいじゃく)な権利です。人格権の侵害に対しては法的な責任を問えますが、言論に法的な規制をかけるのは最後の手段にしてほしいと思います。
以前、ベトナム戦争で逃げ惑う裸の少女の写真「ナパーム弾の少女」がSNSから削除される問題が起きました。文脈を理解せずに判断すると、歴史的に意義のある写真が「児童ポルノ」と判断されることもあります。
誹謗中傷というのは抽象的な言葉です。そのまま法律論に持ち込むと、言論の自由度が相当な圧迫を受けることになりかねません。また、政府がSNSのファクトチェックを担うと検閲になってしまいます。憲法21条2項(検閲の禁止)は守らなければなりません。
憲法21条 表現の自由
憲法21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
SNSの誹謗中傷に対しては、総務省はプラットフォーム事業者にコントロールを求める考え方です。4月には、被害を受けた人への迅速な対応を求める情報流通プラットフォーム対処法が施行されました。
――そうしたSNSに対して新聞やテレビはどう向き合うべきでしょうか。
現代社会ではSNSによる情報の洪水が起きています。注目を集めて経済的利益を得るアテンション・エコノミーの動きは止めようがない。憲法には幸福追求権や職業選択の自由があり、SNSで利潤を得ること自体は否定できません。
とはいえ、情報の受け手はその真偽や出所を確認せずに受け止め、流されてしまう。人格権を侵害したり、民主主義のプロセスをゆがめてしまったりする。
言論の自由市場の中で良識を働かせて立ち止まることができるのがオールドメディアと呼ばれる新聞やテレビです。
新聞社には新聞綱領、テレビ局には放送法の縛りがあります。それだけ責任のある発信を求められている。法律で言論を規制しなくても、新聞やテレビが不確かな情報に「そうした事実は確認できない」と発信するだけでも意味があります。
立ち止まり、落ち着いて論点整理する記事はアテンションを集めにくい。でも、そこでオールドメディアがじたばたして、アテンション稼ぎをしなくてはと頑張ろうとすると、本来の長所を見失いかねません。
現代は生きにくさの原因が見えにくく、皆が不満を抱えています。憲法には「国民は国政の福利を享受する」とあり、国民は国政がどのようになされているのか、知る権利を持っています。「表現の自由」とはそうした血の巡りを円滑にするためのルールのはずです。
SNSの洪水にのまれることなく、国民の知る権利に応え、民主主義の熟議に貢献する情報を伝えるのが新聞やテレビの役割です。多くの人がSNS疲れを起こした時、帰るに値する場所として「オールドメディア」が本来の良さを堅持していてほしいと思います。
◆しだ・ようこ 1961年、東京都生まれ。早稲田大法学部卒。武蔵野美術大造形学部助教授を経て現職。表現と芸術をめぐる憲法問題に詳しい。近著に「あたらしい表現活動と法 第二版」(武蔵野美術大学出版局)。
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- 【視点】
志田陽子さんが『法と民主主義』に寄稿されたあいちトリエンナーレ問題を扱った「「芸術の自由」をめぐる憲法問題 : 支援の中の「自由」とは」は、繰り返し参照させていただいています。 その上で、「痛みや困難を抱えている人たちに「分断をあおるから発言するな」と抑え込むことはしてはいけない。表現の自由の否定になりますから」という言葉を重く受け止めなければいけないなと思う一方で、現実のネットを見ていると、結構難しい局面に来ているように思います。これまで表現の場がなかった者たちの言葉が大きく世に出るポジティヴな側面がある一方で、そのような人々の「声」と「声」同士がぶつかる問題が尖鋭化しているように思うのです。 「異論や批判をぶつけ合うことは健全な民主主義の一場面です。しかし、言論空間や社会空間から相手を排除、排撃するのは「表現の自由」の限度を超えています。誹謗(ひぼう)中傷によって相手の生きる気力まで奪う言論はその最たるものです」 とありますが、たとえばマイノリティへのヘイトスピーチや、女性が発言した際に炎上や誹謗中傷や殺害予告などをするようなやり方を正当化する口実としても「表現の自由」が使われており、それが「限度を超えている」というのは、まさしくその通りだと思います。それは実質上、誰かの「表現の自由」を奪っている。 さらに、男性至上主義者などは、自分たちの「傷つき」「困難」を正当化の根拠として、女性たちやフェミニズムに対する攻撃(主観的には防衛)を行っています。「痛みや困難」が、新たに差別や攻撃、排除や抑圧を生むようなケースも顕在化している。「生きる気力を奪う言論」であるから(差別だから)やめろ、という声(あるいはそれを悪用した実質的な抑圧)と、それ自体が「表現の自由」の侵害である、という声がぶつかり合っている。 こういう状況を冷静に論点整理し、俯瞰するような記事をもっとオールドメディアは担えばいいのでしょうが、多分それをしようとすること自体も「炎上」し「キャンセル」を招くのでしにくくなっている、というような状態すらあるように思います。誰も火中の栗を拾わず尖鋭化していく危険を、ネットを見ているとひしひしと感じます。
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