天皇ご一家が沖縄を訪問 4日から 戦後80年で慰霊
天皇ご一家は、太平洋戦争末期の地上戦から80年の節目を迎えた沖縄県を訪問し、沖縄戦最後の激戦地、糸満市の「国立沖縄戦没者墓苑」で犠牲者の霊を慰められました。
天皇皇后両陛下は、初めての沖縄訪問となる長女の愛子さまとともに、午後1時前に特別機で那覇空港に到着されました。
両陛下の沖縄訪問は天皇陛下の即位後2回目で、沿道には歓迎のため大勢の人たちが集まり、ご一家は笑顔で手を振って応えられていました。
そして、午後3時前に糸満市にある「国立沖縄戦没者墓苑」に到着し、18万人以上の遺骨が納められた納骨堂の前で一礼したあと、花を供えて犠牲者の霊を慰められました。
続いて、24万人を超える戦没者の名前が刻まれた石碑「平和の礎」を訪れて、ことし新たに名前が刻まれた人たちなどに関する説明に耳を傾けられました。
愛子さまは、石碑に刻まれた戦没者の名前について、「毎年、読み上げを行っているのですよね」と話されたということです。
このあとご一家は、平和祈念資料館に移動し、沖縄戦の体験者などの証言集をご覧になりました。
【那覇空港に到着】
天皇皇后両陛下と長女の愛子さまを乗せた特別機は、4日午後1時前、那覇空港に到着しました。
ご一家は特別機を降りると、空港の搭乗ゲートで出迎えた玉城知事や、那覇市の知念市長などと笑顔であいさつを交わされました。
【那覇市の沿道では】
那覇市の沿道には多くの人が集まり、午後1時半すぎに天皇皇后両陛下と初めての沖縄訪問となる長女の愛子さまを乗せた車列が通ると、スマートフォンで写真を撮ったり、手を振って歓迎したりしていました。
沖縄戦のとき2歳だったという女性は、「涙が出るくらいうれしかったです。愛子さまはとてもにっこりしていてかわいらしかったです」と話していました。
また、子連れの女性は「愛子さまが初めて沖縄にいらっしゃるということだったので拝見できてすごく親しみやすくてうれしかったです」と話していました。
【糸満 「ひめゆりの塔」周辺では】
沖縄戦で、負傷した兵士の看護に動員され、戦闘に巻き込まれて亡くなった女子生徒たちを慰霊する、糸満市の「ひめゆりの塔」の周辺では、沿道に多くの人が集まりました。
午後2時すぎ、天皇皇后両陛下と愛子さまを乗せた車が通ると、一斉に旗を振って歓迎しました。
両陛下と愛子さまは車の窓を開けて笑顔で手を振られていました。
名護市の50代の男性は「沖縄に来られることは意味のあることだと思います。平和を願っていただけたらうれしいです」と話していました。
南城市の40代の女性は「上皇さまのときから沖縄のことを気にかけていただいてうれしいです。世界では戦争が続いていますが、みんなが笑顔で過ごせる日が来てほしいと思います」と話していました。
【糸満市役所前では】
24万人を超える戦没者の名前が刻まれた石碑、平和の礎などがある糸満市の市役所の前には天皇皇后両陛下や長女の愛子さまを一目見ようと多くの人が集まりました。
午前中に降っていた雨も昼過ぎには止み、両陛下や愛子さまの車列が通ると大きな歓声が上がりました。
集まった人たちは小旗を振って歓迎したり写真を撮ったりしていました。
市内に住む30代の女性は、「愛子さまが初めて来られるので、せっかくなのでぜひ見たいと思って来ました。見ることができてよかったです」と話していました。
市内の67歳の男性は、「ふだんテレビでしか見ない方々なので、直接見られてよかったです。戦争を知らない人がますます増える中、若い愛子さまに平和の礎に戦争で亡くなった方のお名前が国籍に関係なく刻まれているのをぜひ見て頂きたい」と話していました。
市内の85歳の女性は、「両陛下や愛子さまにお会いできて、一生の思い出ができました。愛子さまにこの機会に、戦前、戦後の沖縄の歩みをぜひ知ってほしい」と話していました。
【平和祈念資料館では】
沖縄戦で背中に大けがをした翁長安子(95)さんは、平和祈念資料館での天皇ご一家との懇談のあと、「今後2度と戦争が起こらないように平和な国づくりにご協力くださいと申し上げると、みなさんうんうんとうなずいていらっしゃいました」と話していました。
学徒動員で飛行場建設などに携わり、アメリカ軍の上陸直前、「鉄血勤皇隊」に入る前に空襲を体験した瀬名波栄喜さん(96)は、「今回は慰霊の旅ということで、鉄血勤皇隊についてお伝えしたところ、3人ともうなづきながら聞いていました。命を散らした1984名の学友たちは、慰霊の旅で沖縄を訪問されたことを、きっと喜んでいるでしょうとお話ししました」と話していました。
また、沖縄戦の当時10歳で、家族10人のうち8人を地上戦で失った玉木利枝子さん(91)は、「体験者としては天皇家に対して複雑な思いがあるのですが、贖罪を持っての訪問を自分たちで勉強しながらしていこうとされ、戦場にいたみなさんがどうしたら癒やされるかということを心がけていらっしゃると感じました。沖縄に対するおわびの気持ちのようなものが強いのではないかと感じています」と話していました。
【遺族連合会・語り部は】
沖縄県遺族連合会顧問の照屋苗子(89)さんは、「天皇ご一家には『戦争というのは本当に残酷で悲惨で地獄そのものです』と伝え、世界各国の方たちにも沖縄で悲惨な地上戦があったことを伝え、2度と戦争が起こらないようにしてほしいとお願いしました。初めて沖縄においでいただいた愛子さまは、自分の目で沖縄の戦争の悲惨さを感じとられたのではないかと思いました」と話していました。
また、沖縄県遺族連合会女性部長の瀬長和枝さん(80)は、「若者たちに継承する活動をしていると話したら、愛子さまは大きくうなずかれていました。ご一家が、継承の大切さを感じてらっしゃる中で、私たちも次世代に継承し、語り部や遺族会の活動を止めてはいけないと思いました」と話していました。
また、語り部として活動し平和教育に取り組んでいる狩俣日姫さん(27)は、「留学に行った経験から平和学習を始めたことや、アジアの友達ができたことが日本の歴史や太平洋戦争などについて考えるきっかけになったことを話したところ、皇后さまと愛子さまは詳しく聞いてくれました。沖縄で平和学習をしている身として、ご一家が歴史を過去のことにせず、責任や歴史を引き受けていく姿勢があるということを感じることができてうれしかったです」と話していました。