「 後輩が認知症になった… 」 40代の後半に。 この衝撃な事実を、 受け入れるのにはとても時間がかかった。 後輩( 以下A )は、 学生時代のサッカー部の1つ下だった。 数年前に風のウワサでそのことを知っていた。 この週末に 大学サッカーの公式戦があり、 応援がてら母校まで足を運んだ。 応援席に到着すると、 たまに会場でよく会う2つ下の後輩Bがいた。 Bはぼくを見つけるやいなや、 「ひろしさん、 Aさんが来ていますよ! 」 びっくりした。 Aはゆったりと穏やかに応援席に座っていた。 ぼくは 「 おおっ、Aじゃないか!久しぶりだね 」 と気丈に振るまい、ふだん通りに話しかけた。 するとAは、 ぼくの名前こそは言わなかったが、 " あっ! "と何かに気づくような感じで 目を見開いた。 そして 「 おひさしぶりです 」 と言って、握手を求めてきた。 ( 覚えてくれているんだ ) そう思うと、 ぼくは握手をすると同時に 視界が涙でボヤけてしまった。 Aの奥さまいわく、 学生時代のことはよく覚えているらしい。 だから今回、↓
24
181
13
2,031
母校の応援へ連れてきたという。 Aはぼくとは違う別の県で 体育の教員をやっていた。 4,5年前から少しずつ細かいことを 忘れることが多くなっていった。 もともと大らかでいつものんびりと ニコニコしてしているタイプなので、 認知症が始まっていることに 気づくのも遅れてしまったという。 その頃から 仕事が終わって帰宅するのが、 毎日23時を超えていた。 仕事を効率よくこなすことができず、 「 一つの事が終わると次の仕事 」 というように、 やるべき仕事を一つひとつやっていた。 実直でマジメな性格が そうさせているのだと周囲も思っていた。 しかし、 お願いしていた仕事を忘れるようになり、 授業でも球技のルールを伝えるのに、 頭に思い浮かばず 「 あれっ 」、「 それっ 」 と、つまづいて説明できなくなった。 異変に気づいたのは、 Aの高校時代の同級生でもあった 奥さまだった。 「 仕事がやっと終わったからこれから帰るね 」 と、奥さまへ電話が入る。↓
2
19
346
「 わかった、気をつけてね 」 といい、電話を切る。 職場から自宅まで 普段なら車で30分くらいの距離だが、 1時間経っても帰ってこない。 そしてやっと帰宅した。 「 途中どこかに寄っていたの? 」 「 いいや、道を間違えちゃって わからなくなったので、 ずっと道を走っていたけど ナビで" 自宅 "を押してやっと帰れた 」 これを聞いて、 「 認めたくはないけど、 いちど病院へ連れていこう」 と、本人の手をとり病院へいった。 診断名は、 「 若年性の認知症 」 彼が48才の時だった。 そして仕事も休職した。 さらに 免許も返納をさせた。 返納には一瞬だけ抵抗をしたが、 もともと素直な性格なので すぐに奥さまのいう通りにした。 それから少しずつ病が進行していった。 あるときは、 トイレの個室に入ったけど、 カギの開け方がわからなくなり しばらく出られなかったという。 話しは試合観戦に戻る。↓
1
18
1
326
Aとぼくの間に座っていたBは、 Aのことをとても気づかっていた。 「 Aさん、暑くなってきたから麦茶を 飲んだほうがいいよ 」 「 おおっ…そうだ、なぁ… 」 そう言ってAは足もとに置いてあった ペットボトルを手に取ったが、 上下をさかさに持ってボトルのお尻の部分を 一生懸命に手でひねっている。 その光景を見て、 ぼくは泣きそうになりながらも 現実を受け止めた。 するとBが 「 Aさん、ボトルのキャップが下の方に あるみたいだから持ち方を変えてみて 」 と優しく伝えた。 Aはゆっくりとした動作で 正しい位置でペットボトルを持ち、 ゆっくりキャップをひねり 自分で開けて美味しそうに飲んでいた。 またBが 「 Aさん、暑くない? 」 と聞くと、 「 選手たちも頑張っているから俺も大丈夫! 」 と、学生時代のAらしい発言だった。 奥さまいわく、 時々ふつうに戻ったりするという。 A夫妻が試合の応援に来たのは、↓
1
18
1
342
4年間自分がボールを けり続けた想い出の場所へきて、 過去を思いだす狙いもあったかもしれない。 Aの奥さまには いつでも笑顔ながらも、 「 今を受け止めて、 これから先も受け入れていこう 」 という気丈さもみえた。 試合終了。 結果は0-0だった。 「 ぼくは負けなくて良かったねぇ 」 とAに話しかけると、 「 そうですねぇ 」 と笑顔で答えた。 それからぼくが先に帰ることになり、 「 今日はありがとう! 」 と伝えると、 「 ありがとう〜 」 と返ってきた。 (ん、タメ口?いまは俺のこと忘れているかな?) これからどんな事があろうとも、 Aが元気でいてくれるだけでいいと心から思った。 最後までお読みいただき 本当にありがとうございます。 若年性の認知症は、 けっして人ごとではないと思います。 症状はもの忘れから始まり、 長い時間をかけて ゆっくりと進行していくようです。 もし身近な人で 最近もの忘れが増えてきた時は、 責めるのではなく寄り添ってみてください。 @HiroshiKgn

Jun 15, 2025 · 9:06 PM UTC

12
36
2
702
Replying to @HiroshiKgn
認知症の両親を介護していた身としては、すごく理解できる内容でした。けれど、40代でとは…奥様に敬意を表します。
1
1
42
今回初めてお会いしましたが、 素晴らしい奥さまでした。 高校からの同級生なので、 きっとこの先も2人で乗り切って いってくれることでしょう。 長文をお読みくださり、 ありがとうございました。
1
34
Replying to @HiroshiKgn
ひろしさん、おはようございます♪ わたしの義父も70すぎて認知症を患ってました 40代、早過ぎます 楽しかった学生時代の記憶とても大事です いま以上進行しない事を祈ってます😭 今週もよろしくお願いします。 今日もいい日でありますように😌
1
11
白狼さん、ほんとうに早すぎますね。 最近では進行を遅らせる薬もあるようなので、少しでもゆっくりとなって欲しいですね。ありがとうございます。 白狼さんも、お大事にしてくださいね。
1
7
Replying to @HiroshiKgn
若くして認知症になるというのは初めて聞いたので衝撃でした
1
7
ひろみさん たまにニュースで見たりするけど、 まさか近い仲間がなるとは思いませんでした。
1
6
Replying to @HiroshiKgn
ひろしさん おはようございます うちの祖母も認知症でした 孫と認識してもらえなくなってすごく悲しかったのでもの忘れが増えた人がいたときは寄り添います
6
Replying to @HiroshiKgn
会議が終わる頃に突然最初の議題思い出す あの人もソレだったのかなぁ
1
Replying to @HiroshiKgn
とても心に残るお話を、ありがとうございました。 認知症は「忘れる病気」ではなく、「人との関係性が少しずつ変わっていく病気」なのだと、現場にいて強く感じます。 若年性認知症の場合、周囲との違和感に本人が苦しむ時間も長くなりがちです。 だからこそ「過去を忘れても、あなたを大切に思う人は変わらない」と伝える関係が、何よりの支えになります。 忘れてしまうことよりも、“今ここにいる”その人を大切にすること。 医学的な治療も大切ですが、それ以上に寄り添う姿勢が、心の処方箋になると信じています。 「ありがとう」の言葉は、記憶の外にあるかもしれませんが、感情の奥にはきっと残っています。 どうかこれからも、あなた自身が無理せず寄り添える形で、関わってあげてください。
1
10
Replying to @HiroshiKgn
あまり知られてないことですが、脳の機能障害による若年性の認知症は打つ手立てがないのが現状ですね。少しでも進行を遅らせるために早く気づいて対応することだそうですのでふだんからちょっとした違和感を見逃さないようにしたいですね。
2
7