「低価格」から「健康志向」へ
飲食店の「大量閉店」「業態転換」の波が、持ち帰り弁当の業界にも波及している。
弁当最大手・プレナスが運営するHotto Motto(以下「ほっともっと」と表記)は、売り上げ不振により、昨年9月に直営店187店を閉店した。先日発表された2020年2月期決算では、これに伴う減損を計上したため、最終赤字が9億4900万円となった。
あとで詳述するが、ほっともっとを運営するプレナスは、2006年以降「ほっかほっか亭」との対立を経て最終的に分裂。店名を変更し、現在は持ち帰り弁当最大手となっている。
しかしここにきて、店舗展開が飽和状態になったこと、また低価格志向に本腰を入れ始めたコンビニエンスストア、牛丼など低価格ファストフード業態との戦いが熾烈化し、疲弊していた。それが200店舗近い大量閉店につながったのだろう。
その裏で、ほっともっとが活路を見出そうとしているのが、2018年暮れから開始した新業態「Hotto Motto Grill(ほっともっとグリル)」への転換である。
プレナスは、ご飯食べ放題が特徴の定食イートイン業態「やよい軒」も経営しているが、そのノウハウを生かして、主力である持ち帰り弁当業態の再活性化を模索し始めている。そのひとつの結論が、ほっともっとグリルであると言える。
これまで、ほっともっとの人気メニューは300円台ののり弁当など低価格帯弁当、あるいは若く体力のある男性に人気の唐揚げ、とんかつといった揚げ物の弁当が主体で、近年急速に浸透しつつある「健康志向」の流れに乗り遅れていた。
そこでほっともっとグリルでは、肉・魚など動物系素材のボリューム感はなるべく維持しつつ、油を使わず健康的なスチーム調理を使用、色とりどりのカップサラダを導入することで野菜を増やし、さらにご飯も「金芽ごはん」「もち麦入り金芽ごはん」から選べるというプレミアム感のあるコンセプトを打ち出した。
都内にある筆者の家の近所にも、この「ほっともっとグリル」が最近開業した。2020年1月現在、ほとんどが東京都内ではあるが、全国で42店舗まで業態転換が進んでいるようだ。
設備が豪華な「ほっともっとグリル」
実際に訪れてみると、既存のほっともっとのような赤色基調の「行灯」ではなく、木目調の地に黒いグリルパンがあしらわれた清潔感ある看板が新鮮だ。
店内には、NAOMOTOのコンベアータイプの業務用スチームオーブンや、SUICAなどのICカードにも対応した高性能の券売機、真新しいライスロボット(自動炊飯機)など凄い設備がずらりと並び、1店舗当たりの追加投資額は1000万円は下らないだろう。スチームオーブンメーカーのNAOMOTOはもとは蒸気アイロンメーカーで、その技術をもとにマクドナルドが使用する高速スチーマーを開発、外食業界向け調理機器メーカーに参入した経緯がある。
さて、ほっともっとグリルの弁当を買って実食してみた。最新のスチームオーブンで調理したハンバーグやチキンは、確かに柔らかくて美味しい。
しかし、おかずだけで600円台、ごはんをつければ700〜800円と、既存の「のり弁当300円」「唐揚げ弁当390円」などと比較すると、ちょっと価格が高すぎるようにも感じる。
店舗デザインはお洒落で自然志向・健康志向のイメージをうまく打ち出せているが、訪れるほかの客を見ていると、やはり多くが比較的安い揚げ物系を注文していた。このコンセプトと高価格化に顧客が納得し馴染んでいるのか、疑問が拭えない。
ちなみに、ほっともっとをはじめ、持ち帰り弁当は非常に価格が安いので、品質に問題があるのではないか、あるいは賞味期限すれすれの食材を使っているのではないか、と思われる人も多いかもしれない。実は、以前は筆者もそう思っていた。
しかし、それは杞憂だ。以前、筆者は西日本を中心にほっかほっか亭を運営するハークスレイの取引先懇談会に参加したことがあるが、参加企業は名の知れた大手食品メーカーばかりだった。1000店舗を超える規模になると、むしろ質の悪い商品では追い付かない。売価を安く抑えられるのは、大量購入だからだ。
もともと、ほっともっとが既存店舗の大量閉店に踏み切ったのは、不採算店舗があまりに増えたためだった。思い切った高価格路線はそれを打破するための策かもしれないが、ほっともっとグリルは前述のように初期投資がかなりかさんでいそうなだけに、効果のほどは未知数である。
「ほっともっと」とはどんな事業か?
ほっともっとといえば、「ほっかほっか亭」との紆余曲折をご記憶の読者もいるかもしれない。
先にも触れた通り、ほっともっとを運営するプレナスは元々、ほっかほっか亭の九州地域本部だったが、2008年にほっかほっか亭から離脱。分裂以前、全国3500店舗を誇る不動の業界1位だったほっかほっか亭は、2300店(当時)の本家かまどやに首位を譲ることとなった。
ほっともっとの源流であるほっかほっか亭の歴史は、1976年(昭和51年)6月6日、田渕道行氏が母体となる持ち帰り弁当店を埼玉県草加市にて創業したことに始まる。なお、創業後すぐに入社した、田渕氏の義理の弟・栗原幹雄氏が後に「フレッシュネスバーガー」を設立したこと、田渕氏自身は寿司業態の「魚河岸日本一」などを展開する株式会社にっぱんを創業、転身したことは広く知られている。
田渕氏は1981年、「ほっかほっか亭総本部」というフランチャイザー(フランチャイズを主宰する本部)を設立。株式会社ほっかほっか亭からフランチャイザー機能を移行すると同時に、同社自体は東日本地区のフランチャイジーとなった。以後、全国のほっかほっか亭店舗の経営は個人のフランチャイジーが行うようになった。
さらに1984年には、年間売上高1兆円を達成し波に乗っていた株式会社ダイエーと提携。翌1985年、東部・関西・九州の3地域本部制を導入した。ここから、フランチャイジーの募集や管理は各地域に設立された地域本部が担うようになる。
プレナスが業界トップを奪うまで
しかし、1990年代に入るとダイエーは急速な経営不振に陥り、ついに1999年4月30日、ほっかほっか亭の株式を九州・山口地区のフランチャイジーだった株式会社プレナスへ売却。これにより、プレナスは九州・山口に加え東日本地区の店舗も取得することになり、全店舗の3分の2を占める最大のフランチャイジーとなった。
ここから、ほっかほっか亭内部で各地域本部の勢力争いが加速、力関係が混沌としてゆく。
プレナスは、さらにほっかほっか亭総本部の株式44%を取得し、創業者である田渕道行社長に次ぐ第2位の株主となった。2004年にはほっかほっか亭を吸収合併、大きな力を得る。
しかし、これを快く思わなかった北陸・関西・中国地方(山口県を除く)のフランチャイジーであった株式会社ハークスレイは、これらの動きに対抗し、2006年6月、株式会社ほっかほっか亭総本部の株式54.17%を田渕氏から取得、子会社化する。
ハークスレイの前身は、ほっかほっか亭大阪事業本部である。1980年に設立され、1985年にほっかほっか亭総本部が全国を東部(ダイエー中心)、関西(大阪事業本部=ハークスレイ中心)、九州(プレナス中心)に分ける3地域本部制を導入した際、関西地域での事業を担うようになった。
その後、プレナスとほっかほっか亭総本部(≒ハークスレイ)は「ほっかほっか亭」の商標権や店舗の運営方針などを巡り対立。前述の経営権争いを経て、2008年5月15日、プレナスがフランチャイズを離脱し、同社の店舗はほっともっとに移行した。
最大のフランチャイジーだったプレナスの離脱により、ほっかほっか亭の店舗数は3分の1近くにまで減少し、業界3位に転落することとなった。
3分の2近くの店舗を引き継いだプレナスのほっともっとは、本家かまどやに次ぐ業界2位としてスタートし、分裂から1年後の2009年7月末 には業界1位の座についた。
一方でプレナスの離脱後、ハークスレイは第三者割当増資を実施、ほっかほっか亭は事実上ハークスレイを中心に運営されるようになり、2015年7月にはハークスレイの完全子会社となった。つまりほっかほっか亭は、かつてフランチャイジーだったハークスレイがフランチャイザーとなって運営する店舗に変わったわけだ。
「大手術」の行方はどうなる
2010年代以降、プレナスは積極的に「ほっともっと」の海外展開を進めてきた。2010年に中国と米国、11年に韓国、16年に豪州と相次いで出店を進めたが、その後順調に伸びているとは言えないようで、東南アジアなどに多数展開し軌道に乗っている同社の「やよい軒」ブランドと比べると、芳しい話を聞かない。
2016年には健康器具メーカーのタニタが展開する「タニタ食堂」とコラボし、2019年からはほっともっとの通常メニューでも野菜を増量するなど、ほっともっとグリルにも通じる健康志向を強めてきたプレナスであったが、近年の施策はやや迷走気味の感もある。
プレナスにとって2020年は、既存店舗の大量閉店・業態転換という、ほっかほっか亭からの離脱後初めてとなる「大手術」の効果を見極める1年になるだろう。