【性格診断の問題点】自己理解を深める本質とは?
私が性格診断やそのコミュニティについて感じてきたことを書きます。
長文+複数ジャンルからの視点になりますが、参考になる点があれば幸いです。
先に前回記事の引用から。
占いとは何のためにあるのか?
ここはGPTには聞かず、私なりの考えを書きましょう。
誰か(あるいは占いサイト)が出した回答と自己の認識と照らし合わせることで、その人の内側にある不安を解消するため。
例えば、「私はどう見られているのだろう?」という不安が強い場合、性格占いはその不安を無くすにはうってつけです。
GPT(汎用型)はその人が不快にならないように配慮するようプログラムされており、利用者のアイデンティティに沿って言葉を組み立てる。
そして占い師も巧みな言葉で「もっともらしい」ことを言い、利用者のアイデンティティに関わることを述べる。
同じとは言いませんが、共通点があるのです。
AIは「もっともらしい」言葉で、人を誘導してしまう可能性について述べました。
しかし、人は信頼出来ないものや自己を理解してくれない者に誘導されることはありません。
AIは「自己を理解してくれる」「自分よりも優れた知性で」「権威に基づいた多大な知識」を提供してくれる。だからこそ依存してしまいがちです。
これをMBTIに当てはめるとしたら、
例えば、INFJは人格者+哲学に強い+高知能というブランド性があります。
実際、人気カテゴリーのトップがINFJであるのは他の方の記事でも提起されています。
しかし、学歴コンプや集団におけるカースト、知能指数などを話題にする人が次々と現れ、私は奇妙だと思っていました。
特にINFJやINTJはレアで能力が高いという価値も盛られるため、知らず知らずのうちに優劣のイメージを作り出してしまった。
それは日本は他国と比べて不安因子が強く、不安や劣等感を抱きやすいからなのかもしれません。
集団には合わない存在でありながら、結果としてネット上でも群れる気質はタイプ6的だと言えます。
なぜ性格診断をしたがるのか?
そもそも性格診断に嵌まるのは「自分とは何者なのか?」という疑問があるのでしょう。
心理学っぽく言うと、意識と無意識のズレが大きいのです。
精神医学に詳しい人とお話ししたので、今まで上手く説明できなかったのですが改めて書きます。
心理学は表層意識、無意識、深層心理という言葉が使われています。
しかしながら、そもそも性格が「一つ」であれば、性格分析による自己理解も必要ないし、他者とのトラブルや自己認識に関する問題も起きません。
いわば自分の性格に対する迷いが少ないほど、一貫性のある発言や行動が出来るようになり、ちぐはぐな行動や相互理解のブレも無くなるのです。
つまり、この界隈に発達特性が多いのは偶然ではなく、発達特性を持つ人はそもそも性格が一つではない可能性を暗示しています。
MBTIではその観点が抜け落ちており、複数の性格が同時に存在している可能性を無視している。元より固執的な性格の人は、問題のある性格が固定されてしまうリスクさえはらんでいる。
そんなはずがないと思うなら、以下のチェックシートを確認してみてください。
「性格が一つではない可能性」を示唆する例
(「ある物事に囚われる」「物忘れ」以外)
①同じ状況でも日によって全く反応が異なる
→昨日は人に優しくできたのに、今日は些細なことで攻撃的になってしまう。
→状況や相手は変わっていないのに、自分の態度だけが変わってしまうことに違和感を覚える。
②他人に対して強い共感を覚える一方で、極端な冷淡さを示す瞬間がある
→弱っている人に親身になれるが、身近な人の苦しみには逆に苛立ちを感じてしまう。
③目標に向けて猛烈に集中する時期と、無気力で何も手につかない時期を繰り返す
→双極的というより「内的な別のキャラクターが表に出ている」感覚がある。
④自分が話した言葉や行動に、あとから強烈な違和感や羞恥を感じる
→まるで別人が話していたように感じ、「あれは自分じゃなかった」と思ってしまう。
⑤外では社交的・論理的にふるまえるのに、内心では激しい情緒の波にさらされている
→外向的に見えるが、実際は内面に複数の「声」があり、常にバランスを取ろうとして疲弊する。
⑥「ある場面では合理的で自立的」「別の場面では依存的で幼い」
→例えば仕事場では頼りにされるが、恋愛関係では極端な依存や不安を抱える。
⑦創造的・芸術的な感性を持つ一方で、細部へのこだわりが極端で融通が利かない
→自分の中に「自由さ」と「固着性」という矛盾する特性が共存している。
性格診断や類似するサービスに関する懸念
「本当のタイプが分からない」
四文字のアルファベットのラベルはともかく、心理機能xxによる過剰な当てはめは自己理解の本質を見逃すリスクがあります。
なぜ性格診断の「依存性」については誰も指摘しないのでしょうか?
そもそも性格診断に依存しやすいということは、他の事柄にも依存しやすい体質であることを物語っています。
さらに言えば、皆さんは気づいていないかもしれませんが
IQ(言語性・動作性など)に著しい偏りがあるのは、本来の能力というより意識と無意識の隔離によって精神が不安定になった結果に過ぎない。
余談ではありますが、MBTIの理論に関して「ユング心理学に基づいて述べるべき」というのなら、夢の話は避けて通れないはずです。
夢分析に関することは多々書かれていても、どこにもMBTIや心理機能について述べられていないでしょう。
確かに土台となる理論を提案したとはいえ、ユングの権威性を謳うのは明らかに誤誘導。
実は、ユング自身も理論について分からない部分が多かったのではないかと私は想像しています。
ユングは精神分析や夢分析を行っていたのだから、その目的は治療にあるはず。しかし、のちに派生したMBTIは治療行為ではなく、「診断結果」によってむしろ精神を悪化させるリスクさえあります。
本質的には「わからない」からの逃避
これまでの内容は少し過剰だと思われるかもしれません。ですが私個人の違和感を述べているだけです。
たとえ高知能と呼ばれてる人達や高学歴・社会的地位の高い人であっても、精神に関する問題への対処法は「わからない」。(例えば投薬も西洋医学的な対処療法)
分からないというのことは人智を超えている可能性があります。
だからこそ、MBTIや類似するジャンルにしても「わからない」部分をぼかして、「これが正しい理論なのだ」と誘導する者や、専門家を名乗る者が現れるのは当然の流れです。
己を変えるのは本人の意思のみ
個人的なことではありますが、つい最近、私がチャットで話していた相手が不眠になって幻覚のようなものを見たと報告していました。
実は不眠になれば誰でも幻覚症状が起きやすくなります。
ある意味、現実と夢の境界にいる「ヒプナゴジア」と同じで、半ば寝ているのと起きてる状態を繰り返せば幻覚を見るようになるため、必ずしも精神疾患の兆候とは限りません。
しかし、こうした場面で既存の心理学や派生の性格理論(?)は無力。
とはいえ、性格理論やバーチャルなコミュニティ(note含め)を一種の逃避先としている人も中にはいるはずです。
なぜここまで口を酸っぱくしてるのかと言うと、私の母が脳手術によって障害を負った経緯があるから。私は何も変えることができず、ただその結末を受け入れるしかありませんでした。
結果が想像できてしまうのに、自分は何も伝えられず無力であること。私はもうそれには耐えられません。
SNSとの向き合い方含め、時間は有限なのですから、その人にとって最善の選択肢を選んでほしいです。
コメント
1はじめまして、にゃる様
すごくいい記事だと感じました。頑張ってください!応援してます。