“最強女王” 15歳の少女が見た夢は…

“最強女王” 15歳の少女が見た夢は…
いま人気が再燃している女子プロレス。その世界で“最強”の名をとどろかせてきたプロレスラー里村明衣子さん(45)。デビュー30年のことし、現役を引退した。

15歳で入門。クラッシュ・ギャルズの長与千種の愛弟子として後継者に指名され、その後、人気が低迷した女子プロレス界を背負ってきた。長年の夢をかなえるためにイギリスへ移住し、41歳で世界最大のプロレス団体WWE(ワールド・レスリング・エンターテインメント)と、日本人女子選手として初めて契約。体格差のある巨漢の相手を次々破り、大きな大会で女子王座にも輝いた。

里村さんを支えてきたのは、この世界に飛び込んだ時から貫き続けてきた信念「強くなりたい」という思い。数々の逆境を乗り越えてきた里村さん。ひとりの少女が、30年かけて描き上げた人生の地図、そして最後のリングに込めた思いとは…。
(Dearにっぽん ディレクター 村上絵美)

24時間 プロレスのことだけ考えて生きてきた

里村さんの試合会場で出会った多くの観客は、共通してこう答える。

「何度倒されても立ち上がる 里村明衣子のプロレスに力をもらう」

引退ロード真っただ中の去年12月、里村さんの団体の本拠地・仙台で1500人規模のビッグマッチが開催された。

アイドル的なレスラーが人気を集めるいま、里村さんのプロレスは、正攻法の“プロレスらしいプロレス”だ。どんなに大きな相手にも真っ向からぶつかる。相手の技を受けきり、何度倒れても起き上がる。そして満身創痍になりながらも次々とアクロバティックな技を繰り出す。肉体と肉体の真剣なぶつかりあい。勝敗を決めるのは、振り絞る体力と気力。

この日も里村さんは、16分にわたる攻防戦の末、最後はトレードマークの必殺技、“スコーピオ・ライジング”で、強敵をリングに沈めた。
私が里村さんに出会ったのは10年ほど前。東日本大震災から5年が経ったものの、まだその爪痕は人々の中に深く残っていた。私自身も出生地の景色の変わりように目を背けたくなり、被災地の取材では厳しい現実を目の当たりにし、どうことばをかけてよいのか迷うこともあった。

そんな時に目を奪われたのが、リングで戦う里村さんだった。倒れても立ち上がる不屈の姿に、自分ももう少し頑張ろうと勇気をもらった。

それから10年。里村さんは変わっていなかった。引退を前に、多くの選手からの対戦オファーが殺到。試合数は通常の5倍にも増えていた。顔や腕には、痛々しい傷やあざがあちこちにできている。おそらく体は悲鳴を上げているだろう。それでも、里村さんはオファーをできるかぎり受け入れ、その姿を目に焼き付けようとするプロレスファンの前に立ち続けていた。
里村明衣子さん
「24時間、自分はプロレスで生きている。その意識をずっと持ち続けてきたからこそ、ここまでできたと思う」

「強くなりたい!」15歳の夢から始まったプロレス人生

里村さんは新潟市の出身。中学2年生の時に、姉に連れられ初めて見た男子プロレスの大会で、レスラーの強さに衝撃を受けた。その後、女性が戦うプロレスもあることを知る。感情をさらけ出し、打ちのめされても立ち上がる女性レスラーの姿に惹かれた。

15歳の時、親を説得しプロレス団体に入門。師匠は、熱狂的な人気を誇ったクラッシュ・ギャルズの長与千種さんだった。
30年前のNHKの番組に、取材を受ける里村さんの映像が残っている。

「とにかく強くなりたい。強くなって、スターになりたい」

まだあどけない少女は、そう語り、必死にトレーニングに打ち込んでいた。
長与千種さん
「当時いちばん厳しく指導したのが里村明衣子。あの強い目、悔しくて大泣きする姿を見て、自分の剛速球を返せる子、信じられる選手だと思って育てた」
長与さんの厳しい指導に食らいつき実力をつけた里村さんは、後継者として指名を受けるまでになり、長与さんの引退試合の対戦相手も務めた。
驚異の新人として名を上げる一方で、女子プロレスの人気はどんどん落ち込み、長与さんの団体は解散。里村さんは戦うリングを失った。

そのとき、里村さんに手を差し伸べたのが、東北で「みちのくプロレス」という団体を率いていた男性レスラー新崎人生さん。仙台で新しい団体を立ち上げないかと声をかけた。「里村は、女子プロレス界が無くしてはいけない存在だと考えたから」だと言う。

2006年、里村さんは、新しい団体「センダイガールズプロレスリング(通称・仙女)」を旗揚げする。地方を拠点とした初の女子プロレス団体だった。プロレス経験のない若者をみずから集め、ゼロから鍛え上げた。
里村明衣子さん
「仙台にきたときは、すごく不安を抱えていた。ここで絶対やっていくんだっていう意地と、簡単にはやめられないという思いだった」
旗揚げの5年後、再び試練が襲う。東日本大震災が発生し、道場は被災。試合は行えず、選手やスタッフも離れ、一時は里村さんと後輩一人だけになり団体の存続は危ぶまれた。

それでも被災地や地域の神社、お寺、ショッピングセンターなどで地道に試合を開催。

必死に戦う里村さんたちを応援してくれる人たちが増えていく。

私の人生もいいでしょう?

「強くなりたい」
里村さんはさらなる夢を追い求め、単身イギリスへ渡ると、すぐさまいくつものタイトルを奪取し高い評価を得る。

41歳で日本の女子プロレスラーとして初めて世界最大のプロレス団体WWE(ワールド・レスリング・エンターテインメント)と選手兼コーチとして契約を結び、世界的な大会で女子王座にも輝いた。

体格差をものともしない里村さんの強さは、海外の一流選手をも驚かせ、日本の女子プロレスの名を高める役割も果たした。
頂点を目指す戦いが続く一方、里村さんの周囲ではいろいろなことが起きた。
自分が育てた後輩選手が結婚のために引退。選手として「これから…」という時だったため、その選択を尊重することができず、最後まで引退に反対した。

同世代の選手は、結婚し出産。その後リングに復帰。新しい生き方を示す姿も見てきた。

自身も35歳で結婚を考えたことがあると言う。43歳のときには「いつか子どもを持ちたいと思うかもしれない」と卵子凍結をした。

そんな話をうかがっていた時、里村さんがふと漏らしたことばがあった。
里村明衣子さん
「トップだから弱いところ見せちゃいけない、試合で強いところ見せなきゃいけないと、ずっと気を張ってきた、そのイメージは守ってきたし、いろんなことを捨ててきたかもしれない」
何かをなしとげるために、何かを諦めたこともある。頂点に立った里村さんが一瞬見せた本音だったのだろうか…。「後悔があるのですか?」と聞くと、里村さんは笑顔で答えた。
里村明衣子さん
「女性としての後ろめたさがあるのかと言ったら全然ない。自分に自信があるので。私の人生もいいでしょう?」

近づく最後の日

里村さんが引退を表明したのは去年7月。まだまだ最前線で戦っている最中だった。

「プロレスラー里村明衣子が、いつか引退する時が来たら、番組にしたい」

そう決めていた私だったが、引退の時期は想像していた以上に早くやってきて、向き合う準備はできていなかった。

里村さんは「仙女」の社長でもある。選手やコーチとしてリングに上がりながら、経営者として営業活動から予算管理まで担ってきた。自分の引退試合も、みずから会場を押さえ試合をブッキングする。

引退まで1か月を切った4月に入ると、移動の間も打ち合わせの電話を何本もこなすなど、多忙を極めていた。他の団体から来る試合のオファーもますます増加し、週に5試合を組むハードスケジュールになっていた。

密着取材を許された私だったが、その頃、次第に里村さんのまとう空気がピリピリしてきたことを感じていた。30年に及ぶレスラー人生の締めくくり。私には想像がつかないくらい重いものなのだ。

里村さんが移動する車にも同乗することを許されていたが、何を話せばいいのか。いや話しかけるタイミングさえ分からない。引退を控えた選手に、負担をかけてまで撮影するべきか迷うこともあった。

「強くなりたい」15歳の少女の夢は…

4月29日、引退試合の舞台は、格闘技の聖地・後楽園ホール。里村さんのデビュー戦もこの場所だった。

会場は1660人の超満員。入場曲の「Rock Your Life Away」が鳴り始めると、会場は「里村コール」に包まれた。観衆の中には、見慣れた顔がたくさんいた。

ブル中野、北斗晶、そして師匠の長与千種。レジェンドたちが勢ぞろいして、里村さんの幕引きを見つめる。

対戦相手の一人は10代の頃からの宿敵アジャコング選手。

アジャコング選手はバックドロップ3連発で猛攻撃。対して体重70キロの里村さんが、体重103キロのアジャコング選手を持ち上げ、リングにたたきつけ反撃。

一進一退の激闘が繰り広げられた。何度も追い込まれながらも立ち上がり続けた里村さん。試合時間は20分を超え、両者の息が上がる。

最後は里村さんが、必殺技“スコーピオ・ライジング”をたたき込んで、スリーカウント。涙ぐむ観客。里村さんの30年のリング人生の最後にふさわしい激戦だった。
試合後、敗れたアジャコング選手がマイクを握った。
アジャコング選手
「里村明衣子というプロレスラー、選手としてのリングはいったん降りるかもしれない。でもセンダイガールズを率いてこれからいろんなもんをどんどん世に送り出していくんだろ?だったら、俺はまだお前との勝負は終わってないと思ってる。お前が送り込んでくる奴ら全員、これからもどんなボロボロになろうが俺はこのリングでぶっ飛ばし続けるよ。お前がアジャコングをここまで生かし続けたんだ。それだけ忘れんなよ。こんなバケモンで亡霊みたいになってもいるのは、里村明衣子、お前と出会っちまったからなんだよ」
愛のこもった“悪態” はなむけのことばだった。

師匠の長与さんがリングに上がる。里村さんの目から涙がこぼれた。
強く抱きしめた後、誰かを手招きする。会場がどよめいた。

ロープをくぐって入ってきたのは、ライオネス飛鳥さん。
クラッシュ・ギャルズの2人が顔をそろえ、女子プロレスの灯を守り続けた里村さんの30年をたたえた。
長与千種さん
「このとき一瞬で15歳のころの里村明衣子の目に戻った、師匠と弟子に戻った瞬間だった」
そして、10カウントゴングが鳴り響く。
「女子プロレス界の横綱 サトムラ・メイコ~!」最後の選手コール。
赤いテープが舞い、リングを埋め尽くした。
私には、ずっと聞きたかった質問があった。

「15歳の時に“強くなりたい”といったあの夢は叶いましたか?」
里村明衣子さん
「もう十分叶いましたね。本当にプロレス界ってどこまでも可能性があるなって思います、いまでも。もっと自分が想像している以上の景色を見てみたいです。これからは」
引退後は、センダイガールズプロレスリングの経営者として選手を率いていく立場になる。これからの夢は、団体からスーパースターを生み出すことだ。

15歳の時に思い描いた夢。その第2章がまた始まる。

Dearにっぽん「“最強”レスラー リングを降りる日」
総合6月15日(日)午前8:25~8:50

里村さんの引退までの日々に密着しました。
実は最後の試合の相手を誰にするのか、直前まで決められずにいた里村さん。
その裏に抱えてきたある思いとは…。

NHKプラスでも見られます↓
6月15日午前8:25~ 配信開始予定
配信期限:6/22(日) 午前8:49まで
Dearにっぽんディレクター
村上絵美
NHKエンタープライズ東北所属
ディレクター歴20年
東北地方を中心に取材
プロレス好きの父がいるが
幼い頃は興味がなかった
好きな技:デスバレーボム スコーピオ・ライジング
“最強女王” 15歳の少女が見た夢は…

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特集
“最強女王” 15歳の少女が見た夢は…

いま人気が再燃している女子プロレス。その世界で“最強”の名をとどろかせてきたプロレスラー里村明衣子さん(45)。デビュー30年のことし、現役を引退した。

15歳で入門。クラッシュ・ギャルズの長与千種の愛弟子として後継者に指名され、その後、人気が低迷した女子プロレス界を背負ってきた。長年の夢をかなえるためにイギリスへ移住し、41歳で世界最大のプロレス団体WWE(ワールド・レスリング・エンターテインメント)と、日本人女子選手として初めて契約。体格差のある巨漢の相手を次々破り、大きな大会で女子王座にも輝いた。

里村さんを支えてきたのは、この世界に飛び込んだ時から貫き続けてきた信念「強くなりたい」という思い。数々の逆境を乗り越えてきた里村さん。ひとりの少女が、30年かけて描き上げた人生の地図、そして最後のリングに込めた思いとは…。
(Dearにっぽん ディレクター 村上絵美)

24時間 プロレスのことだけ考えて生きてきた

里村さんの試合会場で出会った多くの観客は、共通してこう答える。

「何度倒されても立ち上がる 里村明衣子のプロレスに力をもらう」

引退ロード真っただ中の去年12月、里村さんの団体の本拠地・仙台で1500人規模のビッグマッチが開催された。

アイドル的なレスラーが人気を集めるいま、里村さんのプロレスは、正攻法の“プロレスらしいプロレス”だ。どんなに大きな相手にも真っ向からぶつかる。相手の技を受けきり、何度倒れても起き上がる。そして満身創痍になりながらも次々とアクロバティックな技を繰り出す。肉体と肉体の真剣なぶつかりあい。勝敗を決めるのは、振り絞る体力と気力。

この日も里村さんは、16分にわたる攻防戦の末、最後はトレードマークの必殺技、“スコーピオ・ライジング”で、強敵をリングに沈めた。
私が里村さんに出会ったのは10年ほど前。東日本大震災から5年が経ったものの、まだその爪痕は人々の中に深く残っていた。私自身も出生地の景色の変わりように目を背けたくなり、被災地の取材では厳しい現実を目の当たりにし、どうことばをかけてよいのか迷うこともあった。

そんな時に目を奪われたのが、リングで戦う里村さんだった。倒れても立ち上がる不屈の姿に、自分ももう少し頑張ろうと勇気をもらった。

それから10年。里村さんは変わっていなかった。引退を前に、多くの選手からの対戦オファーが殺到。試合数は通常の5倍にも増えていた。顔や腕には、痛々しい傷やあざがあちこちにできている。おそらく体は悲鳴を上げているだろう。それでも、里村さんはオファーをできるかぎり受け入れ、その姿を目に焼き付けようとするプロレスファンの前に立ち続けていた。
里村明衣子さん
「24時間、自分はプロレスで生きている。その意識をずっと持ち続けてきたからこそ、ここまでできたと思う」

「強くなりたい!」15歳の夢から始まったプロレス人生

里村さんは新潟市の出身。中学2年生の時に、姉に連れられ初めて見た男子プロレスの大会で、レスラーの強さに衝撃を受けた。その後、女性が戦うプロレスもあることを知る。感情をさらけ出し、打ちのめされても立ち上がる女性レスラーの姿に惹かれた。

15歳の時、親を説得しプロレス団体に入門。師匠は、熱狂的な人気を誇ったクラッシュ・ギャルズの長与千種さんだった。
長与千種さんの付き人も務めた
30年前のNHKの番組に、取材を受ける里村さんの映像が残っている。

「とにかく強くなりたい。強くなって、スターになりたい」

まだあどけない少女は、そう語り、必死にトレーニングに打ち込んでいた。
長与千種さん
「当時いちばん厳しく指導したのが里村明衣子。あの強い目、悔しくて大泣きする姿を見て、自分の剛速球を返せる子、信じられる選手だと思って育てた」
長与さんの厳しい指導に食らいつき実力をつけた里村さんは、後継者として指名を受けるまでになり、長与さんの引退試合の対戦相手も務めた。
驚異の新人として名を上げる一方で、女子プロレスの人気はどんどん落ち込み、長与さんの団体は解散。里村さんは戦うリングを失った。

そのとき、里村さんに手を差し伸べたのが、東北で「みちのくプロレス」という団体を率いていた男性レスラー新崎人生さん。仙台で新しい団体を立ち上げないかと声をかけた。「里村は、女子プロレス界が無くしてはいけない存在だと考えたから」だと言う。

2006年、里村さんは、新しい団体「センダイガールズプロレスリング(通称・仙女)」を旗揚げする。地方を拠点とした初の女子プロレス団体だった。プロレス経験のない若者をみずから集め、ゼロから鍛え上げた。
里村明衣子さん
「仙台にきたときは、すごく不安を抱えていた。ここで絶対やっていくんだっていう意地と、簡単にはやめられないという思いだった」
旗揚げの5年後、再び試練が襲う。東日本大震災が発生し、道場は被災。試合は行えず、選手やスタッフも離れ、一時は里村さんと後輩一人だけになり団体の存続は危ぶまれた。

それでも被災地や地域の神社、お寺、ショッピングセンターなどで地道に試合を開催。

必死に戦う里村さんたちを応援してくれる人たちが増えていく。

私の人生もいいでしょう?

「強くなりたい」
里村さんはさらなる夢を追い求め、単身イギリスへ渡ると、すぐさまいくつものタイトルを奪取し高い評価を得る。

41歳で日本の女子プロレスラーとして初めて世界最大のプロレス団体WWE(ワールド・レスリング・エンターテインメント)と選手兼コーチとして契約を結び、世界的な大会で女子王座にも輝いた。

体格差をものともしない里村さんの強さは、海外の一流選手をも驚かせ、日本の女子プロレスの名を高める役割も果たした。
頂点を目指す戦いが続く一方、里村さんの周囲ではいろいろなことが起きた。
自分が育てた後輩選手が結婚のために引退。選手として「これから…」という時だったため、その選択を尊重することができず、最後まで引退に反対した。

同世代の選手は、結婚し出産。その後リングに復帰。新しい生き方を示す姿も見てきた。

自身も35歳で結婚を考えたことがあると言う。43歳のときには「いつか子どもを持ちたいと思うかもしれない」と卵子凍結をした。

そんな話をうかがっていた時、里村さんがふと漏らしたことばがあった。
里村明衣子さん
「トップだから弱いところ見せちゃいけない、試合で強いところ見せなきゃいけないと、ずっと気を張ってきた、そのイメージは守ってきたし、いろんなことを捨ててきたかもしれない」
何かをなしとげるために、何かを諦めたこともある。頂点に立った里村さんが一瞬見せた本音だったのだろうか…。「後悔があるのですか?」と聞くと、里村さんは笑顔で答えた。
里村明衣子さん
「女性としての後ろめたさがあるのかと言ったら全然ない。自分に自信があるので。私の人生もいいでしょう?」

近づく最後の日

里村さんが引退を表明したのは去年7月。まだまだ最前線で戦っている最中だった。

「プロレスラー里村明衣子が、いつか引退する時が来たら、番組にしたい」

そう決めていた私だったが、引退の時期は想像していた以上に早くやってきて、向き合う準備はできていなかった。

里村さんは「仙女」の社長でもある。選手やコーチとしてリングに上がりながら、経営者として営業活動から予算管理まで担ってきた。自分の引退試合も、みずから会場を押さえ試合をブッキングする。

引退まで1か月を切った4月に入ると、移動の間も打ち合わせの電話を何本もこなすなど、多忙を極めていた。他の団体から来る試合のオファーもますます増加し、週に5試合を組むハードスケジュールになっていた。

密着取材を許された私だったが、その頃、次第に里村さんのまとう空気がピリピリしてきたことを感じていた。30年に及ぶレスラー人生の締めくくり。私には想像がつかないくらい重いものなのだ。

里村さんが移動する車にも同乗することを許されていたが、何を話せばいいのか。いや話しかけるタイミングさえ分からない。引退を控えた選手に、負担をかけてまで撮影するべきか迷うこともあった。

「強くなりたい」15歳の少女の夢は…

4月29日、引退試合の舞台は、格闘技の聖地・後楽園ホール。里村さんのデビュー戦もこの場所だった。

会場は1660人の超満員。入場曲の「Rock Your Life Away」が鳴り始めると、会場は「里村コール」に包まれた。観衆の中には、見慣れた顔がたくさんいた。

ブル中野、北斗晶、そして師匠の長与千種。レジェンドたちが勢ぞろいして、里村さんの幕引きを見つめる。

対戦相手の一人は10代の頃からの宿敵アジャコング選手。

アジャコング選手はバックドロップ3連発で猛攻撃。対して体重70キロの里村さんが、体重103キロのアジャコング選手を持ち上げ、リングにたたきつけ反撃。

一進一退の激闘が繰り広げられた。何度も追い込まれながらも立ち上がり続けた里村さん。試合時間は20分を超え、両者の息が上がる。

最後は里村さんが、必殺技“スコーピオ・ライジング”をたたき込んで、スリーカウント。涙ぐむ観客。里村さんの30年のリング人生の最後にふさわしい激戦だった。
試合後、敗れたアジャコング選手がマイクを握った。
アジャコング選手
「里村明衣子というプロレスラー、選手としてのリングはいったん降りるかもしれない。でもセンダイガールズを率いてこれからいろんなもんをどんどん世に送り出していくんだろ?だったら、俺はまだお前との勝負は終わってないと思ってる。お前が送り込んでくる奴ら全員、これからもどんなボロボロになろうが俺はこのリングでぶっ飛ばし続けるよ。お前がアジャコングをここまで生かし続けたんだ。それだけ忘れんなよ。こんなバケモンで亡霊みたいになってもいるのは、里村明衣子、お前と出会っちまったからなんだよ」
愛のこもった“悪態” はなむけのことばだった。

師匠の長与さんがリングに上がる。里村さんの目から涙がこぼれた。
強く抱きしめた後、誰かを手招きする。会場がどよめいた。

ロープをくぐって入ってきたのは、ライオネス飛鳥さん。
クラッシュ・ギャルズの2人が顔をそろえ、女子プロレスの灯を守り続けた里村さんの30年をたたえた。
長与千種さん
「このとき一瞬で15歳のころの里村明衣子の目に戻った、師匠と弟子に戻った瞬間だった」
そして、10カウントゴングが鳴り響く。
「女子プロレス界の横綱 サトムラ・メイコ~!」最後の選手コール。
赤いテープが舞い、リングを埋め尽くした。
私には、ずっと聞きたかった質問があった。

「15歳の時に“強くなりたい”といったあの夢は叶いましたか?」
里村明衣子さん
「もう十分叶いましたね。本当にプロレス界ってどこまでも可能性があるなって思います、いまでも。もっと自分が想像している以上の景色を見てみたいです。これからは」
引退後は、センダイガールズプロレスリングの経営者として選手を率いていく立場になる。これからの夢は、団体からスーパースターを生み出すことだ。

15歳の時に思い描いた夢。その第2章がまた始まる。

Dearにっぽん「“最強”レスラー リングを降りる日」
総合6月15日(日)午前8:25~8:50

里村さんの引退までの日々に密着しました。
実は最後の試合の相手を誰にするのか、直前まで決められずにいた里村さん。
その裏に抱えてきたある思いとは…。

NHKプラスでも見られます↓
6月15日午前8:25~ 配信開始予定
配信期限:6/22(日) 午前8:49まで
Dearにっぽんディレクター
村上絵美
NHKエンタープライズ東北所属
ディレクター歴20年
東北地方を中心に取材
プロレス好きの父がいるが
幼い頃は興味がなかった
好きな技:デスバレーボム スコーピオ・ライジング

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