秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の本来のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解。歴史を捏造しない

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秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の本来のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解。歴史を捏造しない
@fujiiyakuho
龍角散の発祥の地は美郷町ではありません。 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人 美郷町要注意!
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grok3が、美郷町歴史民俗資料館〜どうたらと説明していたので、そろそろ美郷町とグルになったアカウントが出てくる頃だろうと思っていました。 歴史を捏造するのはおやめください! #疑惑の本拠地
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秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の本来のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解。歴史を捏造しない
@fujiiyakuho
それにしても以前から龍角散の話題になるとマウント取りたがる人がいるのは何故なんでしょうね? こちらが何か悪いことをしていますか? むしろ悪いのはどちらですか? このように美郷町とグルになっている人を探せば犯人が見えてきます。
龍角散に関して、当家のエピソードとは異なる話を吹聴し、広めてしまったグループがいるようです。 当家は六郷出身の町医者ではありません。 藩にあがっていく御殿医、または下級武士とも、武士待遇だったとも言われています。 人の家の話ですので、強引な説を広めるのはお止めください!
以前、俳優の香川照之さんを起用した藤井龍庵(りゅうあん)という龍角散のCMがありましたが、あれは正亭治をモデルとしたCM上の設定(龍角散と甘草)です。 正亭治とは1825年生まれで、現在の秋田県大仙市大曲に屋敷を構えていた人なので、色々と話が合わなくなります。
お借りします。当時はこのデパートの向かいに、龍角散の本家の店がありました。 古くは、このデパートがあった辺りに、当一族の薬店が存在しました。 それが大正から昭和にかけての時代だったと言われています。
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ユニオン(仮)
@union_yokote77_
#懐かしの広告から(1984年) #タカヤナギ デパート大曲本店 かつてタカヤナギ本店がスーパーではなくデパートであったことを私はこのアカウントを始めて知りました。 今や現存せずネットに写真もない本店の絵は貴重かと。跡地の中通店にもあった #ドムドムハンバーガー の文字も。 #グランマート #秋田
龍角散の関係者を騙り、無許可でお寺や役所・役場と交渉している人がいます。 特殊詐欺等の犯罪に発展する可能性がありますので、この手の電話やメールがあった場合は、すぐに警察に相談してください。 電話を留守番設定にし、相手に「録音している趣旨を知らせること」も被害防止に効果があります。
#龍角散 の本家がある大曲(#大仙市)では、#大曲の花火 大会が開催されておりますが、現在の上大町にあたる信用金庫の後ろ付近には、かつて龍角散の屋敷が存在しました! #大曲史談会 さんのパネル看板に地図があるので、ご覧ください。 #akita #fireworks #秋田観光 #花火ウィーク #花火の街大曲
3年以上前の出来事になりますが、大仙市の大仙アーカイブズ主催の「ぶらまがり (ぶらっと散策 おおまがり)」というイベントがあり、当家の本家のことも地元の新聞に少しだけ載ったらしいですよ。 地元の方からの情報でした。 city.daisen.lg.jp/docs/201909090
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定期:#六郷町 六郷(#秋田県 #美郷町)初の新聞人である #倉田桜芳(本名は清)さんは呉服屋。 実は、この倉田家の近所には、秋田側の藤井家の縁者にあたる家がいくつもありました。東京の #龍角散 とは遠縁関係。 この界隈には、何千俵もの小作米(ものなり)が入ってきた家があったそうです。
ご存知でしたか? 六郷初の新聞人である倉田桜芳(本名は清)さんは呉服屋。 実は、倉田家の近所には秋田側の藤井家の縁者にあたる家々がいくつもありました。 この界隈には、何千俵もの小作米(ものなり)が入ってきた家があったそうです。 #龍角散 #美郷町 #六郷町 #倉田桜芳
定期:久しぶりに秋田市。 江戸時代から明治にかけて、龍角散の本店があったのは現在の秋田市(久保田町)。明治維新を経て、正亭治が東京府と大曲村へ支店を開いた。 その後、別の親族が大町(茶町)で店を開く。 他には保戸野(ほどの)、亀乃丁、楢山(ならやま)などに営業所がありました。
竿燈祭りが開催されている秋田市。当店があったのは大町の秋田ニューシティ、ダイエーがあった近辺。向かい側は現在のイーホテル。 かつては本金百貨店(のちデパート)がありました。 #龍角散 #秋田県 #秋田市 #秋田観光 #秋田竿燈祭り #秋田竿燈まつり #竿燈まつり #竿燈まつり2022
久々のスペシャルヒントを書いてあげましょう! 皆さん、何でバレたか? 似てませんか? えっ、何が?って? 顔が、、、。 これは隆太社長の祖父の出自に、、、。 これがどういう意味だか分かりますか? #龍角散 #小林製薬 #小林ヒストリー
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@fujiiyakuho
龍角散の現隆太社長が縁者である小林製薬へ修業に行った時は、身分を隠して大阪へ。 当時の康男社長と副社長だけが知っていたそうですが、先方には直ぐにバレていたそうです。 この出来事を、息子には(家業を)継がせるつもりはないと言いつつ、本当は「実験だった」と康男氏は表現している。
明治初期に秋田市の本店(のち支店に降格)を担当していたのは、正亭治の息子の内の1人だと言われています。 得三郎は3男のため、本来の跡継ぎではなかったわけですね。 明治中期、若しくは後期に秋田市保戸野、または大町(茶町菊乃丁)の店を担当していたのは正亭治の兄貴系統となります。
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龍角散の原型となる薬があったのは現在の水戸です。それを藤井一族が習いにいったのが佐竹藩としての龍角散の処方の始まりです。 情報の出所をご確認ください。よろしくお願い致します。 秋田県の年表などともさらに話が合わなくなります。
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山本祐嗣@漢方相談のミズホ薬店(大阪)
@mizuho_kampo
龍角散は江戸時代初期ごろに秋田県で開発された漢方薬です。途中に配合生薬の見直しがあり、現在の処方構成に至ります。 龍角散は杏仁・桔梗・甘草・セネガで配合されており役割は以下になっています。 ■龍角散 杏仁(甘草)→せきどめ 桔梗・甘草→のどの抗炎症&痰切り&うるおい補充→桔梗湯
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当家の本家がある大仙市大曲とは、有名な大曲の花火大会が開催される街です。 現在の上大町にあたる信用金庫(当時の駅場)の後ろ付近には、かつて龍角散の屋敷が存在しました。 藤井家は江戸の昔、文化年間には大曲の村に住んでいたと言われております。 #龍角散 #秋田県 #大仙市 #花火の街大曲
予想通りの展開ですが、やはり龍角散関係のエピソードが全く違うものとして流布されてしまっているようです。 その原因としてあげられるのが2013年のフェイクニュースですが、この手の誤報を拡散すると法的措置を取ることも可能なので、お止めくださいね。 #特殊詐欺グループ
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秋田市にあった藤井薬舗。龍角散の本来のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解。歴史を捏造しない
@fujiiyakuho
定期:六郷東根(美郷町)の町医者(初代※)が佐竹藩の医者となり、息子が龍角散を改良したという事実はありません。 年代を無視した噂話にご注意ください。歴史には根拠がなければいけません。 ※玄信、玄淵と名乗った久保田藩の医者が何人いたかは不明です。
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再掲載:テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。 秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そして茨城県水戸市に伝わる説と合わなくなっています。 コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
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所謂、テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。 秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そして茨城県水戸市に伝わる説と合わなくなっています。 コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
現在の秋田県大仙市(大曲)の信用金庫のうしろに、かつて龍角散の屋敷が存在しました。 当家は文化年間(約200年以上前)には大曲にいたとも、はたまた江戸中期には大曲にいたという2つの説が存在するようです。 #龍角散 #秋田県 #大仙市 #大曲 #ゴホンといえば #花火の街大曲
香川照之さんが龍角散のCMで演じたキャラは藤井龍庵(モデルは正亭治)、撮影場所は峰浜地区(八峰町)、舞台は美郷町六郷という設定。 しかし正亭治は1825年生まれかつ、大仙市大曲の生まれとも、江戸で生まれた説があります。 ※秋田藩が湯川清四郎から甘草の苗を買ったのは1825~26年の話です。
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@fujiiyakuho
美郷町の場合は、龍角散に使われたカンゾウ(甘草)が六郷高野村で植えられていたと主張していますが、年代が合いませんので、お気をつけください。 なぜ、湯川家がカンゾウを植えていたか?は分かっていないようですね。 そしてこれは実際にはノカンゾウだったと言われています。 x.com/fujiiyakuho/st…
当家に関する記載は、六郷町史よりも大曲市史に多くあるようですが、秋田県立図書館のデータベースがそれを見つけられないのは何か変な気がします。 >代々秋田藩の藩医を務めたといわれている藤井家について、秋田藩の藩名簿の様なものがあれば~(以下略) crd.ndl.go.jp/reference/modu
この時代の営業は2人。そのうちの1人は小池三郎といって、戦後に途中入社した当家の一族でした。 当時は新宿の家の一室を使い、作業をしていたと伝わります。 まずはラジオが先、そしてテレビコマーシャルとなったようです。まだテレビ普及率が低い時代でした。 ※小池三郎談。
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@fujiiyakuho
藤井得三郎商店(龍角散)は、明治時代から広告戦略(新聞広告、カレンダー等)を展開し、各地にチェーンがありました。 「ゴホン(ゴッホン)と言えば、龍角散!」 この有名なフレーズは戦後に誕生したと言われ、当時の営業担当者が、代理店と掛け合い、CMを積極的に流したと伝わっています。
2023年9月1日以来の定期 藤井得三郎商店(龍角散)は大正時代に社屋を新築しましたが、その時には、藤井正亭治(しょうていじ)の代からの付き合いがあったと言われる秋田県の某家からお金を借りました。 完成したのもつかの間、関東大震災が起こったというまるで漫画のようなエピソードがあります。
#秋田県#仙北市#角館町)には、東京の #龍角散#秋田市 の藤井家の遠縁の家が住んでいるようです。 近年、「龍角散の子孫は秋田県内にいないのですか?」と聞かれることがありますが、普通に秋田市にも何系統も残っていますよ。 誰から聞いた情報を元にしているのかご確認ください!!! https://t.co/wEjiCzrRR1
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2019年の今頃は? #大仙市 大曲の #はなびアム の別館で展示会が開催され、期間は19年6月18日~25日。 『江戸時代に藤井家によって作られた #龍角散 は、今や世界中で販売されています。ルーツとなる資料のうち明治・大正・昭和時代の懐かしい資料を取り揃えました。』 #あぶこれ #油谷これくしょん
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東京都千代田区の龍角散、秋田市大町(菊乃丁)から見ますと、大仙市大曲側を本家としています。 それは本来は正亭治が弟の方で、 菊乃丁が弟の方だからです。 また様々な龍角散の本家説を唱える方がいますが、信憑性に欠けます。
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広告上の設定が美郷町六郷 撮影風景は八峰町 実際には大仙市大曲の屋敷 そして、 秋田藩とは秋田市 江戸屋敷は台東区
龍角散には不正し、逮捕された人がいましたが、古い資料と異なる点が。 藤井正亭治はオランダ医学を学ぶため、今の長崎県へ選抜され、遊学。帰藩後に薬を扱う仕事を命じられたとなっています。 1850年時点での藩主は佐竹義睦(よしちか)。義堯(よしたか)は末期養子。