(32)トルコ、日本  いつか、妻に贈り物を 滞日15年、クルド人の闘い  難民認定、在留許可求めて

2023年02月01日 00時06分

 何とも異様な映像だった。男たちが叫んでいる。中央に、上半身裸で床に転がる男。周りを黒服の男たちが囲み、首を押さえ腕をひねり上げる。男は無抵抗に見えるが、黒服の一人は「抵抗するな」と怒鳴っている。

 

 ドキュメンタリー映画「牛久」の一場面。牛久とは、茨城県牛久市にある入管施設「東日本入国管理センター」のことだ。映画は、日本での在留資格を失った難民認定申請者らが収容されている施設の実態を描く。

 

 施設職員らに押さえ込まれていたのは、収容者の一人でトルコのクルド人デニズ(43)だった。「息ができず、その後3日間スープしかのどを通らなかった」と振り返る。だが理不尽な扱いは、これに限らなかった。
 

 

 ▽「安全な国へ」

 

 デニズは1979年、トルコのイスタンブールで生まれた。両親は同国中部出身のクルド人。イランやイラクにも住むクルド人は「国を持たない世界最大の少数民族」と呼ばれ、トルコでは分離独立を目指す恐れから弾圧の対象となってきた。

 

 兵役で「自分はクルド人だ」と言うと上官に殴られた。除隊後には、街中で背後から太ももを刺された。犯人は分からない。父親は「これは警告だ。次は殺されるかもしれない。安全な国へ行け」と促した。

 

 2007年5月に来日。クルド人が多く住む埼玉県蕨市で家屋解体の仕事に就いた。難民認定を申請したが認められず、在留期限が過ぎて強制退去処分に。08年、初めて入管施設に収容される。「牛久」との関わりの始まりだった。
 

 

東京・渋谷の街角にたたずむ仮放免中のデニズ。いつまた収容を命じられるか分からず、不安を抱え続ける=2022年2月
東京・渋谷の街角にたたずむ仮放免中のデニズ。いつまた収容を命じられるか分からず、不安を抱え続ける=2022年2月

 

 

 入管施設に収容期限はない。収容者は、出身国へ強制送還される恐れと、先の見えない収容で精神を病む。施設からの一時的な釈放「仮放免」を求めるハンストも珍しくない。「眠れなくなり、体がぼろぼろになっていく」とデニズは言う。
 

 最初の収容では、クルド人の仲間が仮放免に必要な資金を用立ててくれた。釈放後の08年暮れ、デニズは東京・六本木で日本人女性と出会う。後に妻となる吉崎明子(よしざき・あきこ)(64)=仮名。「優しそうで、一目ぼれでした」と明子が笑った。
 

 

 ▽自殺未遂

 

 2人は11年5月、東京・目黒区役所に婚姻届を提出し受理された。デニズは明子から、日本語を習った。ただ仮放免中は就労できない。生活費を明子に頼り、デニズの気持ちは不安定だった。さらに、その後も収容と仮放免を繰り返し、収容期間は合計5年に及ぶ。
 

 

 入管の問題に詳しい弁護士の大橋毅(おおはし・たけし)によると、難民認定が難しくても「在留特別許可」を出す場合のガイドラインで、日本人との婚姻は「特に考慮する積極要素」となる。だが、現実には基準はあいまいで、デニズのように結婚から10年以上たっても許可が出ないケースがままある。
 

 

 デニズは仮放免後、施設に戻ると職員から「逃げればいいじゃないか」と挑発された。逃亡すれば立場はさらに悪くなる。明子は「何を言われても我慢して」と諭した。デニズが収容されると2週間に1度、牛久へ通った明子は、職員からは「奥さん」と呼ばれた。

 

 

妻明子をやさしく抱き寄せるデニズ。「在留特別許可を得て普通に暮らし、自分のお金で誕生日の贈り物を買ってあげたい」=東京・駒沢公園、2022年2月
妻明子をやさしく抱き寄せるデニズ。「在留特別許可を得て普通に暮らし、自分のお金で誕生日の贈り物を買ってあげたい」=東京・駒沢公園、2022年2月

 

 

 19年1月、デニズは冒頭で記した「暴行」を受ける。施設側は職員を「蹴った」のが理由と主張したが、デニズは否定している。大橋によると、こうした暴行は施設内で「制圧」と呼ばれ、日常的に行われる。

 

 デニズは「懲罰房」に隔離されて24時間監視されることも増え、医師から睡眠導入剤を処方されるようになった。20年2月、衝動的にシーツを換気口に下げて首をつった。だが換気口が外れて転倒、救急車で病院に搬送された。幻覚にも悩まされ、自殺未遂を繰り返す。3月、ようやく仮放免が認められた。
 

 

 明子は「面会で『薬やめて』『ハンストやめて』と言うことしかできなかった。つらかった」と当時を振り返った。

 


 ▽ニュースを見て

 

 22年2月、デニズ夫妻と東京・駒沢公園で待ち合わせた。梅が満開だが、風はまだ冷たい。デニズは仮放免中の昨年3月17日深夜、この公園で自殺を図っていた。

 

 その晩、名古屋市の入管施設で死亡したスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんのニュースを見ていた。「牛久の経験を思い出したのだと思う。テレビの前で『かわいそうだ』と泣いていた」と明子。一命は何とか取り留めた。

 

 新型コロナによるクラスター発生を防ぐため20年以降、収容施設からの仮放免は急増している。だが法的地位は不安定で、いつまた収容を命じられるか分からない。

 

 「ここが薬を飲んで自殺を図った場所」とデニズが何げなく言う。今求めているのは、在留特別許可を得て「働きたい」ということだけだった。前年より気持ちは安定しているようだが、時折表情に影がさす。

 

 「自分のお金で、いつか奥さんに誕生日の贈り物を買ってあげたい。それが夢なんだ」とつぶやくと、首を小さく横に振った。(敬称略、文・軍司泰史、写真・遠藤弘太)

 

◎取材後記「記者ノートから」

 

 デニズが牛久で受けた「暴行」について、施設側はその後「不当な処遇だった」と謝罪した。弁護士の大橋毅によると、極めて珍しいという。
 だが、デニズが損害賠償を求めて提訴すると、国側は「不当ではあるが違法ではない」と争いに転じた。在留特別許可を求める訴訟では、裁判官が「(婚姻に関する)ガイドラインには拘束されない」と述べた。
 では何のためのガイドラインなのか。大橋は、国も裁判所も「人権が分かっていない」と憤る。
 先進7カ国(G7)で、日本は極端に難民認定が少ない。トルコのクルド人では今年7月、初めて1人が認定された。一方で政府はウクライナの「避難民」には就労や特別支援を認める。国際社会に注視される人々と、そうでない人々の落差に目がくらむ。(敬称略)

 

  筆者は共同通信編集委員、写真は共同通信写真記者。年齢は2023年2月1日現在。

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