村松剛(1929~94年)は、三島由紀夫の親友で、福田恆存(つねあり)などとともに保守の論客として平成はじめまで活躍した。眼光鋭い長身痩躯(そうく)の美丈夫。女優、村松英子は妹。と言っても、ピンとくる人は今ではそう多くはないだろう。
そのような人物の評伝は、思想や行動を再評価し、今日的意義を見いだすという「列聖化(する)」評伝になりがちである。本書はそういう常套(じょうとう)をとらない。芸術至上主義だった村松が保守の旗幟(きし)を鮮明にしていく年代的記述がなされてはいる。しかし、時々の社会情勢や知識人界の模様などの環境を合わせ鏡にする「コンテクスチュアル(脈絡的)」な方法が駆使される。そして、村松は強面(こわもて)の保守とみなされたが、西洋的合理主義に立脚した醒(さ)めた保守だったとされる。保守知識人間の共感と反感、葛藤の相関図がわかるのも脈絡的方法の功徳である。村松に露骨な嫌悪を示した江藤淳の「好悪の激しい」「感情的な」裏の顔にやっぱりね、と思ったりする。
本書の圧巻は中東問題についての厚みのある記述と分析である。村松はアイヒマン裁判傍聴でエルサレムに向かうのを手始めに、アルジェリア戦争を取材。欧米、中東、東南アジアを歴訪し、国際政治評論家としても活躍した。著者は村松の中東についての見識の広さと現地主義の視点を評価しながらも、パレスチナ問題ではシオニスト(ユダヤ民族主義者)の公式見解をなぞってイスラエル側からの意見に終始したとする。しかし返す刀で湾岸戦争に反対する日本の文学者の「声明」の論理にも疑問を投げる。声明がもっぱら日本国憲法を根拠にしたのは、中東の現実をもとにした「反戦の論理」を組み立てることができなかったからではないか、と。
国際政治の力学に疎い日本を憂えた村松が言いたそうな言明で、著者が村松にこだわった理由がわかる気がした。しかし、本書は戦後保守知識人史や論壇地図としても読みで十分。そう、これは(ただの)評伝ではない。(法政大学出版局・4950円)
評・竹内洋(京都大名誉教授)