2025-06-15

親に「産んでくれと頼んでない」と言ったことがある

twitterで下記ツイートを見たので思い出話につきあってほしい。

https://x.com/kitwell_tanaca/status/1933128116064661904

いつか我が子に「産んでくれって頼んだ覚えねーよ!」って言われた時なんて返すのがいいんだろう。って考えてるんだけど何か面白い返し方あるウマ🐴?

🐴田中です @kitwell_tanaca

実際これに近しいことを一度口にしたことがある。

帰ってきた父親からの回答は暴力だった。

母親はどうしていたか覚えていない。1020年前の話である

私の家は典型的な不機能家族家族物心ついたときからから暴力そばにあった。

仕事をしない父、父の言いなりになっている母、その両親が言うことを一つも疑うことがない自分愚か者3人がそこで暮らしていた。

結果として私は今実家を出ているが、5年以上たった今でも両親から教育による歪みに苦しんでいる。むしろようやく実家が異常だったのかもしれないと疑い始めたころだ。

実家いたころのエピソードはすべてがおぼろげで部分的しか思い出すことができない。

そのどれもが苦しくて、異常で、だれにも話せないようなことばかり。

例えば私は経済的DV身体DVを受けていた自覚はあるのだが、今思うとあれは性的DV精神DVだったのではないか?というようなものも多々受けてきた。

性的DVは親から行為強要されること、という偏見があったが父親から「メスの香りがするようになった」と言われたり日常的に尻や胸を触られたりブラのホックを外されたりしていたあれも性暴力にギリ入るのだろう。

これらのことから本当にどうしても無理になって、なぜ私はこの家にいるのか、なぜ生きているのか、なぜ産まれたのか、なぜ産んだのかと言ったようなことを涙ながらに叫んだことがある。

結果、冒頭に述べた通り帰ってきたのは暴力だった。

具体的に何を言われたかは覚えていないのだが、要約すると「降ろすという選択肢はあった、実際前妻(母は後妻)の子は降ろした。それでも産んだのは自分たちが望んだからだ。だからお前は両親の所有物なのだ」と怒られた。

そして普段から母には「お前は自分が腹を痛めて産んだ子だが、お前は父曰く私の子ではない。だから父だけがである」とさんざん言われていたため、私は「自分の命は父のものである」という解釈をした。

解釈とあるが実際そのようなことを言われた。

から自殺なんてことは許されず、死ぬまで両親に、父に奉公して死ねと言われた。

実際「子供は親の介護をするものだ」と何かにつけ言われており、実家をどうにか出ることができた5年前まで私の自由は両親が死んでから(=私が老人になってから)だと思っていた。今もぼんやりとそう思っている。

件のやりとりが決定的なそれとなったわけではないが、このあたりから自分はすべての選択権を捨てた。

希望していた進路も捨てた。ただ両親を生かすために高校卒業したのちフリーターとなり、金をすべて家に入れるようになった。周囲の大人は「孝行ものだね」とほめてくれた。だけどそれは私にとって呪いで、でも選択権を捨てた私は死を選ぶこともできなかった。

だらだらと生きて、だらだらと日常を繰り返すだけになった。

親に対して恨み言を言うつもりはない。もっと自分が強ければ、もっと自分の頭がよかったなら、もっとよい結果につながれたのだろうと思う。たらればを考えるくらいなら今選べる最善を選んでこれからを良くしていきたいと思っている。

ポスト主が想定している「面白い回答」が具体的にどういったものかはわからないが、あのとき両親のどちらかから出てきていたとしたら、たぶん今自分はこの文章を書いていないだろう。そう期間をあけることな自死を選んでいただろうな、という確信だけはある。

また、ポスト主に連ねられていた「産みたかたから産んだんだ」という回答がきたとしてもその後の回答次第では死んでいたろうと思う。

あの時の私を救う言葉はあのときあったのだろうか、そう考えていたら涙が止まらなくなってきた。

結果として私は今生きて、こうして文章を書いている。そう考えると私に帰ってきた暴力と回答は、私にとっては正解だったのかもしれない。

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