2025-06-15

インターネット阿Q正伝――“声がでかいだけ”の人と、振り回される

※思ったことをそのまま書き殴っています。気分を害したらごめん。

ネットを眺めていると、やたらと声が大きい人間がいる。発言ボリュームも頻度も桁外れで、タイムライン風向きを一瞬で変えてしまう。ところが、実際に彼らの発言に振り回される当事者の声は――ほとんど聞こえてこない。

なぜか? 彼らは「声を上げられない」のではなく、「声を上げても誰も拾わない」からだ。

影響力 × 時間的余裕 = “干され力”

日本ネット空間で「影響力が強い人」というと、かつての実績に支えられた元○○が多い。現役バリバリなら忙しすぎて四六時中ポストする暇はない。

まり、実績があって時間が余っている = 半ば干されている。

この “干され力” が最大化すると、承認欲求自己防衛が混ざり合い、最後の輝きを放つ。タイムラインはその残光に包まれ、眩しさゆえに周囲は目を細める。

浮かびも沈みもしない人々

声が大きい人に対し、振り回される側は二種類いる。

浮かびかけて沈む人

反論や補足を試みるが、一瞬で潰される。

そもそも浮かびもしない人

スレッドを読みはするが、最初から発言を諦めている。

後者の声は可視化されない。だからネットには「被害者の声がない」ように見える。存在しないのではなく、“沈黙ごと無視されている” のだ。

阿Qタイムライン

魯迅の『阿Q正伝』を思い出す。失敗と屈辱内面勝利宣言ごまかす男、阿Q

タイムライン上の“声がでかい”人々も、誰よりも早く「私は勝った」と叫び自分物語を確定させる。

その瞬間、周囲は「阿Q今日も元気だな」と苦笑いをしつつ、いいねを押すかミュートするかの二択を迫られる。

結論めいたもの

ネットは 「影響力 × 暇」 の掛け算でできている。

“干され力” が高いほど、声は大きくなる。

浮かびもしない人の沈黙カウントされない。

からこそ、私たちタイムライン喧騒を「世論」と勘違いしてはいけない。

阿Qが掲げる勝利宣言は、しょせん彼の内的世界の話であって、社会の総意ではない。

追記

阿Qって誰?」という若い人向けにリンク貼ろうとしたが、検索すれば一瞬だったのでやめた。

本文中の“干され力”は商標登録していない。自由に使ってほしい。

以上、インターネットの片隅より。

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