手記 小池百合子「子宮全摘出」の記録
「筋腫ですね。子宮をとりましょう」 触診した医師は、呆気なく宣言した。本来ならショックを受けるはずの自分。でも、妙に納得できた。 「やっぱり盲腸だけじゃなかったんだ‥‥」 そのときはそんな気持ちのほうが強かった。 しかし、次の瞬間、大きな選択が私の目の前に立ちはだかっていることに気付いた。「産む」「産まない」ではなく、「産める」「産めない」の選択である。 いい年をして、選択肢もあったものじゃあないと思われるだろうが、女としてはいつまでも出産への選択肢は持っておきたいものである。 体調に異変を来したのは今年の春ごろだった。夜中に下腹が痛んで七転八倒したり立ちくらみを起こしたりした。月に2度も生理があったり、強度の貧血も起こした。 それでも政策不況と金融不安の中、衆議院大蔵委員会委員としては、国会を休むわけにはいかなかった。絶えず緊張の連続だった。 昨年暮れに、急性盲腸炎で入院したが、こうした体調の乱れは、てっきりその後遺症のせいだと思っていた。 ただ盲腸炎のときも、実は最初に駆け込んだのは婦人科だった。それまで会員制人間ドッグに入会し、年に一度、超音波などによる検査を受けていた私は、数 年前から子宮筋腫のケがあることは自分でも知っていたが、「特に問題はない」ということで、治療を受けるまでには至らなかった。ところが議員生活に入って 以来、一気に貧しくなったことから、3年前に人間ドッグを退会。以来、定期検診などからは遠ざかっていた。 外から見れば、国会議員はウハウハ儲かる商売と思われがちだが、それは人による。 ルールを守っていると、少々の財産はあっという間に消えていく。それに婦人科というのは、女性にとって決してスキップして行きたくなるところではない。だから毎日が忙しければ、多少の痛みなら我慢してしまう。「女だから」と甘えたくない。 私は自分自身の健康管理を真っ先にリストラしてしまった。それほど健康には自信があったのだ。2晩くらいは寝なくても平気、地元では一日300軒の挨拶 回りも当たり前。あるときは視察先のトルコからコンコルドで大西洋を越え、ニューヨークでの講演をこなして、ゼロ泊でカイロに戻るなどというW杯サポー ター以上の荒業をやってのけたこともある。 そんな体力自慢の私だったが、昨年暮れ、腹部に激痛が走ったときは、そのケがある」と言われた筋腫が、とうとう悪化したに違いないと確信し、婦人科に駆け込んだのだった。 でも、盲腸の手術で開腹したにもかかわらず、すくすくと育っていたはずの私の筋腫は、発見されなかった。 3月中旬、あまりに出血の多さで貧血になり、激しい下腹部痛のためまっすぐ歩くことさえ、おぼつかなくなった私は再び病院へ向かった。 子宮筋腫とは、子宮の筋肉より発生する良性の筋腫である。平たく言うと、コブやおできの類いだ。成人女性の4人に1人の割合で発生する極めて一般的な疾 患で、私の周りでも実際に筋腫で悩んでいる、またはすでに手術を受けた女性がゴロゴロいることに、改めて驚いた。 しかし、これほど一般的な病気であるのに明確な原因は未だに分かっていないのが現状だ。エストロゲンという女性ホルモンの分泌に関係があるとか、血管の異常説、なかには電磁波の影響を指摘する声まである。原因が分からなければ、防ぎようもない。 子宮筋腫の手術の方法には、筋腫のみを摘出する場合と、子宮を全摘する場合があるが、私はこれらの方法の選択する余地すらなかったらしく、初めから「子宮全摘」を告げられた。 私の場合は、超音波で認められなかった筋腫がCTスキャンでは、くっきりと出た。医師の説明では、筋層内筋腫が数カ所に認められ、子宮は全摘したほうが いいとのことだった。だがその後の更年期障害や骨粗鬆症(こつそしょうしょう)の問題などを考えて、卵巣は残すことになった。 参院選が控えていることもあり、選挙後の入院も考えたが、目の前の痛みや辛さから早期の手術を受けることにした。盲腸からわずか半年で再び開腹手術とは、かなりきつい。どうせなら1回で済ませたかった。車検だってエンジンも電気系統も一度に部品交換するのに。 手術日までの約3週間は、アメリカでの講演と国際会議をはじめ、参院選用のポスター、テレビCM、新聞広告など、あらゆる選挙広報の仕込みに忙殺され た。作業は連日深夜まで続いた。だがその間、仕事に追われながらも、やはり手術のことが頭から離れることはなかった。 ニューヨークでは、有名な産婦人科医に相談した。医師は、「切っちゃえば終わり。すっきりしますよ。卵巣もとっちゃえば」と、こともなげに言い放った。帰国してからも、こっそり医師会の自動電話相談に電話したりもした。 5月25日、手術の前日に入院した。私の突然の入院に、同僚議員は「鬼ユリのかく乱」と称したそうだ。 病室は産婦人科病棟の個室だが、部屋の斜め前は新生児室。産声をあげたばかりの赤ちゃんがズラリと枕を並べている。以前なら「可愛い」とすぐに覗き込んだだろうが、正直言って目を向ける気にもならない。 これから子宮を取り、一生子供を生めない体になる、という現実を否応なく突きつけられた。自らの選択とはいえ、大きなお腹を抱えて歩く妊婦たちの姿が恨めしい。 しばらく入れないお風呂に入り、午後9時の就寝時間を迎え、部屋の明かりを消したが、頭が冴えてなかなか眠れない。生死に関わる手術ではないとはいえ、明日になったら自分の体の一部を失うと思うと、胸が締め付けられた。 手術の朝‥‥。麻酔の準備が整い、母に「行ってきます」と言った後は意識朦朧。目が覚めたときは病室のベッドの上だった。この間、約2時間半。おへその 下から縦に10センチ開腹した。筋腫はコブシ大のものと、それよりやや小さめのもの、合わせて4つだった。取り出した自分の筋腫を写真で確認したが、それ は血にまみれた海綿体のようで、言葉では言い表せないグロテスクなものだった。そんなコブのせいで、子宮を丸ごと取らなければならなかったと思うと、改め て腹立たしく、切なくなった。 翌日は、ほぼ寝たきり状態だったが、医師はできるだけ早く自分で歩けという。点滴、麻酔など、いくつもの管をぶら下げて歩くのは億劫だったが、何よりも これまでの自分と違うという思いが、一層気を滅入らせた。点滴のスタンドにつかまりながら、スリ足で歩く私を、大きなお腹を突き出した妊婦が、フーフー言 いながら追い越していく。 2部屋隣の分娩室は、嬉々とした喧騒に包まれ、新たな生命が誕生していく。新生児室の前では我が子を指差し微笑み合う夫婦がいた。 何の他愛もない光景が、私にとっては、まるで別世界の出来事のように映った。こうした出来事が、もう永遠に自分は体験できないのだと思った、子宮全摘という重さをまざまざと痛感した瞬間だ‥‥。 振り返れば、留学から数えて約25年。前へ、前へと、つんのめった生活を続けてきた。超高速運転に急ブレーキをかけてもすぐには止まらない。気持ちは焦るが、ここは発想を変えたほうがいいと考え、天から与えられた時間として、じっくり休養することにした。 入院中は毎日、ビデオと読書三昧で『三本の矢』『宣戦布告』など、上下2巻の長編小説を次々と読破。新聞は本紙よりもチラシの隅から隅まで目を通した。不動産価格、スーパーの安売り‥‥。すべてが凝縮されている。 いつもなら政治面はくまなく読むのだが、永田町を離れてみれば、読む気も起こらない。誰がどうした、こうしたばかりでつまらない。これじゃ政治に無関心になるのも当然だと思った。 手術の2日後には、党広報の打ち合わせのため病室で会議を始めていた。結局、日常は何も変わっていない。私の体だけが、変わったのだ。 抜針後の縫合が悪く、入院生活は3週間に及んだ。 この入院生活を通じて、私は各党が打ち出している少子化政策に違和感を持った自分に気づく。子供を産めば税金をマケるといった類いの政策は、問題の本質からズレている。 これは明らかに男社会の発想だ。少子化はこれまでの男社会が築いたシステムに対する女の意識、無意識の反乱なのだ。これからは少子化を前提とした国家プログラムを組むべきだろう。 私と同じ症状の女性が周りに数多くいたことはとても心強かった。ただ、彼女たちも病院での切ない思いを味わったのかと思うと心が痛む。 しばらくは、ならし運転となりそうだが、この貴重な時間に、少子化政策や婦人医療についての現状を調べ改めてレポートしたいと思っている。 手記 小池ゆりこ「子宮全摘出」の記録 https://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/colum98/corum9807.shtml