奈良市阪原町 足痛地蔵・長尾神社 | まーりんのまりんエッセンス

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満月明けのきょう、なんとなく出かけて遭遇
阪原の足痛地蔵、長尾神社。
奈良から柳生街道を行き、きゅーんと折れ曲がる手前にあります
 
 
 
 
 
 
足痛地蔵
奈良市阪原町
 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
長尾神社
奈良市阪原町1625

 
 
 
 

戦捷記念(戦争に勝利したことを記念)
いつの戦いのことだろうか
 
 
右手

 
 
左手

 
奉供養十九夜待講

十九夜の月待講といわれるが婦人たちの念仏講でもある。十九日の夜当番の家あるいは寺院や堂に集まって、多くは如意輪観音の軸を掛け、その前で勤行が行われる。
「十九夜塔」『日本石仏事典』(庚申懇話会/編 雄山閣出版 1995)
 
十九夜講はもと子安信仰に発している。日本古来の子安神は、仏教の影響を強くうけて子安地蔵とか子安観音となった。それらの祭日が月々の十九日であったので十九夜講とよばれるようになったらしい。
『群馬県史 資料編 民俗 2 26(群馬県史編さん委員会/編 群馬県 1982)
 
 
 

 
 
阪原(さかはら)の地は平安時代に春日大社領となり、大柳生・柳生・邑地(おおじ)とともに「神戸四箇郷(かんべしかごう)」(神社領である四つの村の意)と呼ばれたところです。
当社も、創立は不詳ながら古くから祭られてきたと考えられます。
 
 
本殿 桃山時代 重要文化財
春日大社本社本殿のうち第一殿を移築
桃山時代に遡る古例として貴重
 
能面 室町時代 県指定有形文化財
室町時代の作とみられる能面が四面伝わる
 
能舞台 
舞台 明治時代/楽屋・橋掛 大正時代 市指定文化財
 
 
 
 
 
かすれて読めん
 
 
御祭神 熯速日命(ヒノハヤヒ)
 
 悪病退散の守り神として人々が恐れる「ウルシ」の生木を箸にして食べられたことから、今も「ウルシ」の箸でお供えをしている
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 
 
  
 
 

 
 

 
 
井戸

 
 

 

 

二の鳥居から石段を上がったところ

 
 
 
拝殿 檜皮葺の妻入入母屋造

 
右横から

 

 

 

本殿 桃山時代 重要文化財
春日大社本社本殿のうち第一殿を移築
桃山時代に遡る古例として貴重
 
御祭神 熯速日命(ヒノハヤヒ)
 
本殿左わき
恵比須神社
 
 
本殿右わき
左から八幡神社、愛宕神社・天照皇大神宮社

 
 
本殿右手 一段下がって境内社

 
 
御霊神社

 
ここでアシナガ蜂がでました2匹~
一匹は1~2㎜ほどの緑色の玉をかかえて、どこかに去りましたが、ブンブンずっと聞こえてました 
 
 
左から戸隠神社、厳島神社、五穀神社

 
五穀神社につづいて
白山比咩神社、金刀比羅神社、稲荷神社

 
男・女・男・・・と並んでいるような

 

 

稲荷の向かい側 八王子神社

 
 
向かって左の石 愛宕?月?参講中

 
 
向かって右の石 天照皇太神宮
皇が白+生

 
 

 

 
 

 

 

 

 

 
 

 
 
 
 
 
社務所

 
 
 

 
 

 
 

 
 
 
 
能舞台 
舞台 明治時代/楽屋・橋掛 大正時代 市指定文化財
 
舞台は入母屋造茅葺、4.9m四方の床を張り、奥に板壁を設けるほかは、三方を吹放ちとする。楽屋及び橋掛は桟瓦葺。
 
社蔵の文政2年(1819)の境内図から、その頃には現在と同様の建物があったことがわかる。
奈良市東部地域には、茅葺の舞台形式の建物が4棟現存するが、舞台、橋掛、楽屋をともに伝えるのは当例のみ。
秋祭りでは、祭祀に使用されるとともに、ジンパイ、スモウが演じられ、建物、民俗芸能ともに地域の人々に親しまれています。
 
 
 

 
 

 
 
 
 

 
 

 

 
 
 

 
 

 
 
 

 

 

 

 

 

 


 

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