何故フェミニズムは勝利を続けるのか?
日本で1番フェミニズムに詳しい作家の兵頭新児氏は「過去の女性社会進出を訴えるフェミニズムは既に目的を達成した」という見解を有している。実際日本においては女性は男性より高校や大学の進路制限を受けず、また女子枠という形で男性より優先的に入学することが可能であり、尚且つ起業融資に関しても女性だけが使えるプランが公私で豊富に用意されており、更には就業に関しても生理休暇という先進国では日本以外は韓国とスペインしかない制度が導入されている。客観的に見ても日本は男女平等先進国の中でもトップレベルで女性が社会進出しやすい国と言えるだろう。
また「女性は女性に生まれるのではない。女性になるのだ(女性は社会的抑圧でステレオタイプ的な女性を演じさせられる被害者である的な主張)」でお馴染みのフェミニストであるシモーヌ・ド・ボーヴォワールは1949年…生理休暇も女子枠も女性専用融資もない米国…において「第2の性」でこのような勝利宣言を行っている。
人間としてのあらゆる権利が回復された幸運に恵まれた今日の多くの女性は、公平さという贅沢を享受できるだけでなく、その必要性さえ感じる。我々は最早闘争的な先人達のようではない。我々は多かれ少なかれ勝利したのだ。女性の地位に関する最近の議論において、国連は男女平等を強引に要求し続けている、しかし実際我々は女性であることが困難や障害だと感じたことなど1度もない
(Many women today, fortunate to have had all the privileges of the human being restored to them, can afford the luxury of impartiality: we even feel the necessity of it. We are no longer like our militant predecessors; we have more or less won the game; in the latest discussions on women’s status, the UN has not ceased to imperiously demand equality of the sexes, and indeed many of us have never felt our femaleness to be a difficulty or an obstacle…)
シモーヌ・ド・ボーヴォワールは20世紀西欧の女性解放思想の草分けとされ、「シモーヌ・ド・ボーヴォワール賞」という女性の自由の為に活動した人間に送られる賞の名前にもなっている典型的フェミニストである。
そんな彼女の被害者意識の強さは上記の名言からも伺えるが、同時に今のフェミニスト同様に性欲と加害欲も旺盛であり、小児性愛者を公言して1943年には実際に未成年者への性的虐待で教職を解雇されている。また占領下のフランスにおいては、他の多くの女性同様にナチスに協力的であり、尚且つ終戦後にそれを指摘された際は熱心にナチスを応援する記録が残されてるにも関わらず「騙されて協力させられた」とぴぇんした。良い悪いは別にして彼女は被害者意識・強い性欲と加害欲・他責性を有する、令和のフェミニストと何ら変わりはない女性だったのだ。
そんな女性ですら1949年時点で「フェミニズムは勝利した!女性の社会進出を阻むものはなくなった!」と認知していたのだ。しかしながら彼女達は止まらない。そこから様々な男女平等の為の施策が実行され今に至るが、現在女性は大半が「女性は差別されている」と考えている。内閣府が令和4年にやった調査では女性の19%が「今の社会は男性が非常に優遇されてる」と考え、67%が「どちらかというと男性優遇」と考え、「平等だ」と考える女性は10%しかいない。尚「女性の方が優遇されてる」と考える女性は2%で、「女性の方が非常に優遇されてる」と考える女性は0.3%だ。
こうして客観的には男女平等が進めば進むほど、女性は主観的には女性差別を感じるようになるのは世界的傾向であり、米国のギャラップ社の調査では2001年に「女性の待遇に満足してる」と答える女性は61%だったが、2021年には44%まで下落している。興味深いのは女性の待遇に満足できない女性が増えたのは2015年…metoo運動が契機であることだ。この運動自体の是非や評価はさておき、metoo運動によって男女平等が先に進んだ事や女性の声が大きな力を持つ事が示されたのは間違いない。実際2015年を契機にして積極的差別是正措置プログラムは更に加速した。それにも関わらず彼女達は「女性の待遇」により不満を持つようになり、更に「女性差別解消の為に積極的差別是正措置プログラムをやるべきだ」と思い始めているのだ。
フェミニズムは確実に勝利を重ねている。それ自体は疑う余地はない。しかしそれに関わらず何故彼女達は更に不満を高め、女性は差別されてると主張するようになっているのだろうか?そもそも何故このように何度でも勝利し続けられるのか?その答えは3つある。その1つは
結果の平等
現在ファミニストは男女賃金格差やSTEAM(理系大学)の女性比率などを称して結果の平等を求めている。結果の平等は男女に限らず個々人の能力や志向の違いがある限り、差別と個人の権利の侵害によってしか達成されない。運動会の100m走を男女混合でやった場合、入賞者が男女半々になることはあり得ないだろう。
またそもそも必ず男女半々になるというのも、それはそれで不自然な状態である。例えば管理職の男女比率において、平社員100人の男女比は半々かつ男女は同じ能力と出世意欲を有しているという状況を仮定する。そうなると平社員の中から管理職に10人出世させる場合、何らかの差別がない限り事実上それはランダム抽選になるだろう。我が国は現在ポジティブアクションと称して女性比率は4割以上になる事を推奨しているが、男女比の偏りが6:4以内に収まる確率はこの条件だと70%ほどになる。男女で能力出世意欲に差がなく、管理職登用にあらゆる差別がないと仮定しても計算上は3つに1つぐらいは管理職の男女比は偏る職場があるのが普通なのだ。
このように幾ら結果の平等を追求しても「女性が優位ではない」分野や尺度を見つける事は可能なのだ。男性が人口の半分を占める限り、女性の方が結果が低いニッチな分野は能力や志向に性差がないと仮定してすら確率論的には常に存在し続ける。つまり男性への差別を正当化する為に盛松や嘘松を使う必要は全くない。理系大学の女子枠という差別の正当化は正にそれだ。男女の高卒進学率は男女差はなく、むしろ女性の方は若干優位ですらある。しかしここでフェミニズムは高卒後進学率を無視して、大学進学率に話を絞り、更に理系という分野に焦点をあてることで「我々は差別されている。従って是正の為に男性を差別する必要がある」と結論付けるのだ。
従って女性が男性と平等であると認められる終着点は永遠に訪れない。もっと言えば、女子枠、ポジティブアクション、女性専用スペース、司法の女割…これらは全て勝利というよりは次の要求への足がかりに過ぎないのだ。
集団偏愛
Xを見れば分かるように女性の権利主張や被害談や男性叩きは、男性の権利主張や被害談や女性叩きとは比にならないほどバズりやすい。その最大の理由は「男性は男性属性を好きではないが、女性は女性属性が大好き」であることであり、これは学術用語では「内集団バイアス(In-group favoritism)」と呼ばれている。このバイアスが女性は男性に比してどれくらい強いか?は、ある研究によると実に4.5倍という数字が出ている。これは何を意味するか?というと、女性は男性より遥かに「女性であること」に誇りを持ち、女性であることを強く意識し、女性は素晴らしいと信じ、何か起きた際は女性は善で男性は悪的な先入観を持つということだ。これは女性が何故男性目線では「?」なポストをバズらせるか?の答えと言えるだろう。
というよりこうした女性と男性のSNSにおける同性に対するスタンスの違いはfacebook登場からずっと研究されており、女性は男性より強い同質性効果…相手や界隈の言ってる事に賛同する/自分もその気になる…ことが認められ、更に良い悪いは別に相手の内面にズカズカ侵入していく。これは同性間(女性間)の攻撃的行動に繋がるが、同時に同調性にも繋がる。というかその2つは表裏1体なのだろう。また更に男性は女性の攻撃的リプライやフィードバックに反撃する事を躊躇い手心を加える傾向があることが確認されているが女性には確認されなかった。端的に言えば、男性はSNSにおいて女性の瞬発力には敵わない。男性が男性の言説について考え込み、女性からの攻撃にも躊躇してしまうが、女性は女性の言説にはパッと同調し、男性から攻撃されたら躊躇なく殴り返す。このスピードに男性はついていけないのだ。
更に女性は男性に対して男性が女性に対するソレより遥かに残酷になれることが確認されている。例えば参加者が自分と相手への報酬の配分を選択する際に、どのような選好を示すか?を調べた研究では女性は男性よりも自分と同じグループ(ここでは同性=女性)を優遇する傾向が示唆された…だけでなく、男性集団には意図的に悪い結果をもたらそうとする傾向が発見された。
喧嘩というものは基本的には「よりキレられる者」が勝つ。腕力に極端な差がある場合でも正常な人間は「相手にここまでやるのはやり過ぎだろう」「相手は流石にここまではやらないだろう」と落としどころを計算してしまう為、そういう計算抜きにこちらを傷つけようと暴れる人間に敗北を喫することは珍しくない。例えば中学生相手に大人はよっぽどの事がない限り負けないだろうが、その中学生が大人を殺す気でかかってきたらどうだろうか?貴方は出来る限り穏便に済ませようとするが、中学生は目つきや金的攻撃を躊躇せず行い、尚かつ手元にある刃物を容赦なく貴方に突き刺そうとする。貴方は刃物を手にした中学生に対して警戒しつつ「まさか本当に刺す気はないだろう」と、それでも穏便に接しようとした結果、普通に刺されて致命傷を負ってしまった。同じ事が起きるのが女性と男性の喧嘩である。
女性は素晴らしい効果
男女論において最も根幹を為す要素は「男性も少なからず男性差別を支持している」という事実だ。実際令和6年の内閣府調査では男性の50%が「この社会は男性の方が優遇されてる」と考えているのだ。コレは自分や仲間がフライドチキンにされて食われているのに、尚も女性にフライドチキンを上げようとする鶏のようなものだ。
https://survey.gov-online.go.jp/202502/r06/r06-danjo/gairyaku.pdf
こうした現象を追認する研究は多々あり、特に衝撃的なのが「人々は男性に対する差別よりも女性に対する差別を厳しく判断する」という文字通りの研究だ。だが衝撃的なのは、そこではない。この現象が「統計的公正さの差別」に依らないことだ。統計的公平さの差別とは差別を行う意図がなくても、ある集団の統計的な傾向に基づいて個人を判断した結果、意図せず差別が生じてしまう現象を指している。そして女性差別の糾弾がコレに依らないということは、雑に言えば「人間は統計等の客観的事実関係なく男性を貶め女性を持ち上げる傾向がある」ということだ。これは例えば暗数調査では男女のDVは半々ずつだという結果が出てるにも関わらず、DVの話が上がる度に人々は女性が被害者なのを自明として男性を非難する理由を説明出来るものだろう。
更に致命的なのは「女性は差別されている」「男女は平等であるべきだ」という信念…MCGEは、それに合うように認知を歪ませてしまうことが確認されていることだ。例えば女性の雇用研究者の数が男性よりも少ないというデータから、女性に対する性別採用差別が存在するという誤った結論を導き出す誤解を招く架空の研究要約を提示する実験がある。この研究要約のデータは実際には女性が男性よりも採用される可能性が高いことを示されていた。そして案の定、MCGEが高い個人ほど矛盾する証拠があるにもかかわらず、女性に対する差別が存在するという誤った結論を信じる傾向が強いことが判明した。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ejsp.3071
因みに違う研究になるが、女性の方が男性よりMCGEが高い傾向にあることが知られており、更に左翼的な信念はソレ自体が人間の知的水準を著しく引き下げる事が知られている(著しくと表現したのは右翼的な信念も知的水準を低下させるが、左翼的信念を持つ方々の低下具合はソレとは比較にならないほど大きいため)。これらの併せ技が左翼やフェミニスト及び女性のアレの正体だ。
人間は「女性=被害者=善」「男性=加害者=悪」という図式を抱いている事は他の研究でも確認されており、ユニークな研究をあげると参加者に図形Aがある図形Bに危害を加えるアニメーションを見せたところ、危害を加えるアニメーションの図形を男性、被害を受ける図形を女性として認識することが確認された研究もある。
こうした女性優位の男性劣位の偏見は「女性は素晴らしい効果(women-are-wonderful effect)」として知られており、その後の研究においてこの性別に基づくバイアスは人種、階級、年齢によるバイアスをはるかに上回る結果を示し続けている。もう1度書くが、人種、階級、年齢より性別によるバイアスの方が凄まじい。更にアブストの原文も引用しよう。
人種、、性別、社会階級、年齢など、様々な対象者に対する暗黙の評価を調査した。全体的に最も大きく1貫性のある評価バイアスは、女性優位/男性嫌悪バイアスであり、次いで上流階級優位/下流階級嫌悪バイアスが、より小さいながらも1貫性のあるバイアスだった。
(we investigated implicit evaluations of targets varying in race, gender, social class, and age. Overall, the largest and most consistent evaluative bias was pro-women/anti-men bias, followed by smaller but nonetheless consistent pro-upper-class/anti-lower-class biases.
そして女性は素晴らしい効果の提唱者はメタアナリシスで人々はソレを実際に行動に移してることを確認した。提唱者は172件の研究を分析した結果、傾向として男性は女性よりも援助を多く行い、女性は男性よりも援助を受けることを発見した。
https://psycnet.apa.org/buy/1987-10139-001
この3つの要素でフェミニズムが現在に至るまで勝利をおさめ続ける理由をほぼ説明出来るだろう。フェミニズムは極論「男性 vs 女性」という図式で展開されるが、この時点で女性は素晴らしい効果により既に人々の頭でには「女性=善=被害者 vs 男性=悪=加害者」という図式が展開される。加えて男性はこうした局面においては1丸になれず、良い悪いは別にフラットに自分達を評価し、行き過ぎを宥めたり敵対する女性達に対して手心を加えようとする。しかしそんな男性達に対して女性達は容赦なく攻撃に出られるし、そもそも男性に対して悪意を持っている。端的に言えば、男性の敗因は自分達が圧倒的不利で悪意をぶつけられてるにも関わらず、自分達を制御して相手を気遣う…といった強者の道徳「大いなる力には大いなる責任が伴う」的なヒロイズムに囚われている点にある。
それコレこそが男性の弱者性の最たるものだ。何故なら女性の強者性とは極論「いつ如何なる時でも弱者として振る舞える」であり、男性の弱者性とは極論「いつ如何なる時でも強者としての振舞いを課せられる」ことに他ならない。
このような図式…「弱者で被害者たる我々 vs 強者で加害者たる我々」という図式は人類史において、常に悲劇を起こしてきた。例えばナチスはユダヤ人を「金持ちで世界を支配し我々を苦しめる強者」と位置づけ、また白人は黒人を「暴力的で力が強く我々を苦しめる強者」と位置付けて差別を正当化した。勿論、これらとフェミニズムは同列には語れない。何故ならそれらが典型的には人種、民族、宗教等に基づいていたのに対し、フェミニズムは性別に基づいており、性別に対する偏見やバイアスは人種や階級とは比べ物にならないほど大きいからだ。
しかしここで皆様はこう疑問に思う事だろう。曰く「何故それほどまでに強力なイデオロギーが人類史においてこれまで猛威を振るわなかったのか?」と。更に冒頭述べた通り、女性達はフェミニズムの進撃とは裏腹にますます社会に不満を持ち、自らを被差別階級と信じ、更には直接的に10~20代女性の自殺の原因にも結び付いている(またコレはむしろ女性にとってのポジティブな成果と言えるかもしれないが、フェミニズムが女性による性犯罪発生の直接因子であることもほぼ実証されている)。
その答えは簡単だ。何故なら女性の脳は男性より小さく、男性に比べて体脂肪率が高く筋力も体力も劣り、ストレス耐性もないが、むしろそれこそが女性の最大の武器であり解剖学レベルで女性は適応的にそのような形態になっていった証拠がある。即ち女性とは…
踊る赤ちゃん人間
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購入者のコメント
5矜持にプライド…譲れない一線=すなわち、スジ
これが無いんだから敗北もクソもないわな
いくらでも自分より強い相手に媚びへつらい、生き残って利益を引き出せばよいしそれこそが目的なんだから
敗北条件が設定されてないプログラム(女性)に敗北を認めさせるのは不可能
さらに極端なことを言えば、生まれた瞬間から無限に負け続けてるのが女性なんで
それがそれ以上敗北することはないということになる
そりゃ、あとは勝つしか無いわ
≫現代社会における女性の無敵性は「責任をとれないもてない自由意志のない赤ちゃん」と「責任をとれる自由意志を尊重すべき大人」を自由に切り替えられる事にある。
無敵すぎワロタ。でもマリオの無敵も何でも終わりがあるんで。機を伏して待ちましょう。
無敵を倒せるのは無敵な相手に適応したタイプの相手を超える無敵。
無敵を超える無敵なら無敵を倒せる。
当たり前ですよね
>人間は自分が理解や説得したら不利になる事柄に対しては、基本的に理解したり説得されることを拒否する生物だ。
これは本当にそうですよね…あまりにも邪悪で醜悪な生物…
すごい頭のいい人でも自分の利害がかかわると途端にIQ3になるので…
そんな「知性」に意味なんてあるんですかね。あまりにもクソバカの生き物…
そしてフェミニズムはドータリズム定期。