1944年4月発行の飛行機増産本を読むー結局は精神力、節約、一層の女性への負荷が鍵のようです
こちら、1944(昭和19)年4月15日、番町書房発行、軍需省航空兵器総局長官陸軍中将遠藤三郎・談「飛行機増産の道ここにあり」と題する、四六判101㌻の小冊子です。中には写真も図も一枚もない、しかも遠藤中将の談話をまとめたというもので、手間がかかっていません。こうした時局に沿った本でなければ、紙の割当もなく、積極的にか消極的にかは知りませんが、とにかくつくったよという冊子という印象です。
そりゃあ、飛行機増産のためには熟練工を戦場に引き抜かず、がたがたの工作機械を新品にして、原材料をしっかり輸送して、さらに工場を増設するしかありません。ところが、工作機械はアメリカからの輸入に頼っていたため、新調できません。既に鉄くずはアメリカから入って来ず、アルミ原料のボーキサイトをマレーやビンタン島から持ってこようとしても、既に海路は安全ではなく船も足りず荷役能力も伸びない。飛行機をつくる材料はなく、工作機械もないから工場増設どころではありません。つまり、米国と戦争を始めた段階で生産の増強は先が見えていて、反抗が強まってからはじり貧からどか貧になり、根本的に飛行機の増産は不可能、というわけです。
とはいえ、そんなことを正直に言うわけにはいきません。そこで、こうした本が作られるわけです。目次を見れば、臣民に何を求めているか、想像がつくと思います。
もう、読まなくても分かりますね。精神力、節約、女子の労働、といったところを、難しく語っているにすぎないわけです。まあ、一般の庶民に材料を運べ、工作機械を作れとはいえませんから、求められるのはそういった内容になるのも致し方ないところではあります。
では、どんな語りをしているか、少し見ていきましょう。まずは、アッツ、タラワ、マキンと続いた玉砕戦に触れ、飛行機の必要性を説きます。
そして、まずは精神力を鼓舞します。そして、あらゆるものを飛行機増産に振り向けることを強調します。
資源は占領地を含めれば十分なので、「全国民の覚悟、努力によっては」的の生産能力をしのぐといっていますが、平時で10分の1,戦時下では20分の1となった差をしのげるはずもなく。
そして、飛行機の故障事故の例を挙げ、世界に無比の日本刀をつくる意気で魂を込めよと、神がかりになってきます。
そして、ここからは日常の節約がすべて飛行機の増産につながるとの説明になります。
コウリャンや砂糖がないのはなぜか、甘藷や石鹸がないのはなぜか、すでて飛行機のためと説得します。
そして、全国の長髪男子がポマードを使わなければ年間20万トンの油がうくとして、命令ではないが髪を切ろうとします。いや、そんなことならポマードの生産をやめるのが早いと思うのですが、それを自主的にやらせるところが日本風です。なぜなら、ポマードを使いたい上流階級らを見逃さねばならないから、というのは言い過ぎではないと思います。
そうした、最初から回せばいいのに、変に国民に「あるけど我慢する」という形を取らせるのですね。これは、実際の不足をそうではなくて、皆で我慢するという形にしてごまかすためであると思えますが、いかがでしょう。この見開きは、それぞれ臣民が節約することで浮いた電気により、飛行機がどれぐらいできるかを示しています。実際のところ、石炭を運ぶのも荷役するのももう大変な状態でしたから、全力で飛行機工場に送っていたところ、本土決戦用のセメント工場の操業ができなくなるという事態になり、最終的に空襲で破壊されてしまうなど。
とにかく、各家庭でのアイロン全廃を呼びかけています。
さあ、そして労働者は働き続けねばなりません。病気は休日にと無理を言います。
そして女子の職場進出はまだまだ遅れているとし、特に英国の例を挙げて、上流階級の子女に職場に出るようにとしています。ただ、これは本気ではなく、そういう格差に対する不満が分かっているから、一応例示しただけで、これによって臣民女子のガス抜きが狙いでしょう。
そして、職場に出ても「日本の婦徳」を忘れるなと。妻は何も求めず、夫やしゅうとに仕え、子のために身を犠牲にする精神をと。ようするに、家庭のことは手を抜くなということですね。
そのうえ、妊娠、出産もいとわず働き続けよと。これまでは結婚したら職場から追い出すか、職を止めねば家庭から文句を言われる位置に女性を置いておきながら、都合よいことこのうえない。
そして、このあたりからが締めの部分になります。どちらも苦しいのだから、負けたと思った方が勝ちであり、玉砕戦でもしっかりした意思を持っていたのだから「われ勝てり」なのだそうです。
いろいろ説明の中で、アルミ生産不足も取り上げざるを得ず、木製部品のために不足するものがあってもがまんするようにと。
一方で、こうした中にあっても、航空機の材料で横流しなどのできる製品を作っていた工場の例を挙げていますが、そうでもしなければやっていけない状況だったのでしょう。また、飛行機増産のネックは、いつでもエンジンにあり、1945年ともなると、生産機数には組み込まれても、気体だけでエンジンのない飛行機が並んだと言います。いつまでも寝かせておくより、という気持ちが働くこともあったのでしょう。
この本の要諦は、飛行機増産に名を借りた、臣民に不満を持たせないように誘導して、納めておくことだったのではないかと思えます。本当に生産のことを考えるならば、熟練工や化学者を一兵卒として引き上げることはないはずです。その代わりが学生や女子にできるという、頭数で考える思想が、やはり敗北の道だったのでしょう。例えば機体磨き一つとっても、力が全然違うので、女子挺身隊に来てもらっても役立たたなかったという逸話もあります。そんな現場知らずの掛け声だけで、飛行機が増えるなら世話はない。当時の日本の、さまざまな側面を垣間見せてくれる、貴重な資料ではありました。
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コメント
5こんなものもあるデジコレ恐るべし!
「あるけど我慢する」これぞ大和魂ですねえ。😁
知識の無い現場で部品の材質を勝手に変えることで動かないエンジンなどが作られた話、
酒井三郎氏の機体には整備兵が記録をごまかして古いエンジンに載せ替えた話なども有りました。
第一次世界大戦の時、ドイツは二次大戦の日本同様熟練工も前線に出しました。戦時中にその欠点に気づき慌てて熟練工を前線から戻しました。第二次大戦では勿論熟練工は徴兵除外だったはずです。その辺の教訓を日本は聞いていなかったのでしょうね。